閑話休題-波乱の前夜-
最悪な夢を見た。あの日。あの青年に負けた日の夢。
『所詮おまえもまだまだだな。』
あの馬鹿兄貴は私にそう言った。その言葉だけが繰り返され…私は目を覚ましたのだ。
はっきり言っておこう。私はあの馬鹿兄貴よりも強い。だからこの森に居座り続け畏怖の対象にまで成り上がった。それを、何も知らないあいつは一蹴しやがった。1度戦えば解る、あの青年は異常だと。
それ以降、奴とは口を聞かないようにしていた。
同じテリトリーに住む血をわけた存在。だが、実力主義の竜社会。奴はしてはならないことをしたのだ。
「…あー、最悪。」
窓から差し込む月明かりを見上げ、そんな風に呟いた。
2人のベッドが並ぶと少し狭い部屋。イールも言っていた通りここは一人暮らし用だ。私のことを想定はしていなかったのだろう。
イールの私に対する感情。良くも悪くも友人関係。それ以上でも以下でもない。それだけの関係。当然だ。私はワイバーンなんだから。友達になってくれるだけでもありがたいのに、何を求めちゃってるんだろう。
ふと、隣を見る。そこには寝ているはずのイールの姿はなかった。
「イール?」
本当に掴めない人だ。特段心配はしていない。あの人は強い。私よりも...何よりも。しかし、どこに行ったのだろうか?
ともかく今は夜風に当たりたい気分であった。
部屋を出て、ベランダに向かう。そこに彼の姿があった。
「イール…。」
「なんだ、ルージュ。眠れないのか?」
「うん、ちょっとね。イールも?」
そう聞きながら、彼のとなりに立つ。
「まあ、そんなところだ。」
「珍しいね。」
「案外そうでもないさ。割りとこうして夜風に当たるときはある。」
「悩みでもあるの?」
「悩みと言うか…まあ、そんなところだ。」
私はイールのことについて何も知らない。どこから来たのか、何があったのか。
「ちょっとは私のこと、信頼してもいいんじゃない?」
「ん?これでも信頼してるぞ?」
「まあ、そうなのかもだけど…悩みがあったら言ってってこと。」
「僕は大丈夫だよ。それより、ルージュのほうが何かありそうなんだけど?大丈夫なのか?」
そうやって話を逸らされた。感じたのは諦め。私じゃどうにも出来ない何かをイールは抱えているのだとようやく察する。少し寂しいような切ない気持ちになりながら言葉を返す。
「私のほうもなんともないよ。ちょっと夢見が悪かっただけ。」
「そうか。」
吹き抜ける風が心地いい。夜に男女2人きり。1週間、イールと暮らしているがそう言ったことは特に起きていない。
もう少し、イールは私のことを見てくれたっていいのではないだろうか?
1歩、イールに近づく。
「ん?どうした?」
「いや、なんでもない。」
なんて返すが、なんでもないことはない。正直熱い。こんな経験は500年生きてきた中でも初めてだ。
苦しいようで、それでいて心地の良い自分の心音。
「私は…ずっとひとりぼっちだった。仲間もいた。だけどそれは昔のこと。今じゃ残ったのはあの馬鹿兄貴と私だけだ。」
「他の奴らは?」
「ワイバーンは本来、群れる種族ではない。この土地から竜信仰が廃れると、皆出ていった。」
「そうか、ルージュも独りだったか。」
「イールもなのか?」
「ああ。皆、僕とは対等に話してはくれなかった。」
そりゃあそうだろう。イールの強さは別格。人からしても脅威でしかない。だが、彼の心の底を見ればそうはならないことなど明白である。
「だから、ルージュには本当に感謝してる。こうやってまともに話せる友人が出来たのは初めてだから。」
月明かりを背に彼は笑った。心の底から微笑んだ。友達か…遠いな。そんなことを勝手に思った。
「私のほうこそ…ありがとうね。」
それだけ言ってまた景色を眺める。そうは言っても森の中。代わり映えはしない。そんな時間がしばらく続いた。もどかしいようで心地いいようで…私はどうなってしまったのだろうか。
「さてと…そろそろ戻ろうか。」
「うん。」
結局、イールの隠した過去には触れられないまま。いや、その方がいいかもしれないな。なんてそんなことを思うのだった。