五十七話 元婚約者の強行②
と意気込んでみたものの。
気炎を吐いていたクリスはすっかり意気消沈して、流されるままに辿り着いた図書館の中から入り口前の広いテラスへと出た。
城門をくぐり大きな噴水のある広場に出るなり警備の騎士に誘導されて、庭園の左手隅に建てられた小ぶりな離宮といったこの図書館へと案内されてしまったのだ。
書庫と聞き、てっきり宮殿内の一室だと思っていたものだから、何処かへ忍び込めれば一か八かチャンスがあると思っていたのだが離れでは話が違う。
わかっていたつもりだったが、やはり甘い計画だったとクリスは肩を落とした。
「クリストファー殿下、この計画がいかに短絡的で無謀であったかおわかりいただけたかと思います。ここまで咎められることなく来たことの方が奇跡なのです。サリア様の件は他の者に任せ、事が露見する前に帰国致しましょう」
「……うるさい。これからどうするか考えるから少し一人にしてくれ」
「殿下!」
必要以上にコソコソとして逆に目立っていそうな秘書官から離れて、テラスの端に移動したクリスは眼下に広がる庭園を見やった。
先ほど通ってきた噴水のある石造りの広場が右手に見え、そこから階段を上がった先に広がる整えられた庭は広大だ。
ここから見て左手側、城門から真っ直ぐに進んで行った先の方には規則正しく窓の並んだ建物がある。あの辺りが宮殿だろう。
ここからでは遠すぎる上に、宮殿の周辺は大きな池と噴水を囲む広場になっていて開けている。部外者が通れば目立つことだろう。
忍び込むどころか宮殿へ向かうことすら叶いそうもない。
クリスは溜め息を吐いて欄干にもたれかかり、瑞々しい緑の海をぼんやりと眺めた。
城門周辺の庭園は立ち入りを許されているらしく、鳥の翼が見事なトピアリーを眺めるなどして散策する者が多く見られる。
遠くの方には小さな森のように木が密集している場所があり、その側に陽に煌めく建物が建っているのも見えた。
温室だろうか。
丁度図書館と対になるような場所で、キラキラとガラスに光が反射して眩しい。
「……何やってるんだ僕は。こんな所まで来て」
秘書官に諭されずとも、無謀で無茶なことはよくわかっていた。
それでも消えたサリアの手がかりになるかもしれない一筋の希望に居ても立ってもいられなかった。
サリアの安否もさることながら、なによりずっと恐れ続けていた彼女が誰かに奪われる可能性に今まさに直面しているかもしれないのだ。
そう思ったら後先など考えず、身体が先に動いてしまった。
「わかってる。不確かな情報で馬鹿なことをしてるって。だけど……」
彼女を失いたくない。
誰にも渡したくない。
彼女を自分だけのものにしておきたい。
初めて会った時からずっとそうやって想い続けてきたのだ。
ここで自ら手放すように諦めたりはしたくない。
陽の向きが変わったのか、温室らしき建物が反射する光が一段とキツくなった。
クリスは眩しさに目を細め一旦館内に戻ろうかとテラスを離れかけた。
その時だった。
遠く庭園の奥、眩しい煌めきのすぐ側で、探し続けていた華やかな色合いが一瞬閃いた。
かなりの距離がある場所だ、特別目がいいわけでもない。
願望から幻覚を見た可能性もある。
だが、とあれこれ思う前に、クリスは図書館から庭園へと至る階段を駆け下りていた。
「クリストファー殿下⁈ どちらへ——」
秘書官が驚いた様子で声をあげるのが聞こえたが、クリスは振り返らずに走る。
庭を眺めベンチに座り談笑する一般人達の脇を抜け、張られていた規制のロープを飛び越えて幾何学模様の迷路のようなエリアへ踏み入る。
「——あ! こら、待ちなさい!」
ロープの側に立っていた警備の騎士が慌てた様子で追いかけて来たが、複雑な通路に阻まれている間にクリスは振り切るように走って迷路を抜けた。
花のトンネルを通り小さなガゼボと池のある開けた空間を抜け、生垣で囲われた噴水を通り過ぎて温室と思しき建物を目指して走る。
見間違いかもしれない。
思い込みかもしない。
その上こんな騒ぎを起こしてはただでは済まない。
そう思いながらも、クリスは不思議な確信を持って足を緩めることはなかった。
そのまま走り続けて生垣の切れ目にかかったアーチをくぐると、細い小川の上に短い石橋がかかっているのが見えた。
その橋の上に、女性が背を向けて立っている。
淡いラベンダー色のドレスを纏い、風に靡く明るい髪は、毛先に向かって薄桃色のグラデーションがかかっていて花弁のようだった。
ああ、やっとだ。やっとみつけた。
ようやくこの手の中に戻ってくる。
探し続けたその人へ駆け寄ったクリスは手を伸ばし腕を掴んだ。
春の風に色があったらきっとこんな色だと思う長い髪をふわりと靡かせ、驚いた様子で女性が振り向く。
立ち姿が醸し出す柔らかな雰囲気どおりの、優しげで上品な顔立ち。
初めて会ったあの日と変わらない、恥ずかしそうに染めた頬と同じ色をした瞳。
この瞳にみつめられると、思わず息が詰まってしまうほど好きだという気持ちが込み上げる。
彼女がみつめるのはただ一人、自分だけであって欲しい。
誰の手にも決して渡しはしない。もう離さない。
振り向いた女性の見開いた目と視線が交わると同時に、溢れ出そうなものを堪えてクリスは探し続けた人の名を呼んだ。
「——サリア!」
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