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エッセイ

【シサマ通算200作記念】生成AI出現の中、これからのクリエイターに改めて求められる「ライブパフォーマンス能力」

作者: シサマ


 皆様今晩は! シサマという者です。


 

 私がこの『小説家になろう』サイトに初めて作品を投稿したのは、2019年10月2日。

 それからほぼ5年、遂に私の作品が通算200作を数える事となりました!


 文字数の過半数を占めるのは、代表作である『バンドー』シリーズの2作品ですが、この作品数に加えて、100000文字以上の作品が5作品あるという現実。

 これはもう、ひとりの人間の(黒?)歴史として、いち趣味を超越したアーカイブであると胸を張りましょう(笑)!


 そんな私も、今年は主に仕事が原因で創作活動が停滞した現実が否めません。

 そこで一念発起、記念すべき通算200作目は敢えて物議を醸しかねない題材で、馴染みのユーザー以外からの意見も呼び込んで創作のための刺激を受けようと目論みました。


 

 まずはじめに、本エッセイのテーマは、生成AIが世に出た中でのクリエイターとの共存の可能性。

 そして共存の道を選ばないクリエイターにとってはより重要な『スキルの自立』の模索、といった表現になります。



 AIそのものが開発された頃には、人間に代わって事務や単純作業をしてくれる、故に事務職や単純作業の労働者はこれから淘汰されていく……などの憶測が流れていた様に思えました。

 ところが現在、一足早く発展してしまった生成AIを巡るトラブルが世界を席巻し、クリエイターの権利や著作権の侵害を防ぐための法整備の必要に迫られているという現実がある事は、このエッセイに目を通してくれている方々ならご存知でしょう。


 

 私自身の生成AIに対するスタンスとして、これからの時代に生成AIを封印する事は不可能だろうという意見を、まずは表明させていただきます。

 しかしながら、私個人は職場に強制でもされない限り生成AIに触れるつもりはありませんし、ましてや創作活動に利用するつもりがあるかと訊かれたら、利用しない、そもそも全く興味がないと言わせていただきますね。


 前者に関しては、既に資料作成などの分野に於いて、一部の企業やビジネスの現場に生成AIが使われている点が挙げられます。

 加えて、これからの若い世代には、評価されないルーティン雑用に忙殺されて当たり前という、「日本の古いしきたり」を断ち切り、プレゼンなどに集中出来る環境作りとしての「生成AI利用」には意義があると考えているのです。


 後者に関しては、私個人が「効率化」や「トレンドへの目配せ」などに興味がなく、創作活動で収益を得る事や、いち人間としての柔軟性や客観性、同時代性を敢えて示す事を重要視していないから……と結論づけさせていただきました。

 私個人という人間の評価は、家族や友人、職場や近所の人達に委ねようという認識ですね。



 現在、特にネットの世界では、「生成AI肯定・推進派」と「生成AI否定・規制派」の対立が激化している様に見えます。

 

 ただ実際のところ、生成AIの未来を真面目に考えている人間であれば、今は口をつぐむしかないという結論にならざるを得ません。

 肯定派も否定派も、互いに自身の感情論や相手への冷笑を繰り返すばかりで、安心して叩ける人間以外の意見は敢えて求めていない……言わば当事者不在の論争の方が白熱しているのですから。



 生成AIの問題に特に敏感な職種は、漫画家、イラストレーター、アニメーター、声優、ナレーターなど。

 彼ら、彼女らの一部は実際にデータの盗用や無断使用という被害を受けており、加害者側に収益が発生するケースも見られます。


 SNSの蔓延にユーザーの承認欲求が融合し、初志はどうあれプライベート利用を超越したこの現実こそが、法整備なしに生成AIという発明を盲目的に肯定してはいけない……その裏付けとなっていますね。


 とは言うものの、前述のクリエイター職が所属しているのは、そもそも「生活出来ないレベルのプロフェッショナル」を数多く抱える業界であり、加えてそのレベルのクリエイターを活用しなければ業界が回らない程の構造的欠陥が見られます。 

 法整備と口にするのは簡単ですが、この構造的欠陥を同時に改善する必要があるでしょう。


 

 そこで、生成AIに現在必要な対策とは、まずはメーカー側の責任を示した新製品開発だと思います。

 具体的には、取り込んだ生成画像や生成音声から、学習元の一覧が画像や記号で表示されるソフトなどですね。


 ネットで拾った画像や音声データは勿論の事、デジカメやスマホのカメラで撮影した画像、CDなどから取り込んだ音声データであっても、作業にパソコンや生成AIソフトを通すので、新製品開発とユーザーへの所有義務化は不可能ではないと考えます。

 クリエイター本人やファンを通じて追及された疑問に対し、ユーザーは学習データを示して無実を証明、或いは著作権侵害の賠償金を支払うという形になるでしょう。


 ただ、いちいち大小の疑問を解決するには、この世界はスケールが広がりすぎました。

 著作権侵害の罰は賠償金という形ではなく、やがてユーザーの収益から学習先へと支払われる『印税』の様な形に落ち着くと思われます。

 

 労せず丸儲けという手段を奪われた時、悪質なユーザーであればあるほど、生成AIからはびっくりするくらいあっさりと手を引きますよ。

 著作権侵害を換金する決断を下した時点で、彼らにはオリジナルへのリスペクトは勿論、歪んだプロ意識に押された結果、そのジャンルを楽しんだ記憶というものも残っていないのですからね。


 クリエイター側の心得としては、目先の悲劇に絶望する事なく、希望が開けるまでその道の努力と進歩を怠らない事。

 これはあらゆる人生に当てはまる教訓であり、この『小説家になろう』サイトで活動するユーザーにとっても最重要課題であるといっていいでしょう。


 

 ちなみに私個人としては、生成AIというものを知る第一段階として、既存の生成物の模倣や学習は避けられない現実であると考えています。

 イラストレーターや声優だって、第一段階では好きな作家の絵を真似る、好きな役者のセリフ回しを真似るといった行為から「夢」が広がっていく訳であり、ネット上の学習、ましてや当該作家や当該声優の書籍や番組からの学習を禁じて、次代のクリエイターを育てる事は至難の業ですからね。


 勿論、露骨な学習行為は作品のプライベート利用にとどめる事が大前提であり、現在クリエイター側がウォーターマークをつけて自衛したり、生成AIによる学習行為を許可していないプラットフォームへの移籍を模索する事は当然の権利です。

 効果の程や自身の過去の価値観などとは切り離し、絶望する事なく希望が開けるまでの努力と、進歩を怠らないための行動であると理解する事が必要でしょう。


 

 

 ……さて、ここまではややサブカル寄りのクリエイターの立場から考察を行ってきましたが、後半からは私個人も力を入れている「音楽」に於ける新発明の歴史を、並行して取り上げたいと思います。



 今では笑い話の様に聞こえるでしょうが、ロック・バンドなどでお馴染みの「エレクトリック・ベース」が開発された時、ウッド・ベースという楽器は音楽ビジネスから姿を消し、ウッド・ベース奏者は全員失業すると言われていました。

 エレクトリック・ギターに比べて、アコースティック楽器との音質の差が少なく、ウッド・ベースとは比較にならない優れた可搬性を備えたエレクトリック・ベースは、少なくとも机上の理論では理想的な楽器だったのですね。


 ジャズ・ベースの巨匠、ロン・カーターも、ウッド・ベースしか弾けないと大会場での仕事がもらえない事から、渋々エレクトリック・ベースをマスター。

 しかし、彼はどうしてもウッド・ベースにこだわりたかったため、エレクトリック・ベースを要求する大御所、マイルス・デイビスのバンドから脱退を申し出る程でした。



 しかし、目先の悲劇に絶望せず、希望を捨てずに努力と進歩を怠らなかったミュージシャンを助ける新製品が、楽器メーカーから開発されます。

 ウッド・ベースに取り付けて生音を増幅するマイク、「ウッド・ベース専用ピックアップ」と、「ウッド・ベース専用アンプ」です。


 ロン・カーターをはじめ、エレクトリック・ベースとの共存を模索していたベーシスト達は、ウッド・ベースでも大会場でのライブを実現し、更にはエレクトリック・ベースの奏法を活かしてウッド・ベースの可能性を広げました。

 後のロン・カーターのトレードマークとなったのは、エレクトリック・ベースばりに音を長く伸ばしてバッキングもソロと同じくらいに目立ってしまう、賛否両論の奏法だったんですよね(笑)。


 

 音楽の新発明、続いては「ドラムマシン」。

 それまでは練習用のメトロノームに代わり、レコーディングのガイドとして使用されていたリズムマシン程度の発明しかなく、ドラマーはあらゆる音楽ジャンルで必要不可欠な存在でした。


 しかし1980年代、サンプリング技術の発明で生ドラムのサウンドを再現したドラムマシン、『リン・ドラム』が開発され、今度はドラマーが失業すると言われたのです。


 リン・ドラムは80年代前半の音楽シーンを席巻し、目先の悲劇に絶望したドラマーの何人かは実際失業したと言われています。

 しかしながら、まだまだ発展途上のサンプリング技術は生ドラムを再現しているとは言い難く、使い勝手の悪さからライブ・パフォーマンスには不向きでした。


 希望を捨てずに努力と進歩を怠らなかったドラマー達は、リン・ドラムのプログラミング技術を学び、生ドラムとマシン・サウンドを融合させたり、生ドラムからは出てこない効果音を用いて、ドラム・ソロをむしろ華麗に演出したのです。


 現代は生ドラムと聴き分けられない程の高音質なドラムマシンが、初心者向けの音楽機材にも搭載されている時代。

 それでも音楽の世界では、人間だけが生み出す事の出来る「ライブ・パフォーマンス」のタイム感や温かみのある音の揺れなどを武器に、新時代のテクノロジーと共存を果たしてきました。



 クリエイターの未来に鍵を握るのは、やはりライブ・パフォーマンスであると思うのです。


 私は長年アマチュア・ミュージシャンとして活動していますが、まずは中学の吹奏楽部でドラムを、そして高校のロック・バンドでベースという順番で楽器を覚えたため、20代前半まではギターやキーボードが全く弾けませんでした。

 そこの技術不足をセンスや打ち込みで補ってきたのですが、どれほど気合いの入った新曲デモテープを作っても、ギター弾き語りでライブ・パフォーマンスするギタリストやボーカリストの新曲発表に負けてしまい(笑)、立場は第3のソングライター止まり。


 現在の私はギター弾き語りが出来る様になり、職場でも高齢の利用者さんのために演歌をコブシ入りで熱唱しております。

 やはりクリエイターへのリスペクトを高めるには、ライブ・パフォーマンスが一番だと実感していますね。



 現在の音楽ビジネスは、既にCDなどに代表される音源のパッケージ商品は売れなくなっており、配信ダウンロードやサブスクで楽曲とアーティストを知ってもらい、如何にしてリスナーをライブへと動員するかが生命線。

 ライブが出来ない、ライブが下手くそなアーティストは生き残れない時代になりました。


 コロナ禍の中、ライブ活動が出来ない事でアーティスト達が悲痛な訴えを上げていた数年前。

 あの光景は、現在のイラストレーターや声優が上げている悲痛な訴えと極めて近いものでしょう。



 それでは、イラストレーターや声優が生成AIと共存するにはどうすればいいのか?

 或いは共存を拒んだとして、目先の悲劇に絶望する事なく、法整備や有益な新製品の力を得るまで希望を捨てずに努力と進歩を怠らない支えとしての「ライブ・パフォーマンス」に、果たして存在意義はあるのか?



 絵を描ける人がリアルタイムでヒーロー、ヒロインになれる瞬間は、やはり他人の前で絵を描いて見せた時。

 コミケや同人誌の即売会で絵描きのそばに置かれたスケッチ・ブックを、懐かしく思い出します。


 実は私も、音楽活動が本格化するまではオリジナル同人漫画家でした。

 しかしながら、ここでもライブ・パフォーマンス能力がなく(人前だと恥ずかしくて絵が描けない)、同人漫画家は20歳そこそこで引退しました(笑)。


 

 現在は誰でも動画配信が出来る時代。

 しかし一方で、絵描きと名乗りながら紙とペンで絵が描けない(描き方を忘れた)イラストレーターも多いと思います。


 自身の権利や著作権に関して戦うクリエイターがリスペクトを高めるために、ライブ・パフォーマンスの重要性を再確認する必要があると言いたいですね。



 また、ライブ・パフォーマンスは生成AIユーザーにとっても無意味ではありません。


 例えば、とあるイラストレーターを招き、複数の生成AIに当該イラストレーターの人物だけを学習させ、背景などは生成AIユーザーが各々自由に学習させているとしましょう。

 ここでとあるお題を出し、イラストレーターが手描きでイラストを仕上げ、生成AIユーザーがプログラミングに頭を使い、イラストを出力させます。


 この過程をライブで見ていれば、生成AI肯定・推進派もイラストレーターのライブ・パフォーマンスに心を打たれ、自分を100%は肯定出来なくなるのではないでしょうか?

 更に学習の内容やプログラミング・センスによって、生成AIの出力イラストにも明確なセンスや完成度の違いが生まれ、生成AIだけどこれ、好みの構図だ……など、クリエイター側にも未来に向けた新鮮なインプットが生まれる可能性もあると信じたいですね。



 声優やナレーターの場合、イベントやライブ活動でパフォーマンスの場はある程度確保されております。

 学校の講師として活動するベテラン声優などは、地方での体験学習イベントなどを活性化させ、ライブ・パフォーマンスで多くの人からのリスペクトを高めるチャレンジを行うというのもアリでは?


 来場者抽選でアテレコチャレンジとか、いくつになってもやってみたいですし(笑)。


 

 ……そして最終的には、生成AIユーザーのマインドの中にも、絵柄や声を生成AIに学ばせるだけではなく、他人とは違う自分の選択と組み合わせを見つけ、そこにこそこだわりを持って欲しいと願って、やや希望的観測なエッセイの終わりに代えさせていただきます。

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 パロディやオマージュ好きとしては、自分も生成AIとやってること、本質的にはあんまり変わらないなぁとは思いますが(笑) 「月は無慈悲な夜の女王」でハインライン先生が、すでにそこのテーマを盛り込んでいた…
昨日ね、Kei.ThaWestさまどうしてるかな?って思ってたから、感想欄で見つけてわあ!!って思いました(笑) さすがシサマさまの記念エッセイですね(´艸`*) ちなみに私も生成AIのエッセイ書こ…
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