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バッドランズ・グレイアウト  作者: 梅屋凹州


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一話・4

4.


 時刻は、深夜二時を過ぎた頃。


 東雲十三は、まだ、バイト・ア・ダストに残っていた。


 せっかく得た仕事を、このままフイにしていいか、決断できなかったこともある。あの村田マサオーー鷲鼻の男の言葉が気になったこともある。

 だが一番の気がかりは、”社長”の言葉だった。


 ーー本当に、このまま帰宅して良いのだろうか。


 十三は迷いを晴らせないまま、オークション会場の客席部分に戻っていた。

 ちょうどオークションは、休憩時間に入っていたようだった。そのおかげで、十三は運よく人の流れにのってオークション会場の客席に紛れ込む事ができた。

 ビルの入口で”社長”に着けてもらった”ヤード”の()()()()()()というネクタイのおかげか、警備員らしきインカムをつけた男たちは、十三を見ても何も言ってはこなかった。


 とはいえ、十三の今いる客席から、上の階層にあるVIPルームの様子を窺うことはできなかった。高さの問題だけでなく、おそらく防犯上の理由で、ガラスにスモークか何か、特殊な加工をしているのだろう。

 この客席にいる、セレブ揃いの客たちよりも、さらに高みに”社長”はいる。この狂ったオークションを、取り仕切る側として。

 ーーさっきまであんなに近くにいたのが、嘘のようだ。

 自分のなかに寂しさに似た感情が浮かんでいるのを、十三は感じていた。今更、なんの意味もないというのに。


「さぁ皆様、再開のお時間となりました! 次が、本日最後の出品にしてメインイベントでございます!」

 そうしている間に、ステージ上に進行役のガスマスクの男が再び姿を現していた。


 どうやら、次が”ヤード”の最後の出品であるらしい。

 本物の”件”を提供するというヤードの、大トリの商品。

 期待感のせいか、会場は、沈黙に包まれていた。ただ静かなだけではない。今までにない、重苦しい緊張感だった。


「それでは早速ご紹介いたしましょう! 目録番号665、赤子のミイラ”クマントーン”でございます!」


 進行役の声を合図に、例の双子のような二人の係員が、ステージに台車が運んでくる。その上には、例の”社長”にしか解錠できないというジュラルミンケースーー”キャビン”が乗っていた。

 今回のケースは、先ほど十三が見たものより、横幅も長さも奥行きもある、水槽ぐらいの大きさのケースだった。つまり、”件”もそれほどの大きさがあるのだろう。今はまだ、例の如くロックがかかって、中身の全容までは見えない。

 進行役のガスマスクが説明を加える。

「本日最後の商品であるこちらは、東南アジアのとある半島で見つけられた、赤子のミイラ・クマントーンでございます。クマントーンといえば、一般的には赤子の形をした容れ物に遺灰をいれた幸運のお守りのことを示しますが、これはまじないの力を強めるために、本物の赤ん坊の遺体が用いられた一品となっております!」

 会場がざわざわとざわめき出す。この反応をむしろ楽しんでいるとでもいうように、ガスマスクが喜々として続けた。

「こちらのクマントーンを供物として神に捧げたある部族は、そのあまりに強い力によって逆に神霊の怒りをかい、一夜にして滅びてしまったと言われております! その呪の力が如何ほどか、ただいまから皆様に、ご覧に入れましょう!」


 前口上を終えたガスマスクが、客たちの拍手を浴びた。

 それと同時に、柿色のつなぎを着た男が、舞台袖からのっそりと現れた。

「あっ」

 十三は思わず声をあげた。

 ーーあいつ。

 あの鷲鼻の男。間違いない。さっき十三が、トイレで会ったばかりの男ーー村田マサオだ。スポットライトを浴びてステージを歩く様は、役者のように堂々としていた。

 でも、と十三は動揺する。あのツナギを着てステージに立っているということは、つまり、先程の男と同様に、”件”のお試しに使われるということではないのか。血を吐いて倒れた、あのうらびれた身なりの男と同様に。

 村田マサオはステージの中央に立つと、うやうやしく頭を下げた。顔には、例の張りついたような笑顔が浮かべている。

「それでは実演をーー」

「皆々さま!」

 進行役の口上を遮ったのは、村田マサオだった。

 会場の人間が気圧されるほどの、堂々たる発声だった。会場にいたほとんどの人たちが、気圧されているのがわかった。

 それもそうだろう。彼らにしたら、これから見世物として消費されるだけの命が、語りだしたのだ。客席はどよめき、自然と彼に注目が集まった。

 村田マサオが続ける。

「会場にお集まりの、寛容なる紳士淑女のみなさま、どうかわたくしに慈悲を! この死にゆく男に、わずかばかりの猶予をくださらないでしょうか! わたくしは死ぬ前に、どうか聞いていただきたいのです! わたくし、村田マサオという一人の人間が! どのように生き、そして死んでいくのかを!」

 困惑するようなどよめきが会場に満ちた。


 騒然とする会場のなか、ステージ下に集まってきた警備員たちが、インカムで誰からか指示を受けているのを十三は見た。当然ながら、村田マサオの発言は、進行にはないはずだ。アクシデントには違いないのだろうが、主催側がストップをかけないのだろう。結果として警備員が村田マサオの話を止めることはなかった。

 どうせこれから死にゆく者の末期の語りなのだから、好きにさせろ、ということだろうか。

 やがて客席からも、パチ、パチ、とまばらな拍手が起こった。客たちも、村田マサオが語ることをを許可したようだった。

「ありがとう! ありがとう! それでは聞いてください。わたくしは近畿地方に生まれ……」


 客たちの承認を得た村田マサオは、一呼吸置き、語り出した。

 自分がどんな街で生まれ、どんな少年時代を送ったか。どんな思いで学校に通ったか。

 ただ生きているだけで、どれだけ人に罵られ、笑われてきたか。不条理に嫌気がさし、学校に行けなかったかわり、多くの本を読み、やがて自らの力だけで悟りを開いたこと。世の真理に至るべく、自ら俗世との別れを決意して、浄土へ向かう決意をしたこと。

 そういったことを、村田マサオは、大勢のセレブたちを前に、滔々と語った。


 だが、話を聞かされている観客たちの反応は、当然ながら冷ややかなものだった。

 白けた顔をしている者がほとんどだったが、あからさまにイライラしている者もいれば、嘲笑っている者もいた。

「なんか語ってるよ」「怖……」「おい、いつまで続くんだこれは。時間の無駄だ。早く黙らせろよ」「そんなに自分を語りたいなら、ネットにでも書き込めばいいのにねェ」「書き込んでも誰にも読んでもらえないんだろ。便所の落書き以下だよ」「おい、誰かちゃんと聞いてやれよ」「いいんじゃないか。彼はいまが人生最期の時間なんだから。聞いてあげようよ。あと数分の命なんだし……」


 会場の客たちが村田マサオを嘲り笑いあっているのが、十三は間近に聞こえていた。

 それはそうだろう。至極当然の反応だと十三も思った。


 みんな他人の人生など、興味がないのだ。芸能人でもない一般人、しかも自殺志願するような弱者男性の人生ならなおさら。

 自分以外の人間がどんな悲惨な人生を送ろうとも、一切どうでもいい。

 それなのに村田マサオという男は、客にどう思われているのかなど考えもせず、延々と自分語りを続けている。他人である十三でも、共感して羞恥心を覚えるほどだった。


 しかし村田マサオは会場の反応など気にする様子もなく、演説とも口上ともつかない自分語りを延々と続けている。


 誰もが飽きだしたころ、村田マサオは、ようやく満足して語り終えたようだった。

 肩で大きく息を吐くと、ステージの客たちに向かってうやうやしく頭をさげた。

「みなさま、ご清聴ありがとうございました。この場を設けてくださったこと、真に感謝いたします」

 そういう村田マサオの言葉には、心からの深い感謝が込められているように聞こえた。

 多くの者は白けた目で村田マサオを見ているままだったが、なかには拍手を送る者もいた。


「えー……それでは、少々ハプニングがございましたが。これより、出品をいたします。目録番号665! 赤ん坊のミイラでございます!」

 ようやく進行を取り戻せたガスマスクが、ちらと舞台袖を見て合図を送った。

 ほどなく、重苦しい音を立てて、”キャビン”の鍵が開かれた。

 おそらく”社長”の指示が飛んだのだ。あのAIによる、解錠の指示が。


 うっすらと鍵が開いた”キャビン”のケースが、進行役の男の手によって開かれようとしている。

 その奥に、薄闇のなかに、小さな人の足のようなものが収められているのを、十三は目視した、が、


 ーー直視するな。


 ”社長”の指示を思い出し、十三はすぐさま目を逸らした。

 目をそらした十三とは反対に、”件”を目にしたらしいたくさんの人々のどよめきが聞こえる。きゃあと甲高い女の悲鳴が聞こえた。よほど恐ろしいモノが”キャビン”にあったのか。十三も自分自身の目で確認したかったが、”社長”の忠告を守るべきだ、と思ったーーもう上司ではなかったとしても。

 しかし、目を逸らしたはずの十三の全身に、怖気が走っていた。


 ステージの方から、気配がする。

 それは、重力だった。

 ステージの方から飛んでくるずしりとした重みが、十三の”存在”を圧倒している。

 考えるまでもなく、それはたった今キャビンから解放されたばかりの”件”のせいだとわかる。

 ーー今までとは、違う。

 恐怖の、格が違う。


 十三の全身が、総毛立っていた。

 この場にいたくない。十三の本能が、そう叫んでいる。

 人間誰しも、目の前に狼やヒグマが現れたら、恐怖を覚えるだろう。

 ーーこれも、そうだ。

 たとえ未知なるモノだとしても、実際に猛獣を目にした経験がなくても、生物としての人間に刻まれた防衛本能が、アラートを鳴らしている。

 ”社長”が言っていた、ホンモノの”件”の意味を、十三は身をもって体感した。


 ーーこれは、危険だ。

 ーーあまりにも、危険すぎる。

 客席の何人かも、この”件”の脅威を敏感に感じ取ったのだろう、身体をすくませて怯える者もいれば、慌ててどこかに逃げ走っていく者もいた。

「さァみなさま、ただいまより、”件”の力をご覧に入れます!」

 ステージでは、ガスマスクをつけた二人組の男が現れ、村田マサオを後ろから取り押さえようとしていた。また、あの”件”の前に立たせるのだろう。逃げられないように。ちゃんと”死に映え”するように。


 ーーそのとき、村田マサオが、かっと表情を変えた。


 屈託のない、満面の笑顔だった。大人がここまで晴れ晴れとした笑顔になれることは早々ない、それはそれは見事な笑顔だった。

 村田マサオは笑い、その場で素早く身をひねった。年齢に合わない俊敏な動きで、男は警備員たちをほんのわずかの時間、翻弄した。


 逃げる、と、会場にいる誰もが思ったことだろう。無駄なことを、と嘲り笑った人間もいたことだろう。

 この村田マサオの一瞬の抵抗は、東雲十三の目にも不可解で意味不明なものに写った。なぜ自殺志願をしてこの場にいるはずの男が、今更、抵抗を? ーー十三をはじめ、多くの人が抱いたであろう疑問は、次の瞬間に、解けた。

 最悪の形で。


 村田マサオは、キャビンの中の”件”に手を伸ばすと、

 節くれだった手で素早くミイラを掴み、それを口のなかに運んだ。


 彼の口のなかで、ばきばきっ、と、繊維質の何かを砕く音が聞こえた。小さくなった赤子のミイラの、木の皮のようにひからびた全身を、村田マサオは口いっぱいに頬張ると、ごくんと喉を大きく鳴らして、飲みくだした。


 食った。

 ”件”を、村田マサオは、食った。

 しん、とその場が静寂に包まれたのは、ほんのわずかのこと。

 一瞬ののちに、会場は、混乱の渦に飲み込まれた。


「ーー食った!」「嘘でしょう!?」「おい、マジかよ!」「ーー”件”を、食いやがった!」

 客たちの叫びには、驚愕と、いくぶんかの興奮が混じっていた。


 すぐさま、会場に控えていた警備員がステージに飛んできた。その数は十数名に及ぶ。いずれも、ガラの悪い体格の良い男たちばかりだったが、そんな彼らにもこれは予測不能な出来事だったのだろう、血相を変えて村田マサオに詰め寄っている。

「おいてめぇ、動くな!」「このクソ野郎が!」「吐き出せ!いま食ったモンすぐ吐き出しやがれ!」

 突然の事態に半ばパニック状態に陥った警備員たちだったが、それでも彼らは職務を全うしようとした。それぞれがベルトに提げていた警棒を構え、村田マサオに詰め寄った。


 銃口を向けられた村田マサオは、口元を抑え、その場にかがみ込んでいた。

 おおっ、おうっ、全身を弓なりにまげて、大きく肩を上下させている。無理もなかった。人間の死体を口にしたのだ。吐瀉する、と誰もが思った。


 だが、村田マサオは吐かなかった。

 かわりに、その喉元からーー赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。


 ーーーぎゃあああん。おぎゃあああああ。

 深夜のオークション会場に、赤ん坊などいるはずもない。

 だが、それは確かに、会場の中心、ステージから聞こえていた。

 村田マサオの体内から、聞こえていた。


 ーーごくん。

 嚥下音。

 せり上がってきた吐瀉物で、リスのように頬袋を膨らませた村田マサオは、喉を逆流しようとしたそれをごくりと飲み込み、再度自分の胃の腑に戻した。

 気色の悪い光景を間近で見ていた警備員たちが、嫌悪感に顔をしかめている。

 彼らを尻目に、ヨダレを拭った村田マサオは、ゆらりと幽鬼のように立ち上がると、こう宣誓した。


「ーーさァ、みなさま」


 口の周りを、乾いた血と”件”の皮膚片で汚した村田マサオは、壮絶な笑顔をつくっていた。

 血走った大きな目を天井に向け、奇怪な男は、その宣誓を会場中に響き渡らせた。


「一緒に、逝きましょう」


 ひーっ、ひゃっひゃっひゃっひゃっ、ひーっ、ひひぃひぃー。

 村田マサオの発した言葉と狂笑は、宣戦布告にして、克己。そして、勝利の宣言のように、東雲十三には聞こえた。

 その考えは決して間違いではなかったことを、十三はすぐに思い知る。


 ーー村田マサオの哄笑を、引き金に。

 平凡な世界は、変容した。


「、ゥ、ぐウゔウッ!?」

 口を両手で覆った村田マサオの頭部が、ぼごん、ぼこん、と歪に膨れ上がった。

 まるで内側から殴られているかのように、コブ状の大きな突起がいくつも飛び出た村田マサオの頭は、まるでぶどうのようだった。


 客席の誰もが、その光景に呆然としながらも目を離せず、絶句し、動けずにいた、

 その頃には、おそらく全てが、手遅れになっていた。


 村田マサオの頭部の膨らんだコブのうち、ひとつが、ぴしっと音をたてて一文字に裂けた。

 皮膚が裂けた拍子に、血しぶきが雨となって近くの警備員に降り注ぐ。

「うわぁあッ!」

 もろに村田マサオの血を浴びた顎髭の警備員は、悲鳴をあげ、顔面に降ってきた血をぬぐった。

「目、くそ、目に血が入りやがった……! あぁっ! 汚ねェ! ちくしょうが!」

「おいッ、だ、大丈夫か! ……て、テメェ、テメェ……! このッ……!」

 仲間の童顔の警備員が、村田マサオに詰め寄ろうとした。だが、村田マサオのあまりに異様な様子に、詰め切ることが出来ずにいた。


 村田マサオは、苦しげに両手で頭を抱え込んでいた。

 飛び出した目玉は充血し、「ううう、ううう」とヨダレをだらりと垂らしながら、獣のように苦しげな声をあげている。

 その血まみれの頭部の、熟しきったブドウの皮のように裂けたコブから、真っ赤な実がぶるぶると頭を出した。

 実のように見えたのは、テニスボールぐらいの大きさの、血にまみれた赤ん坊の頭部だった。

 男の頭から産まれた赤ん坊は、「ぎゃあ」と産声をあげ始める。

 同じように、村田マサオの頭部にできた全てのコブが裂けて、いくつもの赤ん坊がぬるりと頭を出し、産声をあげた。

 ぎゃああ。おんぎゃああああああ。ぎぃやああああああ。


「ーーう、わぁあ、」

 そのあまりにも醜悪な姿に、ステージの近くにいた客のひとりが、情けない声をあげた。

 それが前奏になったかのように。

 会場中の客が、恐とパニックに染まった悲鳴を口々にあげた。

 あたかも、輪唱のようになったそれは、まさしく惨劇を飾る序曲となった。


 まず、異変が起こったのは、村田マサオの近くにいた警備員だった。

 村田マサオの頭が裂けた拍子に、飛び散った鮮血をもろに浴びた、あの顎髭の警備員だ。

 手や服で懸命に血を拭っていた警備員は、突如手を止め、目を白黒とさせたかと思うと、

「……ッ、あ、あ、あぁ……?」

 その場に崩れ落ち、顔を両手で覆った。

「おいッ、どうした!?」

 仲間の童顔の警備員が彼の顔を覗き込む、と、

「あ、あぁ、あーーー熱ぃ、オレの、顔、あ、あぁ、あづいぃいいいいい……!」

 鮮血を浴びた顎髭の警備員が、喉の奥からくぐもった悲鳴を漏らした、次の瞬間。

「だぁあああああすげぇてぇえええええええええ」

 浴びた鮮血をなぞる形で、顎髭の警備員の顔面から、ふいごのように赤い炎が吹き出した。


 一瞬の出来事だった。

 顎髭の警備員の肌の表面に、稲光に似た赤い光が走ったかと思うと、次の瞬間には警備員の頭部全体が、炎に包まれていた。

 まるで身体の内側から炎が吹き出したような、あまりにも異常な現象だった。

「……え……、え、え……? おま、え……なんで……」

 同僚の突然の変容に、童顔の警備員は、なすすべもなく立ち尽くしている。

「ボボだだたたたたボボボボ す ボボボボけ でてええええ……」

 頭部がトーチのように燃え盛っている顎髭の元警備員は、手探りで周囲へ助けを求めたが、差し出した腕は、どこともない明後日の方へ向かうばかりだった。当然だろう。

 その顔は、もう目がないどころか、「顔」と呼ぶことすら憚れるひとつの炎と化していたのだから。


「ボボボボあづ……燃えボボボボ……たすけ…ボボボで……」

 元警備員だったトーチ人間は、外見はすでに人ではなくなっているのに、人間の言葉で、助けを求め続ける。

 トーチ人間は、ふらついた足取りで、もっとも近くにいた童顔の警備員に近づいた。

 元同僚の異形が自分に接近していることに気づいた童顔の警備員がわめく。

「くるな……ッ! う、うわ、来るなッ! こっちに来ないでくれえっ!」

 童顔の警備員の懇願は、破裂音にかき消された。

 トーチ人間となった元警備員の身体が、その場で突然、爆発し四散したのだ。

 童顔の警備員の顔や身体に、トーチ人間の血や臓物が飛び散る。

 自分の顔にかかった返り血を、「え……?」と呆然と眺めていた童顔の警備員だったが、すぐに悲鳴をあげだした。


「あっ。ーーぁ、ああ、熱い! おれも燃えーーいやだ、誰かぁああああああ!!!」


 童顔の警備員の身体もまた、付着した血液をなぞる形で、炎が燃えあがった。

 恐慌状態になった童顔の警備員は腕を振り、わめきながら火を消そうとその場に転げ回る。しかし、彼の身体の内側から燃え盛る炎は、それだけでは消えようとはしなかった。

「おい! おい、動くな! すぐに助ける!」

 応援にかけつけた他の警備員たちが、童顔の警備員に向かって、一斉に消火器を噴射した。ステージを中心に、会場一帯が消火剤の煙で白く包まれる。


 視界が遮られ、ステージで何が起こっているのか全くわからない状況でーー若い女性の叫び声が、次の惨劇の開幕を告げた。


 ステージ前、最前列の座席にいた、風俗嬢らしい盛られた頭の派手な女だった。

 足をくじいて逃げそこねたらしい女の甲高い叫びは、すぐに「あぁつい!  やだァッ! あつい!!!」という絶叫に変わった。その足首から下半身にかけて、飛び散った血がべっとりとついている。

 例の”触れた者を炎に包む血”に違いなかった。消火剤の白い煙に包まれた会場のなか、女がいつどこでそれを浴びたのか判然としない。だが、女が次の犠牲者になるであろうことは、誰の目にも明らかだった。

「ねぇ助けて! 熱いの! 助けてよ! おれが守ってやるっていっつも言ってるじゃない! 助けて! なんとかしてよ!」


 女は絶叫して、連れらしき男に助けを求めている。

 一足先に通路に逃げて難を逃れていたらしい男は、一瞬女の方を振り返ると、他人を見るような目で女を睨みつけた。

「うるせぇ! こっちに来るんじゃねぇ!」

 男は叫び、自らは人の波を押しのけて「どけ! おれを通せカスども!」と怒鳴りながら出口へ急ごうとする。


 残された女は、凄まじい表情で男の背中を睨みつけると、金切り声で叫んだ。

「……クソ野郎……ちくしょう! くたばれ! 呪ってやる! テメェの会社も女房もガキも、みんなみんな呪い殺してやるからな! 覚えとけ! クソ野郎! 地獄に落ちろ! 落ちろよォおおお!!! うゎああああああ!!」

 絶叫した女は、血にまみれた自分のヒールを投げつけた。ヒールが明後日の方向に落ちた頃、持ち主の頭部は、赤い炎を立ち昇らせる炎と転じていた。


 ーー誰かぁあああああ 熱いよぉおおおお 助けてぇよぉおお……


 トーチ人間となった女は、苦鳴をあげながら、他の生存者たちに手を伸ばす。助けを求めるためか、あるいは、同じ苦しみを味わわせるためか。

 会場からの脱出に夢中になっている人々の多くは、その危機的状況に、最期まで気づくことはなかった。

 出口付近の人垣の最後尾でまごついている一人のサラリーマンの背中に、トーチ人間が追いついた。

 ーーねぇえええ助けてぇええよォおおおお……パパぁあああああ……

 濁った叫びをあげながら、トーチ人間がサラリーマンの背中にすがりついた。

「おいっ!? なんだ、やめろ! 熱ぃ! えっ、なんッ、で……! 熱い! おい、あッヅいぞ!! 誰か!」

 飛びつかれた男は、ようやく自分の身に起こったことに気づいたが、時すでに遅かった。スーツにはすでに火が燃え伝染り、瞬く間に、サラリーマンの全身が炎に巻かれる。


 そのときになって、出口に殺到していた他の人々もようやく、己が身に迫る危険に気づいた。

 パニックを起こした群衆から悲鳴と怒声があがる。だが、会場からの脱出路である劇場の出口は広くはない。大勢がひとつの出口に殺到した結果、人の流れがごつごつと詰まり、かえって多くの人間が逃げ遅れる結果となった。


 脱出に遅れた人々は、すでにトーチ人間と化していたドレスの女やサラリーマンの男にとって、格好の餌食となった。

 トーチ人間は彼らの最後尾に駆け寄ると、その身体に飛びついて、次々に犠牲者を増やしていった。


 苦痛と憎しみを吐きちらすトーチ人間と、それらに追われる恐怖におののく生存者の怒声と悲鳴は、さながらスプラッタ映画の一幕のように会場に響き渡った。


「やめて! こっちに近づかないで!」

 妙齢の女性が、新たに生まれたトーチ人間から逃げ惑いながら叫ぶ。

「助けてくれ! おい、誰か助けろよ!」

 両腕にトーチ人間の血が付着した男は、怒号をあげて救助を求める。

「なんで入口詰まってんだよ! 早くしろ! 通せ!」「ねェ警察は!?」「呼べるワケねぇだろ! いいから早く逃げろ!」「ねえ出口どっち!? 非常階段は!?」「わ、私の荷物は…?! アレの中身が流出したら、わ、我が家は終わりだ……!」


 パニックを起こした会場の客たちは、悲鳴をあげながら我さきにと出入り口に殺到していた。

 躓き、もつれ、怒声をあげながら、みな必死の形相で出口に向かっている。誰しも助け合うことなど出来ず、ただ自分の命を守るために必死だった。恋人や、仲間や、友人を見捨ててでも、己が身を一番に、脱出を目指した。


 全方位へ、殺意が広がる。

 燃える。燃える。燃える。

 人が燃える。会場が燃える。

 全てが、燃えていく。


 逃げ惑う客と、”件”の犠牲となった客の、狭間で。

 東雲十三は、その光景をただ、見ていた。


 脱出路は人で塞がれ、下手に動けば巻き込まれる。

 そう判断した十三は、座席後方の中ほどで、椅子にすがりついて身を潜めていた。どこにも動けず、座席と座席の間で身を隠すのが精一杯だったのだ。


 そうしていた十三の耳に、やがて、奇妙な音が届いた。 


 ずるッ……ぺたッ……ずる……ッ

 異様な音。

 例えるならそれは、重たい荷物を億劫そうにひきずる音と、濡れた足で板張りの廊下を歩いたときのような、湿った音。

 交互に聞こえていたその粘着質な音は、ステージから聞こえてきていた。


 時を同じくして、消火器による白い煙が、ようやく晴れようとしていた。

 十三はその先に、目をこらす。


 消火剤の煙が晴れたステージ上。

 黒く焼け焦げ、頭を爆散させた警備員たちの亡骸の中心、

 そこに、一つの異形の姿があった。


「……なん……だ……あれ……」

 呟いた十三の声は、恐怖で掠れていた。


 ステージの中心にーー異形なる、巨体のダルマがあった。


 水死体のように、ぶくぶくと膨れ上がった、巨大な頭。身体はなく、頭部だけで、耳がない。その頭は無数の赤ん坊の顔で膨れ上がっていた。ぶどうか、ブロッコリーに似たその姿は、まるで醜悪な生物の卵がいくつも、頭部に寄生しているようだった。目が開かない赤ん坊たちは、「んぎゃあ」「おぎゃああ」ともどかしそうに口を動かしている。


 両の足は、巨大な頭に潰されて見えない。そのかわり、腕が異常に長く伸びていた。関節が二つ、長く伸びた腕は深海生物のように生白くたるんで、なんらかの粘膜に包まれているかのようにぬめっていた。身体を支える手は、人間の頭より巨大で、指の本数が減ったかわり、水かきのようなエラがある。

 口は、カエルのように横に大きく裂かれていた。頭部の赤ん坊たちに押しつぶされながら、真円の形をした大きな目はぎょろぎょろと動き、周囲を睥睨していた。


 あのぎょろぎょろとした目に、十三は覚えがある。

 村田マサオだ。

 この惨劇を引き起こした、あの男だ。

 異形に変じた村田マサオは、満足げに笑みを浮かべ、周囲を見渡した。


「みみみ みなさま ごき、げん、よぉおおおお」


 潰れた口で、村田マサオだった男は言い、笑った。


 その瞳孔は、周囲を得意げに見回したあと、唐突に上へと跳ね上がった。それはちょうど、劇場型のオークション会場にスポットライトを浴びせるあたり、ひとつ上の階層あたりを見つめていた。

 その視線の先にいたのは。

「……あッーー」

 十三は、戦慄した。


次回は10月3日(木)更新予定です。

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