五十六話 元婚約者の強行①
『大変不躾な振る舞いであると存じておりますが、ご指名頂いた務めはご辞退申し上げます』
あれは確か、数年前のこと。
魔術協定加盟国による魔術憲章制定二百年の節目となる平和祈念式典の時だった。
父の名代として参加したその会で、その男を見たのだ。
その会が開かれたのは、平定後に連合側が管理し中立地帯となった、旧帝国領内の広大な湖の浮島上に建てられた国際会議場だった。
各国から大使や高官、自分のように国を治める側の者が集まり魔術憲章の遵守と不戦を再度誓い合う、重要な意味を持つ式典だ。
しかし平和な時が長くなるにつれ重々しいものは薄れゆき、諸々の議事が済めばあとは各国の親交を深める場となり一般的なパーティーと変わらなくなっている。
そこに彼もいたと、クリスは馬車に揺られながら記憶を辿った。
国際的な会合にヴリティアの代表として赴くのは初めてで酷く緊張していたのを覚えている。
しかし行ってみればよくある社交の場と大して変わらず、立食にダンスにと和やかな雰囲気だった。
次代を担う自分と同じく若い面々も多々見られ、その中で一際目立つ者がいた。とある公国の幼き公女だ。
『踊って差し上げてもよろしくってよ』
お付きの高官がオロオロするのを意に介さず、相手が誰であろうと高飛車に声をかけて回る間違いなくこの場で最年少の二桁に満たない少女。
誰もが微笑ましく思い相手を務める中で、あの男だけは丁重に断ったのだ。
直前にダンスの相手を務め、
『中々良かったわよ』
との言葉をいただき苦笑しながら公女を見送ったクリスは、直後にすぐ側で冒頭の言葉を聞いたものだから面食らった。
なんと冷たい男だろう。
公女も予想外だったのだろう、ちょっぴり憤慨したような声が聞こえてきた。
『まぁ! この私がお誘いして差し上げてますのに。女性に恥をかかせるだなんて我が国では許されないことよ。それとも私が子どもだからと侮っていらっしゃって? 私は君主の名代としての責任を負ってこの場に赴いていますのよ。子ども扱いしないでいただきたいわ』
『いえ、決してそのような』
『じゃぁ、なんですの』
どこか軍人然とした風貌で浮つきのない態度のその男は、そう問われると跪き、公女と目線を合わせた。
『私には愛を捧げるべき婚約者がおります。しかしながら私は未熟者です。貴女のような魅力的な方のダンスの相手を務め、心奪われることにならぬとは言い切れません。故に、ご辞退申し上げます。彼女を裏切ることがあってはならないのです。己を律する為ゆえ、何卒ご容赦を』
『心奪われる……魅力的……』
まぁ、と頬を染めた公女に微笑み、その男は去っていった。
軟派な色恋とは無縁そうな堅物さを纏いながら、ロマンス小説さながらに婚約者を溺愛していると恥ずかしげもなく公言する。
たかだかダンスの相手をするくらい社交の一環。しかも相手は子どもだ。
それを裏切りとまで宣うとは、溺愛というよりは呪いにでもかけられているようだと思い印象に残った。
その彼こそが、リントワームの王太子、クラクス王子だったのだ。
「随分な溺愛ぶりだと思ったものだが……」
彼には頑ななまでに溺愛する婚約者がいたはずだ。
それなのに、とクリスは馬車の小窓から流れゆく景色を眺めた。街並みはすっかり見慣れなくなっている。
「婚約が解消される、と」
「はい。まだ水面下の話のようですが、噂ではキャンディール家とは近々婚約解消を発表すると」
クリスが呟くと正面に座っている秘書官がそう頷いた。
「表向きは円満でしょうが、財団のパーティーで王子殿下は婚約破棄を宣言しております。もちろん寸劇内の演技ではありましたが、直後、実際に婚約が解消されるとあっては……」
「全てが芝居であったわけでははないということか」
クリスは深く溜め息を吐き、爪を噛んだ。
恐れていたことがついに起きた。
あの日から機会は幾らでもあったが、ずっと口を噤んできたのはこうなることを恐れていたからだったのに。
ようやく外堀を埋め終え決心もついたその矢先に、守ってきた全てを奪われてしまうだなんて。
全てが狂ったあの舞踏会での己の不甲斐なさに苛立ち、クリスはギリッと拳を握った。
その様子に、秘書官がソワソワと小窓の外を見やりながら小声で語りかける。
「……とは申しましても、クリストファー殿下。件の女性がサリア様であったかも、オニキスが本当にクラクス王太子殿下であったかも定かではありません。従って婚約解消の件も、サリア様とは何の関係もない場合も。ですから今一度この強行はお考え直し——」
「関係なくない。サリアを攫ったのは絶対にクラクス王子だ。あれ程までに他の女性を寄せ付けず、婚約者を溺愛していた者が急に婚約解消だなどとおかしな話だ。そのうえ、ともすれば醜聞になりかねない内容の寸劇を、わざわざパーティーで披露する必要が何処にある。あれは演技などではなく本当のことだったんだ。経緯は知らぬがあの王子はサリアと出会い、そして見初めたんだ! 溺愛していた婚約者を捨てるほどの激しさで!」
「殿下、だからといってこのような……大問題になります。サリア様のことは伏せる必要も無くなったのです、一度外交ルートを通して——」
「婚約を破棄するほどだぞ、そんなことをしても相手が素直に応じると思えない。知らぬの一言で撥ね除けられてしまえば、もうサリアを取り戻す手立てがない。疑いは晴れたのだと彼女に伝わらなければ、サリアは僕の元に帰ってくることも出来ないんだ」
「しかし」
「では、あの森の中の処刑塔のことはどう申し開く? 我が姉の醜態は? 高位の宮廷魔術師による魔術を悪用した不祥事は? どれも大問題だ。だがサリアについて尋ねるのならば触れねばなるまい」
「それは……」
秘書官が言葉に詰まったのを見て、クリスは窓の外へと再び目を移した。
広い川にかかる大きな石橋の向こう側に堅牢な城門が見えている。
祖国の物よりも重厚だが無骨な印象を受ける。
その開いた門の中に大勢の人が楽しげに吸い込まれては吐き出され、中には本を手に帰って行く者もあった。
今日はひと月に一度の書庫の開放日なのだそうだ。
その人々の波を睨むように見据え、クリスは近づいてくる目的地へ向かって吐き捨てた。
「こうする以外にないだろう。直接乗り込んで、サリアを探し出し取り戻す以外に」
「無茶ですよ! 旅行者のフリをして潜り込もうなんて! いくら宮廷内の書庫を解放していて出入り出来るとはいえ、自由にうろつけるはずがありません!」
「そんなことはわかってる! だが姉上の件でゴタゴタしている間にこうして出国も出来たじゃないか。ここまで来たんだやるしかない。サリアを取り戻すために!」
ああ、もう! と秘書官は事が露見し大問題となることを恐れて顔を覆った。
クリスはそれを横目に城門の先、リントワームの王宮を睨み据えた。
「サリアは必ず返してもらう。彼女は僕の婚約者なんだ」
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