五十四話 宴の後に残るもの
「まったく何をしているんですあなた方は」
小窓から幾分か茜色に染まり始めた西陽が差し込む、狭い馬車の中。
振動に合わせて編んだ黒髪を左右に揺らしながら、正面に座ったヒューバートがこちらを睨む。
決して荒げてはいないが酷く怒っているのがわかる声だ。
「アイリーン様と婚約解消についての話し合いをすると聞いていたから許可したというのに、そのお姿で大勢が集まるパーティーに参加していたとは……」
言語道断です、とヒューバートは並ぶサリアとドレイクに顔を寄せて凄んだ。
つい先ほど参加していた秘密の乙女クラブのことはヒューバートには伏せていたのだが、そこは王太子の動向を常に捕捉している補佐官である。
パーティーへ参加したことはばっちりバレていて、会場を出て帰路に就こうと馬車に向かったところを待ち構えていたヒューバートに捕まり、こうして叱られているのだった。
「あなたもです、サリア嬢。解呪にご協力くださる大切な客人といえど、祖国でのご自身の立場をお忘れにならないよう。素性が知られるような真似は控えてください」
感情が昂る様を多々見てきたが、ヒューバートは怒りの針が振れると逆に静かになるタイプのようだ。
初めて地下牢で会った時に感じた冷たさと鋭さが全開で思わず怯む。
「申し訳ありません……」
「反省している」
二人して肩をすぼめ反省の弁を述べると、会場を後にしてから今までの間で一通り叱り終えたヒューバートは、そこで怒気を追い出すようにふぅと息を吐いていつもの調子に戻った。
「……まぁ、しかしですね。何事もなくお戻りになりましたし、なによりアイリーン様との件を丸く収めることの出来る目処が付きましたので、今回は大目に見ましょう」
目処というのは馬車に押し込められる寸前、後を追ってきたアイリーンの発言を受けてのことである。
『それでね、あれは本当にお忍びでご参加になった私の婚約者のクラクス王太子殿下で、事情はまぁ違うけれどでも同じくらいの悲劇に見舞われて婚約解消したのも本当のことなのよ、ってフランクったらいくら言っても信じてくれないのよ酷いわよね。これ以上ない絶好のタイミングだっていいますのに全然告白してくれないんだから。もう! 私の完璧なお芝居は邪魔されて、こんなにお膳立てして差し上げたのに告白も予定どおりにしてもらえないんですもの嫌になりますわ。でもね、ルドベキアの乙女の仰っていたことに私あの時ハッとしましたの。私ったらてっきりあなたが顔に火傷を負っていて仮面を付けているものとばかり思っていましたから、まさにペチュニアの乙女そのものだわと安直に考えてしまったの。ですけれど真にオニキスを愛する者ならば、尊重すべきはそのキャラクター性とストーリーでなければならなかったのよ。それなのにどうして私ったらあの可憐で繊細なペチュニアに悪役を担わせようと思ってしまったのかしら。同じ仮面なら偽りの乙女ダチュアという悪女がいましたのに。ああ、まだまだ私は未熟だわ。もっともっとオニキスへの愛と理解を深めなくては! だから私決めましたのよ。オニキスの世界の舞台となったと言われる彼の地、レンガと霧と運河が想像を掻き立てるあの街! そちらへ留学して彼らが暮らす世界の空気を肌に感じ、身も心もオニキス色に染まってより愛を深めようって。そうと決めたら私すぐにでも旅立つわ。お二人とも、今日のパーティーではご協力してくださってありがとう。そして私に初心を思い出させ、オニキスシリーズへの想いをより深いものにするきっかけをくださってありがとう。しばらく国を離れますけれどお元気で。また良かったら来年のパーティーにご招待致しますわ。クラクス様ったらいつ練習なさったの? 素晴らしいアドリブでしたわ! あんなに素敵な演技がお出来になるだなんて知りませんでしたわよ。あの演技ならまたオニキス役再演していただきたいわ。あなたも次はダチュアをお願いしますから、悪女役に磨きをかけておいてくださいませ。私も彼の地で学んで衣装も脚本ももっともっと素晴らしいものにしますから楽しみにしてらしてね。それでは私はパーティーに戻りますわ、ご機嫌よう!』
アイリーンはそう喋るだけ喋って春風のように軽やかに会場に戻って行った。
どこまでも無邪気な少女だが、そのおかげで国外で慈善活動に専念したい彼女の意志の尊重と、その崇高なる奉仕の心に胸打たれた王太子の意向から、婚約は一旦解消するという体裁で話をまとめられそうなのだという。
「これで双方のメンツと殿下の秘密は守られるでしょう。いやぁ、怪我の功名ですかね。とはいえ大目に見るのは今回だけですよ」
最後に一睨み利かせヒューバートが説教を終えると同時に、馬車が止まり王宮へと帰り着いた。
実に長く、息の詰まる道程だった。
しかしサリアは少しだけ、ヒューバートが同乗していたことにホッとしていた部分があると、先に降りようとするドレイクの背をみつめた。
自身の呪いを知っていたうえで咄嗟のことと理解しているが、先ほどの会場でのあれは、ほぼ後ろから抱きすくめられたのと同義だったのだ。
今もまだ思い出すだけで顔が熱くなるというのに、もし狭い馬車内でドレイクと二人きりだったらまともに座ってもいられなかっただろう。
これまではトカゲだと思えたから、似たようなことがあってもすぐに忘れられたが今はそうはいかない。
乗降口で振り向いて手を差し伸べてくれるマント姿のドレイクは人間にしか見えないのだ。
スラリと背が高く、帽子と襟との隙間から深みのある青い目を覗かせるただの男性に。
「サリア、どうした?」
「——っ! あ、いえ! なにも!」
降りるよう促されているにも関わらず茫としてドレイクに見入っていたサリアは、声をかけられて我に返り、慌てて差し出されていた手を借りた。
これでヒヤリとした鱗の感触があれば顔の熱も冷めただろう。
しかし手袋をしているドレイクの手はほんのり暖かい人のそれで、サリアはますます意識してしまった。
「あ……ありがとうございます」
「サリア……その、先ほどの会場での件だが——」
馬車のタラップを急いで降り切ると、傍らでドレイクが呟くように話しかけてきた。
近距離で頭上から降ってくるその声に、直前の記憶が体温と共に蘇る。
「咄嗟のことだったとはいえ、あのように君を——」
「わ、わかっていますドレイク様! あれは私を助けてくださる為の緊急的な措置で、演技だったと! ですから、私はまったく何も気にしておりません! ええ、本当に……ですからドレイク様もお気になさらず! あ、私、着替えて参ります。一刻も早く解呪の研究を進めたいので。で、では失礼します!」
サリアは仮面の下で真っ赤に染まった顔を押さえてその場を逃げるように走り去った。
あれは緊急的で咄嗟のことで、何の他意もないことだ。
そうわかっているのに、未だ背中に残る熱に、庇う以外の意味を見出そうとするかのように意識を向けている自分がいる。
それに気づいて、サリアは必死に思考を追い出すように頭を振って走った。
「何考えてるの、私。意味なんてあるわけないのに——」
♢
「そう……あれは緊急的な咄嗟の措置だった」
走り去ったサリアの後ろ姿を呆気に取られて見送ったドレイクはポツリと呟いた。
あの場で大勢の目から彼女を守るにはあれしか思いつかなかったのだ。
だが、とドレイクは煌々と眩しく輝く西日へと目を向けた。
「何故あんなセリフを、演技を」
咄嗟に出来たのだろうか。
茜色の太陽の向こう側。
空の端に滲む夜との境界の桃色に答えを探すように視線を投げてから、その眩しさにドレイクは帽子のつばをグッと目深に引き下げた。
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