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八話 一人と一匹


 サリアが閣下の名を呼んで身を起こすと、閣下もギュィッと小さく鳴いてサリアに走り寄ってきた。


「ああ、良かった。お留守番させたきりだったので、部屋に閉じ込められたままだったらと心配だったんです。でも良かった、無事自由になれて。最後に会えて」


 サリアは肩に乗ってきた閣下に頬擦りをすると、そっと摘んで格子戸から外へ押し出した。


「外の世界は危険もあるかもしれませんが、現役時代、准将であられた閣下でしたらきっと大丈夫です」


 そう言ってサリアは指先で閣下を一撫でする。


「……冬眠していたあなたを拾ってからの日々はとても楽しかった。准将だなんて、めちゃくちゃな設定の幼稚なごっこ遊びに今日まで付き合ってくれてありがとう。お元気で」


 しかし見送りには応じず、閣下はすぐさま鉄格子をすり抜けてサリアの下に戻ってきた。


「……閣下、行ってください。私は行けないの。ここで朽ちる方が人のためなんです」


 そう言って再度摘み上げて外に出しても、閣下も再度戻ってくる。


「お願い、行って。ここには水も何もないの。一緒にいたらあなたも死んでしまう」


 懇願して何度摘み出しても閣下はその度に戻って来て、サリアの腕に上っては怒ったように赤い尻尾で叩いた。


「……私だってあなたといたい。だけど私は人を呪ってしまうの。いるだけで危険なの。だから、生きていては……」


 許されない。


 そう思うとまた涙が込み上げてきて、サリアは顔を覆った。


「生きてちゃ……いけない……」


 サリアが声を殺して泣きだすと、閣下は尻尾で叩くのを止めてしばしサリアをみつめた。

 そしてサッとサリアの頭に登ると、舞踏会用に纏めていた髪をグシャグシャと踏み越え、ピョンと飛んで鉄格子へと向かった。


 離れて行った閣下に、やっとわかってくれたかとサリアは安堵しつつもポッカリと胸の中に穴が空いた寂しさを覚える。

 本格的に呪いを研究し始めた学生の時分、素材採集のため火山から持ち帰った砂礫の中に混ざっていたのが、冬眠していた閣下だった。

 

 あの時から今日まで側にいてくれた友人との別れは辛い。

 けれど共に朽ちることはない。

 これでいい。


 今日までありがとう、と背を見送る為にサリアが涙に濡れた顔を上げると、目の前で閉ざされていたはずの格子戸が薄く開いていた。


「……え?」


 予想だにしない光景にサリアは呆然と戸を見つめる。

 すると格子に絡みついていた閣下が、前足でぷらんと鍵の部分にぶら下がり、得意げに尻尾でヘアピンを振り回していた。


「私の髪留め——それでお開けに?」


 涙していたことも忘れてサリアが驚くと、閣下は傍に寄ってきてギィギィ小さく泣きながら、行こうというようにサリアの袖を引っ張った。


「……でも」


 扉が開いた今なら逃げ出せる。

 だが自分のような呪われた存在が外に出ては、とサリアは逡巡する。

 

 ここで大人しく死ぬことが人の世のためになる。

 それが正しいと思う。

 

 けれど、袖口を()み出した閣下の空腹の訴えに心揺さぶられた。

 少なくともこの小さな友達だけは、忌まわしい自分を必要としてくれている。


 サリアは開いた格子戸の向こうを見据えた。

 黒い影にしか見えない木立の向こうは、世界が隔てられているかのように静かで生き物の気配すらない気がした。



 ここにはこの先、誰も来ない。


 たった一人ここで息絶え朽ち果てても、それすら誰にも知られない。誰も感知しない。


 死んでいても、生きていても。




 それなら、とサリアは閣下を掬い上げてゆっくりと立ち上がった。


「……誰もいないところで、誰にも迷惑をかけずにひっそりとなら」



 生きていても許されるだろうか。



 サリアは呟いて、鍵の外れた格子戸をゆっくりと押し開けた。


「ご飯……探しに行きましょう」


 しんと静まり返った暗い森に向かってサリアは歩き出す。

 たった一匹の友達を肩に乗せて。


 

 ♢

 


「証拠も何もなく即時に国外追放とはどういうことだ!」


「クリストファー殿下、落ち着いてください」


「落ち着いてなどいられない! どうしてあの女性の腕が燃えたのかきちんと検証はしたのか! 裁判は⁈ 何もなしに刑を執行か⁈ 呪いの一言でサリアに全て押し付けて、何一つ正当な手続きを踏んでいないではないか! この国の司法はどうなってる!」


 サリアから引き離され、事が全て済んでから顛末を聞かされたクリスは怒りを露わに秘書官に詰め寄った。


「お気持ちはわかります殿下、詳細はお調べしておりますので、どうかお静まりに……しかしながら今回のことはお姉上、シルヴィア王女殿下のご指示でして」


「姉上——!」


「サリア様は見習いといえど宮廷魔術師でした。その彼女が真偽は別にして大勢の前で呪いを用いて人を傷つけた……ように見えたのです。あの場は王女殿下の人望のなせる技で箝口令が敷かれましたが、危険な魔術師を召抱えていると国内外に広まれば、魔術憲章に批准する我が国の国体に関わります。場合によっては他国に攻め込まれる口実を与えかねません。故に、迅速に秘密裏に処理せよと」


「……もっともらしい理由だが、大方舞踏会を邪魔された腹いせだろう。ダンス狂いめ」


「決してそのようなことは……処刑を免れたのは確たる証拠のなさを勘案してのことですし」


「変わらぬだろう。追放先は絶海の孤島と聞いている。姉上が私欲で権力を振るうなら僕だって使ってやる。サリアは僕の婚約者だ! その彼女を——」


「殿下、恐れながら、すでに婚約は破棄されております。あのような忌まわしい魔術を使う女性と婚姻することを許されはしません」


「破棄だと⁈ 彼女は呪ったりしない!」


「真偽がどうあれ、です。元より真っ黒なローブに不気味な仮面で評判も芳しくありませんでした。それでも代々宮廷魔術師を輩出しているオルコット家の子女であるサリア様の才媛ぶりと、貴方様の強いご意向で実現した婚約でしたから、公表前に破棄となってホッとしている者もいるほどです。彼女が殿下を呪ったと噂する者もおりましたし、今回の件で証明となってしまいましたから」


「……証明……」


 ああ、と深い嘆息を漏らしたクリスは力が抜けたようにドサッと長椅子に腰を下ろした。


「こんなことになるなんて……わかっていたらもっと早く本当のことを……呪いだなんて、僕はただ……」


 ただ、と繰り返し、クリスは顔を覆って呻くように言った。


「ただ、サリアのことが好きすぎただけなんだ」


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