一話・7
7.
それでも。
東雲十三の心は、まだ、あった。
十三はいつの間にか、見知らぬ場所の、道ならぬ下り坂を歩いていた。
そこが、果たしてどこなのか。十三には全く見当がつかなかった。
全く、見覚えがない空間が、十三の行く先に、延々と続いていた。
そこは、例えるなら洞窟と呼べるような、左右を岸壁に包まれた閉塞感のある下り坂だった。
分かれ道がない一方通行の道だ。果たしてどこまで坂が続いているのか、全く先が見通せない。道は薄暗く、電気もなければ道標もなかった。
東雲十三は今、なぜか、そこに在った。
そこにいて、下り坂を、ひたすら歩いている。
自分の意思とは、まるで関係なく。
しかし、十三は一人ではなかった。
十三の前に、同じように歩く人々の列があった。みな一様に俯きがちで、言葉もなく、ひたすらに坂道を下り続けている。
人々の姿に、十三は見覚えがあった。
オークション会場にいた、ハイブランドを纏ったあの客たちだった。
全員、”件”によって燃えて、死んだはずの人間たち。
十三が裏切った、課長の背中も、そのなかにあった。
ーーそうか。と十三は得心する。
これは、死者の列だ。
そこにいるということはつまり、自分もまた、死んだのだ。
「ふ……、ふふ……はは……」
十三の足は、自らの意思とは無関係に、歩き続けている。
歩くことから、抗えない。十三の身体は勝手に、冥府への葬列を歩み続けていた。
「死んだ……オレ、マジで死んだんだ……」
呟く十三の頬を、透明な涙が流れていた。
本当に、自分は死んだ。スーツのまま、社畜のまま、人生で何もなさぬまま死んでしまった。
なんて惨めなんだろう。
歩きながら、十三は我もなく泣き叫んでいた。
「なぁッ……なんでだよっ! オレ、頑張ったんだぞ!? 人生頑張った! もっと報いがあってもいいだろ! なぁ!?」
わめきながらも、十三の歩みは止まらない。
勝手に歩いていく。坂の先へ。ーー完全な死の世界へと。
「生きたい……! まだ生きたいんだ! 死にたくない! まだかわいい女の子と付き合ってない! じゅうぶんセックスしてない! カネ稼ぎたい! 奨学金……! 返してない! 母さんに怒られる!」
『ーーいいえ、オマエは完全には死んでいません』
そのとき。
誰かの声が、十三の耳に確かに届いた。
奇妙な抑揚のついた声。ーー機械音声。翻訳機能をかけた、という感じの。
「ーー……ハングドマン!? アンタ、なのか?」
十三は声が聞こえてくる方向を探った。
その声は、十三のスーツのポケットのなかから聞こえてきた。
十三がポケットをまさぐる。スマホのセンサーが、光っている。内部のセンサーが、十三の声に反応しているようだった。
十三は急いでスマホ画面を操作する。
見覚えのない「刑死」というアプリが、十三のスマホにいつの間にかインストールされていた。
『愚者よ。アナタに機会をくれてやりましょう。それは最後のチャンスです』『ああ! オマエはわたしを感動させました』『弱者の克己は心を打つことがあります』『その一幕は、駄作を名作に変える力がある』『オマエの惨めな敗者的人生を、勝者へと変えることができます』
「ーーなんだ!? なにを言ってるんだ!」
十三は叫び問う。
だが、機械音声が返答を返してくれることはなかった。意思の疎通がうまくいかない。最近、似たようなことがあった。誰だっけ、いつだっけ。考えても、十三には思い出せない。
だから十三は、いま一番聞きたいことを、聞くことにした。
「ハングドマン! オレは……、オレはまだ、生き残れるのか!? まだチャンスはあるってことか?!」
『さぁ、振り向きなさい。新しい人生があなたを待っています』
そのAIの言葉は、十三の耳にはっきりと聞こえた。
「振り向く? 後ろを振り向けばいいのか?! それだけでいいのか!?」
AI音声が答える。
『そう。それだけでーーおまえの魂は転じるでしょう。まっ逆サマに。ーー選択は?』
「生きたい! ーーオレは、生きてやる! 生きて奨学金のない、勝ち組になってやる!ーー黒澤社長の部下として、生きてやるッ!!」
「ならば、さァ、語り伝え答えなさい。オマエの後ろの正面に誰がいますか?」
ーー後ろの、
ーー正面。
十三は、振り向いた。
瞬間、十三の足に何かが絡まった。
足首に巻きついたロープ状のものは、糸のように細かった。まるで、蜘蛛の糸のように。
「うわぁああああっ!」
糸に足に絡みとられたまま、十三の身体は持ち上げられ、宙吊りになった。
宙吊りになった身体が、その慣性のまま揺らめいて、回転する。
十三は宙吊りになったまま、背後を振り向いた。
ーーそこにあったのは。
AI音声が、嗤っている。
それは嘲笑だった。ドッキリにかかった愚か者を嘲笑うかのような、嘲り笑う声だった。
ハングドマンは、言う。
『一緒に、逝きようぜ』
10月8日にエピローグとなります。




