ふたりの約束4
時刻はすでに夕刻といって差し支えない。茜色が差す街並みに紺色のグラデーションが溶け合って空も街も染められていく。深い青に侵食される風景をまぶしくみながら、僕は立ち止まる彼に言った。
「帰らないんですか?」
「今日の最終目的地はここだ」
眼の前には白く大きな壁のような建築物に、上等な門構え。窓がいくつもあって僕らはそれを見上げている。看板にはホテル・ルーステリアと書かれていた。
「泊まり……?」
「ああ」
びっくりしすぎて心臓がどうにかなるかと思った。まだ一緒にふたりきりで過ごせることに脈拍がおかしくなりそうだ。きゅんと甘酸っぱい胸の叫びに僕は動機かめまいでたちくらみをおこしかけた。
まさかのホテルに唖然とする僕を驚かせたサプライズの主は、いつもより無邪気な笑顔でこの手をとる。
今度は別の意味で冷や汗をかきだした僕は悪くないと、思う。
(僕、どうなっちゃうの〜〜〜〜!?)
ルーステリアのアメニティグッズを見終えてから、僕はベッドに倒れ、勢いのまま枕に突っ伏した。
リュカ様的には慰労の気持ちも兼ねてのことだったらしい。それに特別感を感じて、『どうなっちゃうの〜〜〜〜』はない。ないよな、うん。
眠るだけだってわかっていたけれども!! 期待していた自分を恥じて枕に突っ込んで脚をジタバタ。もじもじとする胸の恥ずかしさをはらすのに苦心している、と。
「なにしてんだ?」
(みられたー!!)
発散させる行動が裏目に出たのだった。
ごまかすように買い物袋に話題を振った。買ったばかりのチョーカーを取り出してランプにすかすと、明かりでみればみるほど透かしが輝き、手元のやわらかい革のチョーカーが映える。うっとりとながめているとリュカ様がうしろから声をかけた。
「そろそろシャワー浴びてこい。疲れてんだろ」
「そういえば?」
「なんで当の本人が疑問形なんだよ。試しにつけていいから、早く済ませてこい」
キラキラとした眼でチョーカーの取り外し可能なアクセサリー部分とリュカ様とを往復しながら見たあとで替えの肌着やバスローブを示したリュカ様にお礼を言って従者らしくもなくシャワールームへ飛び込んだ。
お高めなボトルを数回プッシュして髪を洗う。ボディソープも使って入念に体も。あ、これなんの花かな、いい匂い。さらに普段は忘れがちな浴後のお肌のケアもしてほかほかの気分のまま出たら、それを目撃してしまった。
シャワーから出ると、リュカ様の体は見事にこわばっていた。僕が出たのにも気づかぬ様子で、一心不乱に手を組んで、祈りを捧げるように耐えている。太ももに肘をおいて頭はうなだれて。
そおっとベッドに乗り上げてリュカ様に近づく。バスタオルを頭にかけて目を閉じていた主人が僕に気付いた。
「悪い。うたた寝していたら悪夢を見たんだ」
トラウマ発生、らしい。僕はぎゅっと彼の頭を抱き込んだ。つむじにそっとキスをする。
「あ……っぁあ…………せっかくの休日だったのにな」
どうやら興が削がれたとでも思っているらしかった。かわいそうな人。そんなことで僕の最高の一日の気分が目減りすることなどありえないというのに。それが主人には伝わっていないらしい。
「シャワーを……」
「大丈夫です」
「だが臭うだろう?」
「問題ありません。いつもより濃いいだけで……」
「ふふ。そうか、お前よく俺の匂いをかいでるもんな」
「あがゅああが!?」
動揺してしまう。からかわれているのは知っていたけれど、そういうふりをしてスキンシップの一環で戯れのようにごまかしていたというのに。僕の本命がリュカ様だってバレちゃうんじゃなかろうか!?
リュカ様は冷えた眼をしている。どうやら意識はまだ深い海の中にいるらしい。だめだ、僕がお救いしないと!!
立ち上がってリュカ様の前へ。そっと姿勢と視線を下げてから、リュカ様のお手を拝借する。
「あなたの弱さを僕には、ううん。僕にだけは隠さないでください。全部、みせて? ね、リュカ様……」
甘えるように要求した。
「ひさびさでこたえたんだ……。お前と寝るようになって弱気になったのかもな。俺は、このままっ、んんん!?」
弱気なリュカ様が僕まで遠ざけようとするのを、その唇に指をおいて止めた。普段ならできない所業である。
些細な接触にさえこわばるリュカ様の様子をみて、やはりトラウマ自体は治っていないのだなあと改めて思う。
「ごめんなさい。不安にさせちゃいましたよね」
「気にする……な。すこし、疲れただけだ」
強がる彼をみて開きかけた口も、言葉の続きがわからず再度閉じてしまった。リュカ様との間に気まずい沈黙がおりる。
なにもできない自分が歯がゆい。リュカ様は今も苦しめられている。悪夢にも、トラウマにも。それがたまらなくもどかしい。
拳を握り込んで、リュカ様の目をまっすぐにみつめる。
だから覚悟を、決めた。
「僕がぜったいにリュカ様を快復してさしあげます!」
その意思表示としてリュカ様のほほに勇気を出しまくって物理的なリップサービス。ちゅっちゅっ、と幼子をあやすようにキスの雨を降らせる。
モテてモテても困らなそうなリュカ様はしかしこのアプローチに動揺しておられる。そんな姿もかわいらしくて、僕は完全に止め時を失っていた。
鼻から漏れた気の抜けた息、ふはっと笑うリュカ様のそのお顔がやけにまぶしく見えたのはホテルのランプのせいだけではないはずだ。もういいと止める彼を残念に思いつつも、戻った様子に安堵した。
「気長に待ってる」
(よかった、いつものリュカ様だ……)
言葉は少なくとも、『Care』は成功らしい。
柔らかく細められた目元、長い手が髪をすくように行ったり来たりしている。今度は逆に、リュカ様にぽんぽんと頭を撫でられる心地よさもあって、僕はいっぱいいっぱいだ。感動もひとしお。隣に座ったまま頭を彼の肩にもたれかからせて、特等席を堪能するのであった。
その後、枕が違うせいでなかなか寝つけなかった僕らはお互いを抱きしめあって、布団のなかでもぞもぞくるまって逃げたり捕まえたり追いかけたりとゲーム感覚でイチャ……ゲフンゲフン、たわむれたのだった。
料理長やメイド長が夜中に入れてくれるいつものミルクとは味が違うホットミルクを堪能したりと、どこか普段とは異なる夜をホテルで過ごした。
なんだかすごく、むずむずする。やさしくあまーいリュカ様のせいでとろけきってしまいそうな気分。
「忘れてた。少しだけプレイ、するか?」
額に熱を持つ。誘われたら甘美なそれを断れるはずもなく――僕はこくりと音がしそうなぎこちなさでうなずく。
開けたばかりのチョーカーをゆるめに首元につける。待っていたリュカ様のもとに急いで、引き寄せられるままベッドに潜り込んだ。
「『Come!』
すでに密着しているのにおいで、と呼ばれて僕はおかしくて笑ったまま豪快に抱きつく。反動でリュカ様がベッドから落っこちそうになった。端に寄っていたなと位置を戻しつつも僕はリュカ様の腕の中を満喫する。
『Stay』
待機、か。もじもじと脚をかいているとリュカ様のおみ足が僕の足を絡め取る。僕が慌てて腕をつつくとリュカ様は非常に愉悦まみれのカオでなんてことのないよう僕をみつめる。視線をそらそうとすれば。
『Look』
ぜったいに離すなという強い意志を感じる。じんわりとうなじに汗をかいても、僕は固まるしかできない。いつまで、こんな、こんな距離でいたらいい? 羞恥心に焼き殺されそうなレベルで、僕は耐え忍ぶ。
ランチのハンバーグではないけれど、布団の中でぎゅうぎゅうに抱き合う僕ら。密着し続けて涙を流す僕は耐えきれずについに言葉を出した。
「ほかのこと……しなくていいんですか?」
「それはいい。俺からやるから」
(ひぇ? んぎゃあああああああああああああ)
やわらかい感触が目元に落ちた。それがなんなのかわかってしまって、ふうふうと熱が上がった僕をいたわるように背中を叩くリュカ様。しかし、はなしてくれない。それがすごくうれしいのだけれど同時に辛くもあってわけがわからなくなりそうで。
視界ごと、意識が落ちたあとは――すでに朝がやってきていた。
「は!?」
(チョーカーしたまま――あれ、ない?)
右往左往と手が彷徨うも首にも布団にも革の感触はなくて涙ぐむ。そんな僕がすがった先、――光の中でまどろむレアショットリュカ様がいた。なんとバスローブ姿である。
(って、そうじゃないでしょ僕!!)
はだけかけた胸元がちらちらして視覚の暴力である。
「ううん?」
だかしかしリュカ様に切り出さなくてはいけない。早速なくしたなんてことになれば――彼はきっと哀し……。
「サイドテーブル」
「へ?」
「首元、気にしてるだろ。つけたまま寝るのは危ないと思って外しといた」
がばっと体ごと反転させれば、ランプのしたで光っている新品のチョーカー。お気に入りした買ったばっかりのチョーカーの発見にでれでれにへにへとだらしなくしていると。
「そうやって大事にされてるのを見ると、たまらないな」
(りゅ、りゅかりゅりゅリュカ様にゃにをう!?)
「お、照れてる」
「ぜったいないっです!」
「ないのか……」
「いいえ、照れてます!」
「なんだよそれ」
よっぱらいみたいな僕らの会話。悪い悪いと謝るリュカ様にツンとそっぽを向くと、それよりと頬をつつかれる。今日はしなくていいんかなんて言われてすっかりその気になり頬を差し出せば――ぷにっという感触。迎えたのは指でした。
「ついかわいいカオしてんなぁと思って」
きゅーんってなるけれど、僕、騙されるな。今、からかわれたぞ!
(絶対マウストゥーマウスの流れでしたよね、今のは!!)
だれにともなく僕は叫んだ。血涙を流した気がする。
「まだ早いからもう一眠りするか。おやすみ、ルナリード」
大切なもののように抱きしめられながら、眠りの底へ誘われるのだった。
チェックアウト前に中庭を散歩した僕ら。ヒーリング効果のある目覚めの音楽顔負けの、鳥のさえずりを背景音楽にきもちよく歩いた。手を繋いでむじゃきに走ると転ぶぞと注意されていたのに、僕ってやつはやらかした。
「ほんとにやるやつがあるか」
呆れてばんそうこうを受付に取りに行ったリュカ様の手には消毒液などの応急セットが。部屋の中で手当を受けていると、チェックアウトの時間になってしまった。
素敵な一日だったから残念に思っていると、不意打ちでリュカ様がかましてきた。
『Shush』
靴箱がある壁際に僕を追い込んで、額と額がやさしくぶつかる。コツン、と音がして。
指示通り黙っていると、リュカ様は。
「この2日間はお前への『Reward』だ。いい子にしてたら、またやれるかもな?」
たしかに最高のメモリーだ。この思い出は日記に残そうと決める。しかし、明日からだってまたリュカ様と一緒だ。それに今の言葉が本当なら、また、こんな日が――来るかもしれない。僕は希望に燃える。
しかし、最後の最後として、おみやげに僕の給金で栞を買った。ハンバーグともチョーカーと違う、この夜とこのお出かけのすべてが詰まった思い出を形として残したかったからだ。ただまさか帰って早々使えないともだえることになるとはこの時の僕は思うまい。さらにいえば強引に使わせてくるリュカ様のおかげで――いつだってこの日を思い出して嬉しくなれるなんて、この時のぼくは知らないよね、きっと。




