一話・6
6.
東雲十三は、地獄をさまよう。
「……また、死体……」
十三は、呻いた。口を出た言葉には絶望も恐怖もなく、ただ疲労だけが滲んでいた。
十三の進路上、廊下の先に、焼けた遺体が転がっている。
炭化した完全な黒焦げではなく、赤く生焼け状態になった遺体だ。片腕が上へ伸びているのは、身体が縮むことによる焼死体の特徴だと、映画かドラマで見た覚えがあった。
遺体の下には、赤い絨毯よりもさらに濃い色の赤が広がっている。血だ。ミディアムレアのステーキみたいに、死体の下に広がっている濁った血。生きながら焼かれた死体にも血は出るのだろうか? ーーこんな状況で、益体もない疑問が十三の頭に浮かんでいた。きっと、脳みそが現実逃避を始めているのだろう。他人事のように、十三はそう思う。
遺体は、服も髪も焼け焦げて、性別の判別がつかないが、腕時計だけは焼け残っていた。十三が、賞与を貯めていつか買おうと夢見ていた、海外ブランドの高級腕時計だ。
ーーどんなにカネ稼いでも、どんなにブランド品を着ても、死んじまったら、意味がないんだな。
そう思ったきり、十三は死体から視線を外した。それ以上、死体への興味はなくなっていた。死者を悼もうという気持ちさえなくなっていた。ここに至るまで、あまりに多くの遺体を、十三は目にしてしまっていたので。
十三は遺体を避けながら、廊下にあるドアの一つを、すがるような思いで開いた。
そこは倉庫らしい簡素な小部屋だった。掃除用具や工具などが無造作に置かれているだけで、窓もなければ他の部屋へと続く戸もなく、完全な行き止まりになっていた。
ここも、階段ではない。
地上への出口は、まだ、見つからない。
「…………ハズレか……」
十三は落胆してドアを閉めた。
もつれるような足取りで、ひとり、また廊下を歩きだす。あるかないかもわからない出口を、探すために。
ーーあの騒ぎから、一体どれほど時間が経っただろうか。
ひとりの男を発端とする、怪異殺戮劇。
オークション会場で突如として始まった怪異は、多くの人を無差別に殺めはじめた。
男も女も老人も外国人も、みな平等に殺された。
多くの人々は、逃げ惑うばかりだったが、なかには抵抗する者もいた。隠し持っていた銃器や刃物、会得していた護身術、ありとあらゆる手段を駆使して、異形のダルマへの抵抗を試みた。そこらにあるテーブルや椅子を投げつける者もいた。みんな、生き残ることに、懸命だった。
だが、あの怪物には、すべて無駄なことだった。
村田マサオと呼ばれたダルマ姿の怪物は、抵抗した人間を嘲笑うかのようになぶり殺し、噴出した自らの血で、人間を生きたまま炎へと変えた。
炎に巻かれた人々は、物言わぬ死体と化す者がほとんどだったが、新たな化け物に変わる者もいた。吹き飛んだ首元から炎を吹き出した、さながらトーチ人間となって、新しい犠牲者を求めてさまよった。ありきたりなゾンビ映画みたいにーー起こっていることは、ゾンビ映画と遜色ないぐらいに悲惨だったが。
その光景を目の当たりにしていた十三は、とうとう進退窮まり、必死の思いでオークション会場から逃げ出した。出口を探して、必死に走り続けた。
だが、どれだけ探し歩いても、出口は見つからなかった。
非常口の緑色の灯りすら見つけられず、いくつもの扉を開いても、地上に繋がる階段が見つからない。どういうワケか、脱出口が、どうしても見つからないのだ。
出口を探して歩き、また探しては、見つけらず。
そしてまだ、十三はここにいる。
あちこちで聞こえた悲鳴も、今はもう聞こえない。生者は全員、死に絶えたのかもしれない。
廊下の先々に転がった死体と、出口が見つからないだけでもメンタルはすり減っていくのに、それ以上に十三の身にこたえたのが、熱さだった。
ーーとにかく、熱い。
空調の異常では到底ありえない。
砂漠に放り込まれたかのように、熱さで視界が歪んだ。太陽の真下にいるワケでもない、春の東京の深夜のビルの地下で、そんなことが起こるはずがない。”常識的”に考えれば。
常識は狂った。
異変が起こったのはあれからだーー村田マサオが”件”を食ってから、世界がおかしい。
たとえるなら、次元の違う場所ーー異世界に引き込まれてしまったように。
「そんなこと……あるわけ……」
十三は自分の発想を嘲笑ったが、冷静に考えれば、あながち間違ってはいないのかもしれない。
”件”とは、呪いの力を持つとされる、いわくつきの商品だという。呪いの力とは、霊的な力を持っていると言い換えることもできるのではないだろうか。
霊的な力で人間をどこかに閉じ込めるという現象は、都市伝説や怪談話、もっと遡れば民話や昔話でも、よく聞く話だ。ホラー作品では、心霊現象の起こる家や学校に閉じ込められて出られない、なんて展開はありふれている。昔話で有名な浦島太郎も、民俗学風に解説すれば一種の神隠し、竜宮城という異界への流離譚であるというし、マヨイガや杉沢村のような”地図から消えた村”系の都市伝説も、異界へ迷い込んだ人々の体験談と捉えられている。
本来存在し得ないはずの空間に、人間たちをさらい、閉じ込める。
”件”がヒトを呪い殺すほど強力な力を持っているなら、そういった、人間を異界に閉じ込める力も、持っていてもおかしくはないのではないだろうか。
そういった神隠しの力で、ここバイト・ア・ダストも、脱出不能となっているのかもしれないーー。
とはいえ、あくまで十三の仮説に過ぎない。一介のホラー好きである十三の、単なる予測だ。詳しい人に聞けば、正しい答えを出してくれるに違いない。詳しい人、例えばーー。
「……”社長”」
呟き、十三は手にもったペットボトルの水をあおった。
暑さのせいで、やけに喉が乾いていた。”社長”にもたされた、ペットボトルの水で喉を潤してきたが、それももう尽きようしている。
脱出の手がかりを知っているとすれば、”社長”だけではないだろうか。
”件”を管理し、出品していたほどの人物だ。”件”について詳しい情報を持っていても不思議ではないーーまだ生きていれば、の話だが。
村田マサオがダルマ人間に変わったあのとき。あの怪物は、VIPルームを見上げていた。そこには”社長”がいたはずで、もし村田マサオが社長を狙っていたとしたらーーいま、”社長”の命があるかどうか、確かな保証はない。
そこまで考えが及んだとき、十三の胸に、鈍い痛みが走った。
”社長”ーー黒澤棺の、大きな瞳が、十三の胸に焼きついていた。あの人に何かあったとしたら。そう、悪い想像をしただけで、十三の心には強い焦燥感が占めだした。
「……社長……探さなきゃ……」
目標が決まった。
いまの十三にできることは、”社長”を見つけることだけ。そのために、ただひたすら行動すること。体力と精神の尽きる限り。
そう決意を新たにして、十三は、すがる思いで廊下を歩き、新たに見つけた扉を開けた。
そこは、見覚えのある場所だった。特徴的なサーモンピンク色の壁紙。
奇しくも”社長”と最後に言葉を交わした、あのトイレだった。
十三は洗面台に近づき、手洗いのセンサーに手をかざした。蛇口から水が出る。そんな当たり前のことが、いまの十三を心から安堵させた。
流しの水をせき止めて、溜まった水で顔を洗い、ハンカチを水に浸す。それで顔や首、身体を拭き取った。水を飲むと、落ち込んでいた気持ちが少しだけ上向くのがわかった。
十三は洗面台に身体を寄りかからせ、心の底から声を漏らした。
「……助かったぁ……」
ここに来て、はじめてかすかな余裕を感じた。
少し休憩を取ろうと、十三は少しの間、洗面台の横の壁にもたれかかった。
壁に身体を密着させていると、わずかな音や振動が伝わってくる。コッコッと鳴るそれは、革靴の足音のようで、
ーー十三ははっとして耳を澄ませた。
ーー足音だ。
くる。
誰かが、トイレに近づいてくる。
十三はとっさに唯一の個室へ移動し、鍵をかけた。
個室のなかで、息を殺して耳を澄ます。
ーー間違いない、コツコツと革靴の音が聞こえる。ヒトの足音、音の大きさからして、おそらく男だ。そして、探している”社長”の足音ではない。
十三がその場で様子をうかがっていると、キィと扉が開く音が聞こえ、続いて足音の主がトイレのなかに入ってきたのがわかった。
十三は床に這いつくばるように個室で身をかがませ、扉の隙間から個室の外を覗き見る。
やはり、ヒトだ。男。仕立ての良いスーツを着た若い男が、周囲をやたら警戒しながら歩いているーー生きている人間だ。
十三はさらに目玉を上へ動かして、男の様子をうかがった。
男は、大きく肩を上下させて、荒く息を吐いている。ずいぶん汗をかいているようだったが、手や首の、露出した部分には、目立った傷はない。どこかに引っ掛けでもしたのか、スーツがあちこち破れていた。
男は、辛そうだが、生きてはいる。それに、”件”の血を浴びている様子はなかった。
十三は自身のなかで問う。
ーーどうする? この人に、声をかけるべきか?
普通の状況ならば、迷わずそうしていただろう。だが、どうにもこの男の様子がおかしいように思えた。なにか周囲の様子をやたらと気にしている。
十三が迷い、動けずにいると、
「なァ……そこ、個室。誰か……いるのか?」
男の方が、先に声をあげた。
十三はどきりとして咄嗟に扉から離れた、が、男は十三がいる個室に詰め寄ってくると、ドアノブをガチャガチャと激しく動かした。
「ーーいるんだろ? なぁ、アンタ生きてる人間なんだよな? ここ開けろよ!」
細い隙間から見える憔悴しきった顔に、十三は見覚えがあった。
ツーブロックのエラ張り顔。
先日、十三ともめた、あの派遣先の課長だった。
「ーーアンタ……ここにいたのか……」
「あ? ……まさか……、おい、あんたオレを知ってるのか?」
扉の先の課長の声に、かすかな喜びが混じる。あちらからは十三のことが見えていないようだった。課長は急かすようにドアを激しく叩いてくる。
「なんだよ、知り合いかよ……! 助かった……! おい、出てこいよ。いっしょに出口、探そうぜ。頼むよ。助かってここ出られたら、お礼する。約束するよ! 仕事でも女でもヤクでも、なんでも融通利かせてやるからさ。な?」
「待って……ちょっと待ってくれ!」
十三は慌てて制止する。
「かちょ……アンタ……今までどうしてたんですか?! 他に……生きてる人はいるんですか?」
「は? そんなのどうだっていいだろうが! 早くしろよ!」
課長は質問には答えず、ただ語気を強めている。言いながら、しきりに後ろを振り返るのが、十三には妙に気になった。
ーーなにか、様子が怪しい。
どうする、と十三が自問自答しているとき、その音は聞こえてきた。
バンッ ずり……ずっ……バンッ……ずっ、ずっ……
ーー何かが来る。こちらに近づいている。
粘着質なものが床を叩く、ベチッという大きな音。その直後に、重量のある袋をひきずる、ずずっという音が聞こえる。
あの音に聞き覚えがあるーーその心当たりに即座にたどり着き、十三の全身の皮膚が、泡立った。
あいつだ。
村田マサオが”件”と化した姿、あの異形のダルマが、動いている音だ。
「きた! きたッ! あいつが来る! 早くしろ! 出てこい! ここを開けろ! 開けろよっ! 助けろ! あいつが来るんだよ!」
ドアの向こうで、課長が冷静さを失っていくのがわかった。ドアノブをガチャガチャと回し、ドアを激しく叩いている。ほとんど半狂乱になっていた。
「開けろ! おいテメエ開けろよ! ざけんなテメェ、早く開けろ!」
十三は、固まっていた。トイレの壁に身を寄せ、息を殺すのが精一杯だった。
本能が告げている。ダメだ。開けてはいけない。いま開ければ、確実に巻き込まれる。
どん! ずるずるずるずる。どん、ずるずるずる。
両の手を付き、重い身体を這わせている音が聞こえる。あの音が、こちらへ近づいてきている。
異形の行進はまもなく、このトイレまで迫ろうとしていた。
耐えきれず、十三はドア向こうの課長に向かって叫んだ。
「だっ……ダメだ……! ダメだ、ここは開けられない! 早く行ってくれ! 別の場所に避難してくれ!」
「はあ!? テメエふざけてんのか!? 早く開けろよ! そこ代われ! おい!」
「頼む、こっちへ来るな! 別のところに行ってくれ! オレを巻き添えにしないでくれ!」
吐き捨てた課長は、舌打ちひとつ、ドアを蹴った。
「ーークソ野郎が! 地獄に落ちろ!」
ドア向こうの課長はそう吐き捨てると、素早く身を翻して駆け出していった。
「ーーはっ……は………」
課長が去ったあと、十三は、ようやく深く息をついた。
血の気の引いた手は、ぶるぶると震えていた。
「はっ……は……」
ーー見捨てた。見殺しにした。
その事実が、十三の胸に重くのしかかっていた。
ーー違う、逃がしただけだ。脳内のどこかがそう訴える。あいつは、十三を押しのけてここに閉じこもるつもりだったのだ。十三は最良の手を打った。オレは悪くない。そう自分に言い聞かせる。
だが、胸の早鐘は収まろうとはしなかった。
「……なに……やってんだ……オレ……」
十三は頭を扉に押しつけて、呻いた。
追い詰められるあまり、ヒトとしての良心すら消し飛んでしまったのか。
罪悪感が、十三の胸をギリギリと締め上げていた。
「……っ……」
十三は、トイレの個室でうずくまった。
吐き気もないのに、消化器官のどこかが逆流しようとしているのがわかる。立て続けに起こった悲惨な出来事に、精神が限界を迎えようとしているのかもしれなかった。
「……ダメだ……頑張らなきゃ……生きなきゃ……。奨学金、返さないと……。母さんの借金も、返さなきゃ……。……そうだ、エロ本……家にあるヤバいエロ本、処分するまで死ねない……」
震えながらも呟き、なんとか自分を鼓舞した十三が顔をあげた、
瞬間、”何か”によって、足首を掴まれた。
「ーーーーッ!!!」
十三は驚愕して息を呑む。
焦げて、血にまみれた腕が、個室のなかに差し伸ばされ、十三の左足首を掴んでいた。
「てめ…… よぐ、も……」
隙間から覗いてくるのは、顔が焼けただれたエラ張り顔の男。
先ほど逃げ出した課長が、個室の扉の隙間から、十三を覗いていた。
炭化した皮膚と赤くただれた肉が、陰惨なマーブル模様を描いている顔のなかで、目玉だけが真っ白に焼け残り、十三を恨めしげに見上げていた。
「恨ん……で…や……」
その声を最後に、足首を掴む力が、ふいに緩んだ。
焼けただれた手が、ごとりと音を立てて落ちる。
課長は、その場で、事切れていた。
十三へ恨み言とーー感染する血を残して。
「あッ……ーーーう、うわァあああああっ!」
十三は、叫び、個室を飛び出した。
背後で、課長の頭が爆発する。すんでのところで直撃を避けた十三の足元に、課長の脳漿や肉片がビタビタと飛び散った。
「う、……ぅ、うそ……だろ……?」
十三は、震える手で、自らの足首に触れた。
血だ。
十三の足首に、課長の血が、手の形そのままについていた。
あの、あの、感染する血だ。血に触れたが最後、身体が燃えて、爆発する血だ。十三が知る限り、この血を浴びた人間は、ことごとく発火して死んだ。
「ーーやばい……やばい、やばい……」
実際に、課長の血に触れた十三の足首は、酸でも浴びたかのように皮膚がじりじりと傷みはじめている。熱さより、じわじわと皮膚に染みる痛みのほうが辛かった。
十三は洗い場の蛇口をひねった。流水でハンカチを浸し、足首の血を拭う。なんとか、血の汚れ自体は消えた。このまま痛みが消えるのだろうか。
不安を抱えながら十三がふと鏡を見あげたとき、
それが、視界の隅に見えた。
ーーずっ……ぺた……ずるッ……。
トイレの入口を塞いだそれは、湿った音と共に、ゆっくりと近づいてきた。
巨大な、顔。
頭部にたくさんのコブ。びゃあびゃあと泣きわめく赤ん坊の頭たち。頭部を支えるのは巨大な二本の腕。上体部に圧迫されてひしゃげた足。
村田マサオの成れの果てが、トイレの入口から、ゆっくりと十三の方へ進み寄ってきた。
「 ご きげ んよ う」
あの特徴的なギョロギョロとした目が、十三の眼前に迫っていた。
ーー逃げ場は、なかった。
「アナタ は すすすばらしぃいいい ヒトだ」
巨大な顔の異形が、鼻先にある十三の顔を見て、ニンマリと笑っている。
「た……」
十三の全身は、みっともないほどに震えていた。
「たの、む……殺さ、ないで……くれ……」
目を逸らすことも出来ず、十三は、ただ嘆願する。
『ん ん?」
人瘤ダルマは、頭部の赤ん坊を見せつけるかのように、前傾姿勢を強めてさらにのしかかるような形をとった。
十三のすぐ鼻先にある人瘤ダルマの目玉が、ギョロギョロと動き、問うてくる。
『かちを 人生の かち ししし知ってるか?』
ーー質問。質問だ。質問を、されている。返答を、しなければ。
十三はなんとか目の前の怪物を見返し、ぶるぶると首を振りながら声を絞り出した。
「し……知らない、知らない……」
『しってるか? しってる しってるか?』
人瘤ダルマは巨大な顔を十三に近づけて、同じ問いを繰り返すばかり。
言葉が通じていない。耳がないせい、とも思ったが、一方通行になって会話になっていないように、十三は思った。
姿形こそ、紛れもなく村田マサオであるものの、あの多弁な男とは、とても思えなかった。
「しっ! 知らないっ! オレはッ、何も知らないッ!!!」
話が通じない怪物に、十三は震えながら懸命に答えた。叫んでいるようになった声は、ほぼ悲鳴に近かった。
『価値を かち かち か……まけ まけ……この! 負けぐみがっ!』
返ってきたのは、唐突な激昂。
人瘤ダルマは、振りかぶった腕を、壁に叩きつけた。
駄々をこねた幼児が、泣き喚いて腕を振り回すような、むちゃくちゃな殴打。だが、この重量のある異形の一撃は、たやすくコンクリの壁を砕いた。
返す拳が、十三めがけて振りかぶられる。
逃げ場のない十三は避けることが出来ず、身体が横殴りに殴打された。
咄嗟に腕で身体を庇った、が、床に吹っ飛ばれた十三は、猛烈な痛みを感じて叫んだ。
「ーーーーーぐあぁッ!!!!」
わけのわからない痛みが腕に伝わっている。
見れば、身体を庇った腕が、あらぬ方向に折れていた。あるいはどこかの骨も砕けているのかもしれなかった。視界に入る腕はおもちゃのように潰れ曲がり、まだつながっていることが奇跡とすら思えた。
「う、ぅううう、で……っ、オレ……ッ、う、腕が……!」
『負けではないっ! わたしは負けてないっ! ぶじょ、ぶじょく、侮辱をするなっ! 不名誉だっ!』
「うぅッ……ぐ……ッ」
十三は這いずって、喚きちらすばかりのダルマから逃げようと試みた。
だが無情にも、十三の足に、人瘤ダルマの腕が絡みついてきた。
「やめろ……っ」
悲鳴をあげる十三の足首を力づくで引っ張り寄せたダルマは、十三の首を掴み、持ち上げた。
ーーやばい。死ぬ。死ぬ。
まるで他人事のように、現実感がない。
それでも、明滅するように訴えてくる痛覚の警報が、十三に人生の終わりが近づいていることを訴えてくる。ーーそのときのことだ。
十三の首を囲んだネクタイが、ぼっと音をたてて、一瞬で燃えてなくなった。
「えーーーっ?」
ロウソクの炎が燃え尽きる瞬間のような、奇妙な燃え方だった。突然の発火現象のなかで、赤い糸の刺繍だけが、どうしてか一瞬遅れて燃えたのが、十三の印象に残った。
ダルマの力か、と思ったが、人瘤ダルマは自分の手元で起こった現象に『ん、んー?』と呆けた声をあげて首をかしげている。この”件”の力でないらしいーーだとしたら、一体。
遅れて、ノイズ混ざりの声が、何処からか聞こえてきた。
『午前ーー時 ザザッ ヨモツ山手 外回り内回りザザザッ 電車が発車します 黄色い線の内側に らせんがウロボローーシシャ』
「ーー……?」
十三は苦痛と恐怖に責められながらも、視線だけを動かして、人瘤ダルマの様子を見た。
ダルマの目玉が、ぎょろぎょろと動いている。その視線は、何かを探しているようにも、何かを警戒しているようにも見えた。ダルマもまた、突然の声の主の正体を測りかねているようだった。
先程聞こえてきたあの声は、やはり、村田マサオのものではないらしい。無論、この”件”に首を絞められている十三のものでもない。声は、女の声でもなく、男の声でもない。若くも、老いてもいなかった。
この場にいない、誰のものでもない、第三者の声が、ダルマを混乱させていた。
『誰だッ! 誰だッ! そこにいるのは誰だッ! ーー……!』
わめいたダルマが、ふいに視線を、真上に上げた。
『関東地方全域ーー異常発生。繰り返す。異常発生』『ーーヨダ区SSS級要人、護送車による退避完了。都庁周辺の避難誘導開始ーー』『SS級市民、避難を優先ーー納税額に基づきーーC級Z級は後ーー』
その言葉は。
他ならぬダルマ自身に寄生した、頭部の赤ん坊から、聞こえていた。
当初、不気味な言葉を物語っていたのは、ダルマ頭部の赤ん坊のうち、一つだけだった。
その発声源が、だんだんと増えていく。
『1995ーー01ザザッ99?』ノイズの音。『中西部ザザザッ湖ザザッ霧』『七の月 98……95』『霧、霧。霧霧霧霧霧』『8月 盆会 満月満潮 うぅぅううううううおかあああああああさん』
頭部の赤ん坊たちは、口々に喋っていたかと思うとーーふいに言葉を切って、ぎゃあああああと泣きだした。文字通り、火が点いたように泣き喚いている。
異常なほどの泣き声は、何かに怯えているようにも思えた。
『あッ』
やがて、ダルマ本体の巨大な口が、ぽっかりと丸く開いた。
『ーー……あぁ……それ……そういうこと……か……? ……見える……あぁ見えます……山手……告げている……オオウ……カクシ……オオカクシ……?』
不可解なことをぶつぶつと呟きだしたダルマが、巨大な両手で自身の頬を覆った。同時に十三も拘束から解放され、床に落とされる。
ワケもわからず拘束から放り出された十三は、呆然と”件”を見上げた。
人瘤ダルマは巨大な手のひらで、自身の顔を覆っていた。それは異形の怪物のそれとは思えない、ごくごく人間的な、思慮にふける仕草だった。
ムンクの叫びのように、口元をぎゅうと挟んだ人瘤ダルマはーーぎゅうぎゅうぎゅうと、目玉が飛び出さんばかりに締めつけて、突然叫び出した。
『ーーぁぁあああああ……! ヤメロッ! ワタシは中継局ではないッ!! 発信者だ! ゴミメディアの手先などごめんだッ!』
ダルマが落ち着いていたのは、ごくわずかな間だった。
癇癪を起こしたかのように、再び人瘤ダルマは振りかぶった頭を壁に打ちつけた。衝突の振動が、十三の足元にまで伝わってくる。
『クルナッ! クルナッ! クルナクルナクルナッ! ワタシを支配するなッ!』
人瘤ダルマが、駄々をこねる幼児のように、腕を無茶苦茶にふるう。
トイレの扉が、破壊される。壁のコンクリートが砕け、鏡が割れた。水道管から水が吹き出し、床に穴が空く。一撃でもまともに喰らえば、致命傷になることは確実の殴打。
だが一方で、人瘤ダルマは錯乱して我を失っているように、十三には思えた。
それは、千載一遇のチャンスだった。
十三は這った。ダルマが混乱している間に、少しでもそこから逃げようと、必死に動いた。よだれを垂らし、痛みに耐えて歯をくいしばって、足をひきずって、逃げようとした。
だが、完全に逃れきることはできなかった。
「ううっ」
とうとう、人瘤ダルマの視線に捉えられた十三は、足を掴まれ、そのまま宙吊りにされた。
『いかないでッ! そばにいてッ! ワタシを愛して!』
その勢いのまま、今度は壁に叩きつけられる。
幼児に遊ばれる人形のように、十三の全身は振り回され、壁に打ちつけられた。
「ーーッ!!」
容赦なくコンクリ壁に激突した十三は、声にならない苦鳴に呻いた。
『ワタシを見てっ! どこにもいかないでっ!』
人瘤ダルマは訴えながら無茶苦茶に腕を振るう。壁は砕かれ、床は破壊され、崩れ砕けたそれらは瓦礫と砂塵を生んでいった。
異形になってからも、村田マサオがほんの少しだけ残していた理性はなくなり、ただ破壊するだけの怪物と化していた。
ーーやばい。
ほんとうに死ぬ。
散々叩きつけられ、放り投げられた十三の身体は、崩れた瓦礫の下敷きになっていた。
身動きは、取れない。全身は繋がっていたが、もう、あちこちの感覚がなかった。頭からは砕けたコンクリの欠片と、温かな鮮血が流れてきている。
そして、どうしようもなく、身体が、寒い。
十三の指先は、ぶるぶると痙攣している。痛みを感じているはずの場所は、鈍い信号のように、カチリ、カチリと明滅する痛みだけを伝えてきた。痛いのか、寒いのか、もう十三には判別がつかず、これが死ぬということだと理解しはじめた。
東雲十三は、ついに、己の死に向き合っていた。
ーーあっけないな。
ホントに、なんだったんだろうな。オレの人生。
昨日まで、十三は平凡なサラリーマンだったはずだ。
満員電車に揺られ、平日毎日遅くまで働き、週末の映画だけを楽しみに生きる、安月給の営業マンだった。
ブラック企業だったけど、それでも自分の人生を始められた。母子家庭で生まれ、閉鎖的な田舎にいたときよりもずっと、自分らしく生きてこられた。
これからだった。
これから人生が始まる、はずだったのに。
十三が、己の人生をぼんやりと振り返っていた、
その絶望の縁で。
その声は、あまりにも澄んで、十三の耳に届いた。
「ハングドマン、支えて」
性別不詳のハスキーボイス。
それは、もっとも昏い夜明け前に差す曙光のように、燦然と十三の耳に届いた。
十三は、声が聞こえた方に、ゆっくりと視線を送る。
上等なダークスーツを纏った、少女と少年の狭間にある容姿の、小柄な人物。色素の薄いオールバックは少し乱れ、なんの感情も宿さない大きな瞳は、真っ直ぐに人瘤ダルマを見据えていた。
”社長”。
黒澤棺が、トイレの入口に立っていた。
背筋を伸ばし、凛と佇む黒澤棺の小さな両手には、重苦しい、フィルムカメラが握られていた。
そのレンズは、真っ直ぐにダルマの方を向けられている。
「エンコヅメ」
『了解。マイボーイ』
一人と一機の声を合図に、レンズに螺旋の閃きが灯った。
閃きは時計回りに螺旋を描き、一周回って輪をつくると、チカっと一瞬だけ瞬いた、
次の瞬間、
ドンッ、という凄まじい破壊音と同時に、人瘤ダルマの頭部に、野球ボール大の大穴が空いていた。
『ーーーぎゃああああああああああああああああああああーーー』
風穴を開けられた人瘤ダルマの巨体が、激しくのたうち回っている。
「うるせェ。……ハングドマン、シメて」
『了解。マイボーイ』
AI音声の返事、ののち、血の気のない無数の腕が影から宙へ躍り出た。
腕たちはまっすぐにダルマへと向かい、その巨体を幾重にも締め上げた。
チャーシューのように縛られたダルマが、苦しげに呻く。ビタビタと腕を床に叩きつけて拘束から逃れようとするが、強固な縄のように絡みついた影の腕たちはそれを許さない。
”社長”はその隙を見計らい、十三の元へやってきた。
「シノーー無事、じゃないな。腕、変な方向に曲がってるし。ちょっと燃えてるし。……生きてる? 水、飲めるか?」
「しゃ、ちょう……ーーなんで……」
「親分は、子分を心配するモンだろ?」
十三は、しばしその言葉の意味がわからず、呆然と”社長”を見上げた。
だが、社長が単身、カメラのような銃ーー武器を持ってここまでやってきた、と察したとき、十三の鼻頭は、ツンと痛くなった。
”社長”は、十三を助けるために、ここに来たのだ。
「……ハハ……」
十三は、なんとか自由の利く指をほんの少し動かして、目元に滲んだ涙を拭った。
「……アンタ、さぁ……。ヤクザなんじゃ、ねぇのかよ……。良い人すぎだよ……」
十三の言葉に、”社長”は、少し面食らったようだった。
ただ、気を悪くした様子はなく、唇をモゴモゴと動かして「……そう、かな。そうかもな」と、ばつが悪そうな、照れたような表情を浮かべている。
”社長”は、瓦礫に膝をつき、持ってきたアタッシュケースから荷物を取り出した。そこから出した包帯を、十三の足首にくるくると巻きつける。包帯にはネクタイと同じ、赤い刺繍があった。
「応急処置だ。これで、巫蝕ーーそのヤケドの広がりは、ある程度抑えられるはずだ。ここから出られたら、助かるかもしれねぇーー」
ーーぎりぎりぎり。
そう説明する社長の背中越しに、ぎりぎりと繊維質のものを無理やり引っ張る音がした。
影の腕に縛りつけられた人瘤ダルマが、拘束から逃れようとしているのが見えた。巨大な両手で身体を支え、頭を無理に引き伸ばし、拘束する腕を力づくで引きちぎろうとしている。
力づくで脱しようとする行動とは裏腹に、ダルマは目から血を流していた。
『いかがないでよぉおおおおお……』
と幼児のように泣きわめている。本体に同調して、頭部の赤ん坊もぎゃああぎゃああと激しく泣いた。
”社長”が鋭く舌打ちする。
「マズったな……一撃で仕留められなかった。カッコつけてねぇでとらも連れてくるんだったな」
悔いる”社長”に、十三は声をかけた。
「しゃ、社長、社長……。ダメだ、間に合わない……。はやく、ここから逃げて、ください……。間に合わない……オレは、たぶんもう、ダメだから……」
「黙ってろ」
「わ、かるん、です……この包帯しても、オレはもう、間に合わない……。も……もう少し、したら、オレも他の人、と、同じ……頭吹き飛ぶ、か、全身、火だるまに、なってぇ……社長、巻き込んじまう……かも、しれ……。それは、絶対、イヤだ、から……」
「大丈夫だ。なんとかしてやる。絶対に、助けてやる」
”社長”の声は、いくぶん早口になっていた。
十三の視界が、歪んでいた。
霞む瞳には、涙が滲んでいた。他人の目の前で泣くのは初めてだった。
「なんで、そこまでして……助けてくれるんですか……会ったばっかりじゃないスか……」
”社長”の白い肌には、珠のような汗が浮かんでいた。その人形のような顔に、隠しきれない疲労と焦りが滲んでいた。
”社長”は銀糸のような長い前髪の奥から、十三を見つめ、こう言った。
「言ったろ? おれのこと、心配してくれて、嬉しかったって」
言い終えたあと、照れくさそうに視線をそらした”社長”は、もう一度、繰り返した。
「……本当に、嬉しかったんだ。……誰かに心配されるの、初めてだったから」
それを聞いた、東雲十三は、
「……ーーー」
自分のなかで、”何か”が、広がっていくのがわかった。
”社長”はなおも応急処置を続けながら、語り続けた。
「諦める、な、シノ。オマエの人生はこれからだ」
焦りと疲労で、言葉を噛みそうになっている。
「頑張って生き残って、この地獄みたいな世の中を生きてこうぜ」
少女のように可愛い顔立ちが、ニヒルな笑みを浮かべている。
「生き残れたら、今度こそちゃんと採用してやる。正社員だ。たくさん稼がせてやる。マンションだろうが、車だろうがブランド物だろうが、いくらだって買えるぞ」
そのくせ、語る夢は、少年のように単純で眩しい。
「そうだ、普通のサラリーマンが手に出来ないモンだって用意してやる。ヤクだって、女だって、好き放題だ」
小悪党のような夢を、冗談めかして語る”社長”の言葉に、十三は反応した。
「……おん、な……?」
「あぁ。遊んでみてぇだろ? モデルだろうが芸能人だろうが、オマエ好みの女、集めてやる。外国人だっていいぞ。どんな女だって選び放題だ。いくらだって遊ばせてやる。あと……あとは、なにかな。なにが欲しい?」
「……ハハ」
十三は、自嘲気味に笑った。
「……もう……何もいらねぇや……」
十三の言葉に、社長が怪訝そうに顔をあげた、
次の、一瞬。
数秒にも満たないいっときは、東雲十三の人生の餞となる、一瞬にして永遠の春となった。
十三は残された力を使って、腕に力を込めて身体をゆっくり持ち上げると、
黒澤棺の唇に、口づけた。
棺の、大きな花弁の瞳が、目の前で見開かれていくのがわかった。
棺にとっての”それ”は、よほど予想外の事態だっただろう。まるで猫がビックリしたかのように、小さな身体が緊張して、全身固まっているのが見て取れた。
それでも、十三は唇を離すことはなかった。
棺の柔らかな唇を優しく吸い、わずかに開いたその隙間から、舌を潜ませ、棺のそれと絡ませた。
ビックリして逃げようと引っ込もうとする棺の舌を執拗に追いかけた。歯列をなぞって、唾液を絡ませた。電子タバコのメンソールの味がした。脳髄が痺れるような、甘い味だった。
ようやく唇を離したとき、黒澤棺の身体は、ぐらりとよろめいた。後ろにのけぞり、信じられないものを見るような目で十三を見上げている。
「お……おま、おまえ……なに……」
棺は、案の定、激しく動揺していた。頬が真っ赤に染まって、震えている。とても背中に彫り物がある男に見えない。
可愛くて、愛おしいと、初めて十三は、他人に対して思った。
人生の最期に、こんな人に出会えて幸福だと、心の底から思えた。
「ーー社長……黒澤棺、アンタが好きだ。ホントは、アンタに魂全て捧げて尽くしたい。……でも、もう、叶いそうにないから……オレの23年分の人生全ての想いを、ぜんぶアンタの前途に捧げるよ」
言って、十三はゆっくりと、身体を起こす。
「……シノ……?」
十三は、棺の肩越しに、”そちら”を見た。
ブチブチと、繊維質のものを引き切ろうとする音がしている。
目の前で、人瘤ダルマがついに、黒い腕の拘束から完全に逃れようとしていた。
ダルマを抑え込んでいた黒い腕が、力づくで引っ張られ、ひとつ、またひとつと、諦めるかのように巨大な頭から離れていった。赤ん坊どもがびゃあびゃあとやかましく喚いている。
十三は、そちらを睨み、立ち上がった。ーー立ち上がろうとした。いつもどおりにはいかなかった。なぜなら十三の足は、すでに失われようとしていたからだ。
両足が、炎を纏って燃えている。皮膚や肉だけではない、おそらく骨までも焼けていると思われた。
足の感覚はとうになくなり、寒いのか熱いのか、それすらわからなくなっていた。全身に明滅した痛みは心臓を揺らし、十三に宣告する。足だけではない、オマエはもう、助からないと。
ーーそれで良い。十三は思い、歩みを進めた。
瞬間、膝から下がボロっと砕けて、横に倒れて落ちた。焚き火に放られた枝が折れるように、東雲十三の膝から下は、骨ごと折れて身体から別れていた。
左足も同じようになるだろう、そのわずかな時間で、十三は人瘤ダルマの巨大な身体に飛びついた。
『やめろッ! 依存するなっ! いい加減子ども部屋からは出ろ!』
そうわめく人瘤ダルマの、カエルのような長い腕に、十三は両腕で捕まった。
振りほどこうとする腕に、十三は爪を立て腕の全力を込め、必死でしがみついた。すぐさまダルマの巨腕が薙がれ、十三の身体がコンクリの壁に打ちつけられる。背中をしたたかに打ち、頭がぶつかる。額から流れる血で視界が赤く染まった。身体だけでなく、喉までが灼けようとしていた。足元から昇った炎は、ついに内臓にまで達しようとしていた。
炎は、十三の口腔内まで燃えていた。
喉か、脳みそか、目玉か、どこまで焼けているのか、十三にはもうわからない。腕は黒く焦げて、炭化しようとしていた。燃えて、朽ちようとしている。
それでも十三は、人瘤ダルマにしがみつき、離れなかった。
全身を蝕む痛みも苦しみも死への恐怖も、全てが目の前の”件”への怨念と化していた。
己の命を奪おうとする者への強烈な恨みと憎しみは、十三の非力な腕に、万力の力を宿していた。
ダルマの肥大した腕に、十三は文字通りの全身全霊の力を込め、爪、指、拳を食い込ませた。
十三の灼けた喉元から、咆哮がほとばしる。
「テメェッ! このクソ野郎! よくもオレを殺しやがったな! なめやがってクソが! テメェぶッ殺す! 道連れにしてやるッ!」
そして十三は、いまだ放心する棺を、振り返った。
「社長ッ! こぃつ、ぉ、ブッ殺してぐれえ! オレの仇を、撃ってくれ!」
棺が、戸惑っていたのは、ほんのわずかな間だった。
「ーー任せろ」
立ち上がった黒澤棺は、例の”カメラ銃”を、”件”、そして十三へと向けた。
構えた銃口の先に、白い光が灯った。カメラのレンズのような銃口が、ゆっくりと光の螺旋を描いた。
あの重苦しい銃を構えた社長は、やはり美しかった。神々しいとすら感じた。人生の最期に見る景色にしては、上等だと、十三は笑った。
棺の、決然とした目には、眩しいほどの決意が灯っていた。かすかに潤んでみえたのは、きっと十三が最期に見た、思い込みのせいだろうか。
銃のリールがぎゅるぎゅると激しく音を立てて回転する。リール中央が、『捨参』の文字を刻んでいるのを、十三は見た。
「ムカついた……最高火力でぶっ飛ばしてやる」
棺が、”件”にそう宣言する。
重厚な”カメラ銃”の銃身が、ぶるぶると振動している。集まったエネルギーが、先程よりも数倍の力を蓄えているせいだ。
棺は小さな両手で暴れ狂う銃口を制御し、”件”に狙いを定め、こう宣言した。
「ーー”絶縁”だ、クソ野郎」
瞬間。
銃口に螺旋を描いた青白い光が、”カメラ銃”から放たれた。
ーー轟音。そして、光と、白。
『ぎッーーーーー』
それが、村田マサオの喉を震わせた最後の声となった。
十三の視界の全てが、一瞬だけ、揺れた。
そして、世界は白く塗り潰された。
音と光の奔流が目の前に迫った、十三がそれを視認した次の瞬間には、醜悪なダルマは消え失せて、チリひとつ残さずこの世界から抹消された。
東雲十三と共に。
次回は10月7日(火曜日)更新予定です。あと2回更新で、一話終了となります。




