六十一話 胸の中の違和感②
「サリア、体調は大丈夫か?」
ドレイクは階段を足早に下りた。
「はい、私は。クリス様は?」
「彼も体調に問題はないようだ」
「良かった……」
「今は応接の間に移ってもらっている。君を連れ戻しに来たと言っていたが、その為に内密に単身訪れるとは解せない。これから事情を聞きに行く」
「……そうですか。あの、ドレイク様。その場に私も同席させていただけませんか?」
「同席?」
何故、と思うと同時に橋の上での光景が一瞬チラつき、胸の中に靄が充満するような気分がした。
「心配しなくても大丈夫だ。君をヴリティアに引き渡したりはしない」
そう伝えると、サリアはふるふると頭を振った。
「いいえ、引き渡してください。居場所を知られてしまったんです、このままここにいてはリントワームにご迷惑をお掛けしてしまいます。私はクリス様と一緒に国に戻ります」
彼と一緒に国に戻る。
その言葉が妙に響いて聞こえて、靄がますます濃くなった気がした。
「……いや、サリア。そういうわけには——」
「いいんです。私を捕らえにいらしたのがクリス様で幸いでした。手荒な方々でしたら……」
サリアはあの忌まわしい塔に問答無用で連れて行かれたことを思い出す。
もしも彼らが来ていたら今頃は既に塔の中だっただろう。
「クリス様ならきっと話を聞いてくださいます。とてもお優しい方なんです。舞踏会の時だってただ一人庇ってくださって。呪いで苦しめてしまうのに、私のような者をずっと気にかけてくださった優しい方なんです」
「……随分、信頼しているんだな」
垣間見える二人の関係性にドレイクがポツリと漏らすと、サリアは緊張の解けた声を出した。
「幼なじみ、のようなものですので」
仮面の向こうで微笑んだような声音に、ドレイクの胸の中にあった重苦しい違和感がチクリとした痛みに変わった。
「クリス様がわざわざいらした理由はわかりませんが、見つかってしまった以上、私はここにはいられません。ですから、戻る前に——」
「ダメだ、会わせられない」
胸の痛みへの小さな苛立ちが、思いがけず口を衝いて出た。
サリアが仮面越しに驚いたような視線を寄越したが、随分とキツイ口調になったことに驚き狼狽えたのはドレイク本人も同じだった。
「か、彼の本当の目的はまだわからないんだ、会うべきじゃ……」
「……お願いします。リントワームは何も関係がないということも含めて、私がお伝えした方がいいと思うのです」
「いや、私が……話をするから」
「どの道、私は戻らねばなりません。ですから今後の為にこちらでの経過を私から——」
「いや、ダメだ。とにかく待っていてくれ。諦めてもらえるよう話をする。君を連れて行かれるのは——」
嫌だ。
と言いかけて、ハッとしたドレイクは続く言葉を呑み込んだ。
嫌だとはなんだ?
このまま連れて行かれれば、彼女の身の安全は保証されない。だから行かせるわけにはいかない。
人道的観点からそう思っていたはずだった。
それが、嫌だという個人の感情で動いていたというのか。
下手をすれば国家間の諍いとなりかねないというのに。
負うべき責務や国の平穏よりも個人的な感情を優先していたかのような自分に、ドレイクは困惑が隠せない。
黙ってしまったドレイクの様子に、サリアは静かに首を振った。
「ドレイク様、ご安心ください。ヴリティアに戻っても、そこでどんな罰が下されようとも、可能な限りドレイク様の解呪にご協力出来るように致します。その為にクリス様と交渉させて欲しいんです。あの方ならきっと呪いのことをご理解くださるはずですから。だからお願いします、話し合いの場に同席させてください」
懇願するサリアに、ドレイクは再びハッとする。
一応の解呪法は判明しているとはいえ現実的でない以上、彼女の協力がなければこの呪いは解けない。
こんなにも明確な彼女を手放せない理由があったというのに、露ほども頭になかった。
彼女が自身にとって有益だから、或いは人道的観点、機密保持。
そのような諸々は関係なく、ただただ、サリアを連れて行かれたくないと思っていたのだとようやく気づいた。
「ダメ……ですか?」
「……いや——」
王太子として——その行動原理に反した自身の振る舞いに、ドレイクは狼狽し言葉を探せずにいる。
何故、何故こんなにも我を忘れてしまうのだろうか。
「ありがとうございます! 必ず了承を取り付けます」
沈黙していることを了承と受け取ったのであろう。
サリアはスカートの端を持ち上げ深く膝を折ると、初めて会った時のように恭しく礼をしてみせた。
「ドレイク様、今日までこちらに置いてくださってありがとうございました。呪いを解けなかったことを申し訳なく思います……ですが、ヴリティアの私の研究室には呪いの資料も薬品もたくさんあります。こちらでのこれまでの分析結果と併せてそれらを用いれば、きっと元のお姿に戻れるはずです。私の代わりに必ず誰かに解呪を引き継いでいただけるように致しますので、ご安心ください」
これから捕らえられるとわかっていてもなお、サリアは自身のことよりも他者の心配をしている。
対して自身はこの呪いのことも対外的なことも、本当はサリアの祖国での処遇のことも考えの外だった。
彼女を失いたくないという思いが何をも凌駕していた。
そうと気づいてしまったドレイクは動揺から目を伏せた。
視線の先では鱗に覆われ鉤爪の付いた手が所在無げにぶら下がっている。
指先にはまだサリアの柔らかな髪の感触が残っている気がした。
「呪いが一日も早く解けることをお祈りしております。逃亡中の身でおかしな話なのですけど、私にとってこちらでドレイク様と過ごした時間が、これまで呪いと生きてきた中で一番穏やかな時間でした」
自分もだと、ドレイクは心の中で呟く。
呪いによって繋がっている歪な関係だったが、サリアと過ごす時間は呪いを忘れるくらいに心穏やかで、彼女がここに留まる理由を見失ったほどずっと続いていくような気がしてしまった。
立場も現状も何もかも忘れて、このままの日々が続けばいいと思っていたほど、彼女と過ごす時間は心休まるものだった。
「今日までありがとうございました」
告別の言葉に、薄れるばかりでもう確かめ直すことはない指先に残る感覚を握り締め、ドレイクは顔をあげた。
穏やかな声で別れを告げたサリアは今、仮面の向こうでどんな顔をしているのだろうか。
そして自分は今、一体どんな顔をしているのだろうか。
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