お茶会への招待状2
「お茶会ですか??」
僕はつとめて冷静に聞き返す。すると、隣から呆れた声がする。
「おまえはそんなこともわからないのか。屋敷の使用人失格だな。出直せ」
「シッテマスヨ! し、失礼な」
「ははーん、じゃああれだ」
リュカ様がにやっと人の悪い笑みを浮かべて上から迫ってくる。まつげの揺れるのがわかる距離に動揺していると。
「お前、招待されて動揺してんだな」
ギクリ、と体が目に見えてこわばってしまた。
(まずいバレた)
「ほお。あのルナがねぇ……」
先ほどからニヤニヤ、ニヤニヤと、くっ、顔がしつこい。
よからぬことを考えている表情に違いないと僕の背筋が寒くなる。立ち上がった鳥肌を無理に押さえつけるように、意味もなく両腕をさすった。そんな状態の僕を置いて、爽やかな笑みでリュカ様はフレデリック様に応じる。
「いいですよ、父上。僕らも参加します」
(ええー即答!?)
反転したリュカ様の態度に目を丸くする僕。リュカ様はやはりこっちを見てイタズラげに目を細めた。しかしこっちを見たのは一瞬で、再びお父様に向き直っておられる様子。
なんか話し合っているぞ?
「その代わりに――……がほう、……です」
(ほうほう? なんのやりとりだろ。ここからじゃ聞き取れないぞ)
至近距離での親子の会話に入れず、仲間はずれにされてしまった。
そんな僕の心境を汲み取ってフレデリック様が突然僕の頭をなでた。ひさしぶりの大きな手、それは温かくて、ささくれだった気持ちもすんなり抑えられた。
「わかったわかった、手配しておくよ」とフレデリック様は軽く答える。
「なら了解です」、リュカ様は大層満足げだ。
ふたりがなんのやりとりをしていたかわからぬまま、フレデリック様は僕らに予定を言い渡して大事な詩集を抱えて私室に戻られたのだった。
いまさらだけれど、執事長のゴーザさんがはにかんでいたのもふたりのなれそめを知っていたからだな。持ち主がみつからないってのも嘘だったわけだ。きっと僕らに隠れてこっそり返すつもりだったんだろうと思うと、事態をややこしくした僕らには苦笑いしかないだろう。
「あ、ゴーザさんだ!」
中庭の通路を抜けるところでタイミングよく本人が現れた。
「おやおや。例の真相には満足しましたか?」
「はい! ……あ」
うっかり返事してしまった僕に対してくすくすとゴーザさんが笑い声をもらす。立てた人差し指を口元にもっていって、ゴーザさんは他言無用、と合図する。注意されるほどの勢いではないが、やはりたいせつなお屋敷の家族の秘め事だ。僕は神妙にうなずいた。
「ふふふ、きょうはいい子ですね、ルナ。普段からそうあってくれればいいのですが」
「あぅ……」
「まあいいでしょう。さて、それでは今週末の予定に合わせて――……」
存外はやく当日が来てしまった。ドレスアップした妙齢の貴婦人たちにまぎれて参加することになった僕ら。明らかに浮いている存在だが、なかでも使用人の僕はいつもどおりの執事服、――……物珍しげな視線に囲まれて動けない。
横のリュカ様から声がかかった。
リュカ様は上等な黒地に青をアクセントカラーとして使ったお召し物。紳士然とした格好は素敵だが、この場がかしこまった場所だというのを言外に告げているみたいでだめだった。
「さっきの挨拶といい、ガッチガチに緊張してるな。だいじょうぶか?」
心配してくれるリュカ様には悪いが、緊張はピーク。もう限界である。
「だ、だいじょばな……うぶぶ……」
居所のない僕は萎縮している。しくしく泣く胃をおさえて大人しくしている僕とは反対にやけに堂々としたリュカ様。というかなぜにふてぶてしいのだ、この方は。
「こりゃ本格的にだめだな。よし、待ってろ」
「ふぇ?」
まさかここから助けてくれるのか、と思ってリュカ様にすがりつく僕。だが……。
「母上! 私は急用を思い出しました。代わりといってはなんですが、件のことがきっかけでルナが母上たちのなれそめについて聞きたいそうですよ。もしよろしければ彼に話してやってください。では」と、そそくさと退場してしまった。
(なあぁぁぁにぃぃぃー、っやらかしましたね!?)
うっかり信じた僕もバカだった。
そんなわけで無情な主人に取り残され、おばさまたちの茶会の席に居座る場違いな僕、視線の針の筵にたじたじである。
「あらまぁ。リュカ様、行ってしまわれたの? 残念ね、もう少し鑑賞していたかったのだけれど……」
頬にてをついてリュカ様の背中を視線で追う女性。
「目の保養ですものねぇ。はあ……年頃の娘たちが羨ましいですわ」
続いて賛同する声が聞こえた。彼女も同じ気持ちらしい。
「あーっん! わたくしもあんな素敵な殿方と踊りたかったですわあ」
最後のご婦人などハンカチを噛み締めて悔しがっている。初めて目撃する光景に唖然としていると、横にいた清楚な奥様が声をかけてくださった。
「ルナさん、でしたっけ。お菓子などどうです?」
「あ、いただきます……」
緊張していた僕は借りてきた猫のような有様でテーブルのお茶菓子に手を伸ばした。
結局のところ、マダムは、やさしい人たちだった。
僕は、絵本や小説にでてくる知識を鵜呑みにしていたことを恥じた。しょせん令嬢ものの断罪劇も復讐劇も眉唾なのだなって思い知ったのだ。
おいしい桃の入ったピンク色のマカロンをに感動する。
「はぁぁ、あまい〜〜。どれもおいしくて全部食べてみたいけどそんなに入らないのが心苦しい……」
上機嫌でリスのようにほおばる僕をながめる夫人たち。くすくすと品のいい笑みでこれもあれもと小皿に乗せられて気づいたらお腹いっぱいだ。
「彼との最初の出会いは下町にお忍び旅行をした時よ。当時の私はやんちゃで、」
「そうね、エマったらじゃじゃ馬だったものね」
「ちょっと、話の腰を折らないでよ。そう、多少アグレッシブだった私は……」
食べながら話も聞いていた。エマ様とフレデリック様とのなれそめが本人から語られてそれも胸いっぱい。さらには周囲からみた視点や、おまけみたいなエピソードも入っていて、まるで小説を耳で読んでいる気分だった。当事者たちの恋愛を見守っていた彼女らのやきもきした思いや、周囲で繰り広げられるトラブルなどが面白おかしく語られているのは、多少の脚色もあるのかもしれない。ただし核心となる秘密は本人も細部をぼかして教えていた。
そんなふうにたのしいお茶会の時間は流れていく。
「彼の家とは釣り合わないと言われていたのが嘘のように、支度金の問題も片付いて、晴れて私達は結ばれたの!! ま、まあ彼はお祖父様との武者修行に繰り出されたりして新婚旅行は先延ばしになってしまったけれど、それもいい思い出よ」
大切な思い出を遠い目をして語るエマ様。母親の恋バナを聞かされてむずがゆい思いもあるものの、楽しげに語らうエマ様に僕の心の中もほころぶのだった。
ところで……。
「うふふルナちゃんはほんとに純粋ですのね」
「ええ、ええ。そうでしょう」
なーんて会話をエマ様とご夫人方がしているなんてつゆも知らない僕だった。まかり間違っても彼女たちは百戦錬磨の社交界の花々なのである。お腹の中がまっしろ、なんてことはありえないのであった。
なれそめ話が終わると、エマ様はティーカップに赤い唇をつけて優雅に中身を飲み干す。続いてお菓子を食した口元をティッシュオフしている。口のはしの違和感に気づいた僕もふきんで拭う。しっかりとチョコレートで汚れていた。
「逃げた息子の方には何度も聞かせてるんだけどねえ。あの子は全然付き合ってくれないのよ。情緒が心配よ、まったく」
(あ〜〜、詩集も「うげっ」って煙たがってましたもんね)
「あらあら。男子特有のものじゃない。フレデリック様だって優男だけれど、当時はわりと尖っていたし……」
「あー……そうね、似てるといえば似てるかも」
忘れていた、とばかりにエマ様は眉を顰めて思い出していた。どうやら初期のふたりの間にはロマンスとは違うやりとりがあったのかもしれない。ちょっと気になった。
「ところで今日は他になにをするんですか?」
僕は改めて今日の集まりの目的についてたずねた。お茶会というぐらいだが、女性陣の歳と参加者で婚活目的でないのは明らか。しかしなれそめ話だけをするというのも考えにくい。
答えは隣にいてお茶菓子をすすめた夫人からもたらされた。
「この集まりは【花詠みの集い】といって朗読会も兼ねているんです。数ヶ月に一度みんなが力作を発表しますのよ」
「へえ。たのしそうですね」
「でしょ! ただし今回はちがうの!!」とは威勢の良いエマ様。
「ちがうんですか?」
せっかくの機会なのに聴けないと知ると残念だと思いがっかりする。
「じゃじゃーん!」
「急になんですか?」
なぞの掛け声をして、エマ様は上等な本を取り出した。なかなか厚みのある量に僕が身を乗り出すとエマ様が叫んだ。
「今日はルナちゃんにスポットを当てて昔話を披露しようとおもいまーす」
「あらあら。自慢の愛息子をお披露目したいだなんて、エマ様ったらとうとうフレデリック様との惚気には飽きられてしまったのかしら?」
「まさか!」
「そうですわ。お祖父様の反対を押し切って熱愛彼氏との婚約をもぎとったエマ様でしてよ? フレデリック様を押し倒してのあの行為にはわたくしも驚いて……――おおっとこれは禁句でしたわね」
「お子様には早いですものね、ふふ」
お子様じゃないもん、と頬をふくらませたが、余計に生暖かい目を向けられて僕はうつむいた。
「ところで昔話とは?」
不思議そうに尋ねるご近所の奥様に、肩を震わせるエマ様。
「フフフ……秘蔵コレクションが火を噴く時が来てしまったわね。あの頃のルナちゃんをたあっぷりご堪能くださいませ」
天然の樹木を日傘に見立てたテーブルセット。爽やかな風が通り抜ける庭で、似つかわしくない声に、唾液を拭う仕草をしてエマ様が怪しく笑った。
あらためて、テーブルに置かれた重すぎる本を前に、僕は引いていた。
――家族日記。
知らず額を汗が伝う。
僕は、めちゃめちゃ、いやな予感が、していた。




