六十二話 安息の日々の終わり
陽だまりの中、芳しい花々を愛でながらお茶を共にする。
交わすのは他愛もない会話。
これまで一人孤独に魔術書に齧り付いてきた日々の数少ない思い出を聞いてもらい、幼い頃から毎日のように魔獣退治に抜け出そうと側近と戦っていた話を聞かせてもらう。
仮面もローブも必要とせず顔を見合わせて微笑みあえる、呪いを忘れられる安息の時間。
そんなことを願ってはいけないが、この穏やかな時間がいつまでも続けばいいと思っていた。
ここにいる理由も、自身の立場も忘れてはいないから、終わりはいつか来るのだと知っていたけれど。
でもそれは、呪いが解けて元の姿を取り戻した時だと思っていた。
まさかそれが、こんな形で唐突に終わることになるなど予期していなかった。
仮面があって良かったとサリアは思った。
先ほど階段の下で謝意を述べながらも、仮面の裏ではずっと目を伏せていたのだ。
ドレイクの目をまともに見ていたら、つい口走ってしまいそうだった。
ここに残りたい。
せめて呪いが解けるその日まで。
「そんなこと……」
ドレイクの後ろについて長い廊下を歩きながら、小さく呟いてサリアは首を振った。
自身は逃亡犯なのだ、これ以上ここに留まっては迷惑をかけてしまう。
リントワームはサリアが逃亡中の悪しき呪術師だとは知らずにいたのだと、身柄を引き渡し示すべきだ。
願いは願うことすら許されない。
ただ、こういった状況下で幸いだったのは、やって来たのがクリスであったことだ。
正直なところ、呪薬や資料も足りず解呪は行き詰まっていて、自身の研究室にある文献や呪具が手元にあればと思っていた。
そこへ連行される形ではあるものの祖国へ、研究室へ戻るチャンスが到来したのだ。
クリスなら、きっとドレイクの呪いへ理解を示し、協力だってしてくれるだろう。
解呪に向けて、今より格段に状況は良くなるはずだ。
悔やまれるのは、自身がそれに恐らく関われないということだけだ。
ヴリティアに戻れば罪人として罰を受ける。
魔術を使うことを許されるはずはないし、またあの塔の中かもしれないのだ。
しかし不思議と、これから自身が罰されることへの恐怖はなかった。
ドレイクの呪いの方が気がかりだからなこともあるが、それよりも胸の奥に空いた隙間から、サラサラと何かが零れ落ちていくような強い喪失感に襲われているからかもしれない。
ここを去らねばならない。
安息の時間はもうない。
そう思うと胸が軋むように痛む。
温かく満たされていた胸の奥がからっぽになっていく。
その寂しさにサリアは胸元を押さえた。
ここに残りたいと切に思う。
だがそれは解呪の為でも罰を恐れるからでもない。
もっと身勝手な、あの穏やかで温かな時間を失うのが辛いからに他ならない。
今日までの心休まる日々が、ドレイクの存在が、どれ程胸を満たしてくれていたことか。
終わりを迎えて、その大きさに気づかされた。
サリアは先を行くドレイクの背をみつめた。
物思いに耽る間に応接室へと辿り着いている。
部屋の前にいた衛兵がドレイクに気づいて一瞬驚いた様子を見せたが、二、三指示を受けるとすぐさま扉をノックし脇へと避けた。
固く重たい音は甘やかな夢の終わりを告げるようだった。
その響きにサリアも現実をみつめる。
感傷に浸っている場合ではない。自分がここに置いてもらった理由を思い出し、役目を果たさなければ。
それがドレイクがくれたものに報いる、自身が出来る最後のことだから。
「サリア」
扉が開くと、ドレイクが振り向いて先に入るよう促した。
仮面があって良かったとサリアはもう一度思う。
全てを包んでくれるような紺青の瞳と視線を交えてしまったら、切り替えた気持ちがまた揺らいでしまいそうだった。
「はい」
目を伏せたままドレイクに頷いてみせ、サリアはこの数日の安らかだった日々を思い返す。
木々の葉に透けて降り注ぐ柔らかな陽射しの煌めき、温かな空間。
芳しく香る温室を彩る花に湯気を燻らすフレーバーティー。
そして初めて得た安心と、それをくれる微笑み。
その終わりを噛み締めながら、サリアはクリスの待つ応接室へと足を踏み入れた。
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