六話 陰謀の舞踏会②
「きゃああああぁぁあああぁっ‼︎」
叫ぶ女の腕を燃やして炎が噴き上がる。
ゴォッと音を立てて燃え立つ火柱は高い天井に届きそうな程の勢いだ。
「熱いっ! 熱いぃっ!」
「消火を! 早く!」
突然の出来事に、サリアを含め大半の者が動けなくなっている中、いち早く数名の男性がテーブルクロスやデキャンタの水を持って女に駆け寄った。
女の呻めき声と恐怖でパニックになったご婦人方の悲鳴の中、懸命になされた消火活動のおかげでしばらくすると火は収まった。
目の前で起こった出来事に、足が竦んで呆然と立ち尽くしたまま見守っていたサリアも、その様子にようやく息を吐く。
急に腕が燃え上がるなど、一体どういうことか。恐ろしいがひとまず助かったようで良かったと胸を撫で下ろした時だった。
「あの人よぉっ!」
テーブルクロスに埋もれて、苦悶に顔を歪めた女がサリアを指差し睨みつけていた。
「あの人がすれ違いざまにぶつかった私を睨んだの! そうしたら腕が燃えた! あの人よ! あの人が私を呪ったの! あの女の呪いよぉっ!」
呪いと叫ぶ女の指差す先に視線が集まる。
疑惑と恐怖と嫌悪の混ざった忌まわしい者を見る視線。
それがサリアに一気に向けられた。
「の……呪い……? そんな、私、何も……」
何もしていない。
睨むことはおろか視線を交わしてすらいない。
けれど何もしていなくとも、呪ってしまうことはクリスで長年証明され続けている。
それでもあのように人体を発火させたことなどは一度もなかった。
それにあの火力だ。あれは火炎魔術を一定極めたレベルの威力だった。
火炎魔術に精通していない者が、目が合った一瞬という短い時間で引き起こせるものではない。
だから仮に呪いであっても、あれ程の現象は自分には引き起こせないはずだ。
理性は冷静にそう考えて否定する。
しかしバクバク鳴っている心臓はそれを否定していた。
いや、昨日なかったからといって今日もないとは限らない。だから今日が初めての“その日”なのではないか、と。
「ち、違う……あんな炎……呪うなんて……」
はっきり否定できるほど自分に自信が持てずサリアが狼狽えていると、群衆からポツリと漏らしたような声が聞こえた。
「ねぇ、あの人……準宮廷魔術師のサリア嬢じゃない?」
その言葉を皮切りにそこここで、そういえばと続く者が現れる。
「言われてみれば、あの不思議なグラデーションのかかったミルキーブロンド……学生時代に一度見たことが」
「サリア、って黒ローブに不気味な仮面で不吉な、あの?」
「地下に閉じこもって怪しい研究してるっていう」
「呪いの研究でしょ? 気味悪い。噂では人を呪ったことがあるって——」
少しずつ染みが広がるようにして、吐き出された呪いの二文字が群衆の口を介しホール全体に伝播していく。
そうしてそれは視線に乗って、サリアに容赦なく突き刺さった。
「呪ったのか」
「噂どおり本当に」
「いやだ、恐ろしい」
忌まわしい物を軽蔑し厭悪する視線がサリアに注がれる。
あの日と同じく、責め立てるように。
「違う、私じゃ……呪ってなんて……」
ない、よ、ね?
もはや己で己が疑わしく思えてきて、恐怖で後退ったサリアはテーブルにぶつかって転んだ。
その拍子に仮面が外れて飛んでいったが、床に倒れ込んでもなお責め立てるような視線は治まらない。
それどころかどんどん増幅していく気がして、サリアは堪らず腕で視界を遮った。
「やめて、見ないで……私、呪って……」
「サリア!」
追い詰められたサリアが泣き叫びそうになったその時、群衆を掻き分けてクリスが駆け寄ってきた。
「大丈夫か」
「クリス様……私、やっぱり呪って……でもあんな、燃やすなんて……」
「サリア、大丈夫だ、落ち着いて。君が誰かを呪うなんてない。皆さんも落ち着いてください。原因が究明されていないのに呪いだなどと彼女一人を——」
「ですが、彼女は人を呪ったことがあると!」
「そうです。その相手が殿下だとも聞きました」
「彼女はあなたを呪いで縊り殺そうとしたって」
「違う! 呪いなどではない! あれは全部——私が……」
反論しかけたクリスがそこで一旦言葉を切り、何故かサリアを振り向き窺うように視線を寄越したので、サリアも涙の溜まった目でクリスをみつめ返した。
「あれは私が、あ、れは……くが……サリ……とが……呪い、じゃ……」
するとそれまで毅然としていたクリスは唇をわなわなと震わせだしたかと思うと、息が詰まったように言葉がつっかえだし、みるみる内に顔を赤くして過呼吸に近い荒く速い呼吸をしだした。
「……クリス、さま?」
呼びかけたサリアはそこでハッとした。
視界が広い。
仮面が、ない。
「呪いだ! 今度は王子を呪った! あいつはやっぱり呪ったんだ!」
またクリスを呪ってしまったとサリアが気づくと同時に、腕が燃えていた女が再びサリアを指差し叫んだ。
「あいつは危険な呪いの魔女だ!」
その叫びに弾かれたように、それまで傍観していた者達から一斉に声があがった。
「殿下が危険だ!」
「魔女を捕らえろ!」
その言葉とともに群衆の中から何人かが飛び出してサリアの方へ向かってきた。
「やめろ、違う……サリアは何も……やめ——」
クリスは苦しそうな呼吸を繰り返しながらも必死に制止しようとしていたが、駆けつけた衛兵によって離れた場所へ連れて行かれた。
強大な憎悪を前に恐怖に震えたサリアは逃げることも出来ず、身柄を拘束されると地下牢まで引き摺られて行った。