四十八話 怪盗オニキスと秘密の乙女
「フランクっていうのはね、秘密の乙女クラブの会員の一人なの。いつもチャロアイト子爵に扮しているわ。私はフリージアの乙女がお気に入りなんですけれど。お高くとまったキャラに見えて天真爛漫な隠された一面が怪盗オニキスによって——」
「ひ、秘密の乙女……? チャロア……怪盗?」
爽やかな緑あふれる温室の中で聞き慣れない単語が次々に連発されて、サリアが思わず繰り返すと、まぁ! と驚いたようにアイリーンが振り向いた。
「怪盗オニキスをご存知ないの? あの名著〈怪盗オニキスと秘密の乙女シリーズ〉を!」
聞くからにロマンティックそうな本の名だ。
確かアイリーンはロマンス小説をこよなく愛していると聞いたことがあったが、生憎サリアが齧り付いてきたのは主に魔術書だ。
「すみません……存じ上げません」
「あなたそれでも恋する乙女⁈ 信じられないわ! 知らないだなんて人生の大損! 恋する資格がありませんわよ!」
そんな重大なことなのかと狼狽えてドレイクへ視線を送ると、彼もまたコクンと頷いた。
「アイリーンのお気に入りのロマンス小説で乙女のバイブルなんだそうだ。怪盗オニキスと秘密を抱える乙女達とのラブロマンスで、チャロアイト子爵はオニキスの友人であり乙女達とオニキスを繋げる役割を持った顔の広い青年なんだ」
「ドレイク様までご存知で……」
「オニキス役を演じるのに、読んでおく必要があったからな」
「オニキスのかっこいいアクションシーンもあって楽しめる、男性でもファンの多い作品なのよ。クラクス様は背も高くて強くてかっこよくてオニキスそのものだったけれど、演技の方がいつまで経っても棒読みでイマイチでしたのよね……」
はぁ、と溜め息を吐いてドレイクへチラリと視線を投げかけたアイリーンは、そこにトカゲが座っているのを思い出したようで慌てて顔を背けた。
「その小説と、フランクさんと乙女クラブ? とは、どういったご関係なのでしょうか」
「ああ、そうでしたわね。秘密の乙女クラブのことを説明しなくてはいけませんわ。その前に世界オニキス財団はご存知?」
「クラブの方は知らないが、その財団は確か君が長年支援している慈善団体だな」
「そうですわ」
アイリーンは頷くと、団体について掻い摘んで説明を始めた。
曰く、世界オニキス財団とは件の小説を愛好する者達が主に出資し、世界中の書籍の保護や、青少年達に読書を中心とした教育の機会を広げようと活動を行う慈善団体なのだそうだ。
「その中で支援額か活動が一定になると、ある資格が与えられるの。年に一度開かれる会合への参加を認められる会員の資格が」
そう言うとアイリーンは舞台女優のように両手を広げ立ち上がり、スカートの裾をはためかせて回りながら叫んだ。
「その会合こそ秘密の乙女クラブ! オニキスと乙女達を愛してやまない者達の秘密の集い! 愛するキャラクターに扮し、同志達と物語に対する熱情を語らい合う至高の場! それが秘密の乙女クラブ!」
つまり仮装パーティーね、とアイリーンは座り直すと落ち着き払って優雅にお茶を啜った。
ドレイクの周りには感情の起伏が激しい人が多い気がする。
「……その会員の一人がフランクさん」
「ええ、そう。会員同士、基本は匿名だけれど、仲が良ければお互い身を明かすこともあるわ。私とフランクは同じ仮装グループでお互いの身分を知っていますの。衣装を作って差し上げることもあるくらいの仲よ」
「アイリーンの服飾技術は目を見張るものがあるんだ」
「仮装の衣装は毎回自分で作りますのよ」
それはすごい、とサリアは感心する。
「それでね、その会合が数日後に迫ってまして。年に何度も開かれる会ではないから、ここを逃したら次は一年先……だからなんとしてもこの会で、私が婚約者と破局してしまった悲劇の乙女だってフランクにわからせて、愛の告白をさせてあげなくちゃなりませんのよ」
「愛の告白……。では、フランクさんとアイリーン様は以前からそういったご関係だったの——」
そう口にしてしまってサリアはハッとした。
いくら解消したとはいえ、数日前まで婚約していた相手が目の前にいる場で、他に恋仲だった相手がいるのか問うのはいかがなものか。
ましてやアイリーンの口ぶりからはそれが確定しているように聞こえるのだ。
流石のドレイクとて、いい気持ちはしないだろうと慌てるサリアだったが、アイリーンは意外にも首を振った。
「いいえ、恋仲なんかじゃありませんわ。私にはクラクス様という素敵な婚約者がいたんですもの。清き乙女はよそ見なんて致しません。でも……」
アイリーンは口許を押さえ、憂えた瞳でドレイクの方を見た。
「なんて悲劇なのかしら……あんなにも愛し合っていたのに。忌まわしい呪いによって引き裂かれてしまうだなんて……神様は私にどれだけの試練をお与えになれば気が済むの!」
やはり女優のように悲劇のヒロインぶったセリフを天に叫んで、アイリーンは椅子の背もたれに泣き伏した。
急に始まる寸劇にサリアが驚いてドレイクを窺うと、いつものことといったように静かにアイリーンを見守っている。
慈愛というか完全に保護者のそれの顔で、二人の関係性がなんとなくわかった気がした。
しばらく見守っているとアイリーンは気が済んだのか、出ていない涙を拭う真似をして身を起こした。
「呪いによって最愛の人との別れを経験した私……でも泣いてばかりはいられないわ、恋する乙女は時間を無駄にしないもの。そこでフランクよ。彼は同じ情熱を持ったお友達だけれど、彼だったら容姿も家柄もまあまあだから、新しく婚約者にしてさしあげてもいいわと思って」
「……ということは、フランクさんがアイリーン様へ好意を寄せておられて——」
この機会に、ということかと思ったが、アイリーンはキューブ状のケーキを口に運びながら曖昧な答えをした。
「ええ、きっとね。そうでしょうとも。乙女クラブでは小説への愛を語らうのに忙しくてそんな雰囲気になったことありませんけれど、ええ間違いなく」
「え……でも、告白をさせてあげるって——」
思わずサリアが訊ねると、アイリーンは手にしたフォークを唇に当て、小首を傾げて上目遣いでサリアを振り仰いだ。
「ええ、そうよ。だって、こんなに可愛い私が、何の落ち度もないのに可哀想に婚約者と破局してしまったのよ。それを知って告白してこない男性がいると思って?」
きょとんとした顔で当然といった風にアイリーンは言い切った。
たっぷりの睫毛に囲まれた大きな瞳は無垢そのもので、疚しさなど微塵もない。
その瞳にじっとみつめられては返す言葉もみつけられず、サリアは頷く以外になくなった。
「……そうですね」
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