表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
バッドランズ・グレイアウト  作者: 梅屋凹州


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/9

一話・エピローグ

終章:A面


 黒澤棺は、ビルの入口にたどり着いた。

 時刻はすでに、朝七時を回っていた。


 高層ビルの間を、遠くサイレンの音がこだましている。救急車か、パトカーか、オークション会場の異変に気づいた誰かが呼んだのだろう。

 いずれにしても今更、意味がない。オークション会場には、もう生存者は残っていないのだから。


 駐車場に停めていた社用車の運転席には、すでに”とら”が座っていた。ここに戻ってくるまでそれなりの修羅場をくぐり抜けただろうに、スーツには少しも乱れている様子はない。”とら”はなぜか真剣な眼差しで、カーナビを見つめている。

 棺は”とら”が座る運転席の窓をコツコツと叩き声をかけた。


「とら、パートナーズの連中は?」

 声をかけると、”とら”はすさまじく驚いて跳ね上がりついでに車の天井に頭をぶつけた。棺は怪訝に”とら”を見つめた。

「なにやってんだオマエ。コントか?」

「しゃ、社長……! おつか、おかえりなさい……!」

 ”とら”は、光の速さでカーナビに消すと、棺に向き直った。あきらかに不審な動き。棺が尋ねる。

「おまえ今テレビ見てた? なんのやつ?」

「いやっ、これはっ、そのっ……。……ご、ご無事でなによりです……」

 挙動不審な”とら”を、棺は無言でねめつけた。”とら”はわざとらしく話題を変えようとしている。

「そっ、そんなことより……あいつは? シノはどうしたんです?」

 棺は短く答える。

「死んだ」

「じゃあ……、……社長は、いわゆる……やっちまったんですか……無駄骨……」

「そうでもない」

 棺は運転席後ろの扉を開け、後部座席に座った。

 柔らかいシートに身を預け、電子タバコを咥えてから、窓の外を眺める。


 高層ビルの隙間から、燦然と輝く朝日が見えた。

 太陽は昇り、一般人たちの日常が始まろうとしていた。スーツ姿のサラリーマンが、地下鉄駅からちらほらと姿を見せている。猫背で覇気のない青年たちは、今朝まさに失ったばかりの部下の姿に重なった。


 棺は何気なく、唇に触れた。

 そこにはまだ、生ぬるい感覚が残っている。中途半端に柔らかくて、中途半端に温くて、心地よさとは程遠い他者の熱。


 ーー東雲十三は、”件”と共に、仕置銃の最大の砲撃に呑まれた。

 ”件”の消滅と同時に、呪いの力によってかくされた空間もまた、消えた。

 視界全てを埋め尽くした光が、ゆっくりと薄らいで風景と同化したとき、東雲十三の姿は、どこにもなかった。

 ーーあの世に、旅立ってしまったのだ。


「……たぶん、一生忘れない。良いヤツ、だった」

「……。社長が、そんなコト言うなんて珍しい……。あいつ、伝説つくりましたね……」

「……伝説。……そうかも、な」

 棺は呟いて、口をつぐんだ。”とら”も、それきり無言になった。

 気まずい沈黙が嫌で、棺はなんとなく、カーナビを点けた。

 画面には、国民的アニメだという、”のらたま”が放映されていた。二頭身のねこ・ノラと、その仲間たちのサバイバルアニメだったはずだ。


 テレビ画面をじっと見つめていた”とら”が、ふと言った。

「社長、あれ……」

「ん?」

 棺は”とら”が指し示す方に、視線を向けた。


 フロントガラスの向こうに、一人のサラリーマンが立っていた。


 中肉中背の、ひょろりとした若い男だ。垂れ目と、重たげな二重瞼のせいで、どことなく眠そうな印象を与える。”へらへら”と”にやにや”の中間ぐらいの、曖昧な笑顔を浮かべ、所在なさげに立っていた。

 ボロ切れ同然のスーツをなんとか身に纏い、ネクタイはちぎれ、靴はあちこち剥がれて、ひどい有様でーーでも、しっかりと、生きている。


 車の前に、東雲十三が立っている。


「……シノ……」

 棺は、呆然と呟いた。


 ”とら”が十三を警戒しながら、棺にそっと呟いた。

「……社長、銃をーー」

「いいよ、とら。それより、上着貸してくれるか」

「上着……? ですか……? 後ろにある予備、ご自由に……」

「アリガト」

 ”とら”のデカい上着を預かった黒澤棺は、ドアを開けて、東雲十三の前に立つ。


「社長……」

 十三の、ぼやけた笑顔が帰ってきた。

「スミマセン、なんかオレ、生きてたみたいです……。はは……すみません、あんだけ啖呵きっといて、なんか恥ずいスけど……」

「ーー……うん。いいよ。いいんだ。……そのぶん、これから働いてくれるんだろ?」

「ーーはい」


 黒澤棺は、東雲十三を見上げた。

 東雲十三は、黒澤棺をまっすぐ見つめた。


 視線の奥で、お互いはもっと深く、多くの言葉を交わしたかったのだと思う。

 だが、棺は言いたい言葉を、全て閉じることにした。ーーなぜなら。

「今日は、切り上げよう。ーー定時、過ぎてるからな」

「そうか。ーーそうですね」

 十三は腕時計を確認して、そっと笑う。


 定時は過ぎた。

 今日のサラリーマンとしての時間は、終わったのだ。

 いま、棺は社長ではない。十三も社員ではない。互いにとって何者でもなくなった二人は、今日これ以上、共に過ごす理由はない。


 それにーーこれからまだまだ、二人には時間がある。

 同じ職場で働く、上司と部下として。


 棺は”とら”から借りた上着を十三に預け、言った。

「明日は、休日。明後日の二十二時から出勤だ。いいな?」

「ーーはい」

 十三は改まると、頭を下げて言った。

「明後日より着任いたします。改めて、これからよろしくお願いいたしますーー黒澤社長」

「ーーあぁ。明後日からよろしくな。東雲十三」


 お先に失礼します、と一礼して、東雲十三は、踵を返した。

 地下鉄駅へ下っていく十三の背中は、サラリーマンたちに混ざって、すぐに見えなくなった。


 その背中を見送ったあと、棺は車に乗り込み、”とら”へ声をかける。

「とら、会社に戻ったら、灰島に報告。今日のニエについて、素性調査を依頼してくれ。たぶん矢馬が色々探り入れてくるだろうが、うまく誤魔化せ。突っ込まれてもシラを切れ。いいな」

「うわぁ……難題……」

「それから、”しま”のスケジュール、空けてもらってくれ。新人の雇入れ健診の結果、これからメールで送るから、健康状態の把握を頼むと。手が空いたらそのうち面談にも来てほしいと伝えてくれ」

「灰島さんに、矢馬さん、おにいちゃん、と……忙しくなりますねぇ」

 手帳にメモを書き殴った”とら”がぼやく。


「あぁ。本当に、これから忙しくなるぞ」

 黒澤棺は電子タバコに火をつけ、呟く。

「ーー”有望な新人”が、入ったからな」

 窓を開けた”とら”は、「できれば、残業は勘弁してくださいね……」などとのたまいながら、車のエンジンを発進させた。


終章:B面


 東京の隅っこにある街の、安アパートの一室。


 帰宅した東雲十三は、自室の洗面台で顔を洗っていた。

 タオルで顔を拭って、鏡をまじまじと見つめる。


 備え付けの小さな鏡に、自分の顔が写っている。二十三年間、見慣れた顔。冴えない顔。眠たそうなまぶた。


 ーー違う。

 十三は、震える指で鏡をこすった。


 目の形も眠そうなまぶたも、自分自身なのに、違うーー自分じゃない。

 オレは。オレは。オレはーー。

「……社長……オレ……オレ、どうすればいいんですか……」

 鮮明に蘇る記憶に苛まれた十三は、ここにいない黒澤棺に助けを求めた。

「オレは……もう、オレじゃない……。オレは死んだんだ……あのとき……」

 あのとき、駐車場で再開した黒澤棺に、十三はどうしても言えなかったことがある。

 薄暗い洞窟。ごつごつした岩肌の感触。坂を下る死者たち。ハングドマンの言葉。


 そしてーーと、十三は自分の6畳間に目を向けた。


 床に散らばったエロ本でも、スマホのエロサイトでも、遂情できなかった。 


 十三の胸のうちを、欲望の嵐が吹き荒れていた。身の内側をこそげ落とすかのような強風が暴れ回る。男ならば、誰もが抱いたことがあるはずの感覚。だが、今までの十三には、なかったはずの渇望。


 ーー黒澤棺が、欲しい。

 東雲十三でなくなった男は、黒澤棺に、どうしようもなく欲情していた。

一話は完結となります。ここまで読んでくださった皆様ありがとうございました。

2話の掲載は未定となります。リアクションいただけるとモチベーションにつながりますので、ぜひとも応援いただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ