四話 渦巻くもの
朝から紆余曲折を経て研究棟の地下にある自分の研究室にたどり着いた頃には、いつの間にやら太陽が天頂を通り過ぎていた。
部屋の中では、今日の実験に使うために前日から準備しておいた器具や呪具、複雑な紋章の描かれた紙や本がテーブルにもワゴンにも満載されている。
奥の机でコポコポと音を立てているフラスコの中の呪薬は、今日使うには最良の出来になっているだろう。
しかし、今日は研究を進める気にならない。
人を呪ってしまう自分が、最も呪ってしまいやすいクリスと婚約するなど考えられず、そのことで頭がいっぱいだからだ。
「どうしてこんなことに……」
自分一人と一匹だけの部屋で、サリアはフードを脱ぎ仮面を外した。
パラパラと、毛先と根本でまるで違う不思議な色合いの髪が顔にかかる。
「踊れば呪いが解けるなんて、そんな簡単に行くのなら、私は目指していた治療術師の道を逸れてまで何年も呪いの研究なんてしてません。こんなフードも仮面も必要なかったはずです。そんな簡単にいかないから、姿を見せない以外に防ぎようがないから、だから私はずっとこうして一人で——」
婚約を知り、動揺から冷静でいられなくなったサリアが抑えきれなくなった心の内を吐露すると、何かが腕を伝っていき握りしめていた仮面に飛び乗った。
「……ごめんなさい。閣下がいてくださいましたね。私のたった一匹の無口な友達」
仮面の上に乗った閣下は、そうだと言わんばかりに胸を張って後ろ足で立ち上がると、サリアの腕をタタッと駆け登り定位置にしている首の後ろに戻った。
友人の無言の慰め。
サリアは一つ息を吐いて心を落ち着ける。
「……恨み言をいっても仕方ないものね。避けられないのなら、なんとかこの呪いを止める方法を見つけなくちゃ。でも……」
サリアは薬品を詰めた棚のガラス戸に近づいた。
仮面を外しフードを取った素の自身の姿が映っている。
なんとなく子供っぽく見えるガラス戸の中のプニッとした唇をなぞり、サリアは光の加減で毛先と同じ薄桃に見えもする自身の茜色の瞳をみつめた。
何を以て発動してしまう呪いなのか、どうすれば防げる呪いなのか。
今のところクリス以外を呪ってしまったことは憶えている限りないが、今日までないからといって明日もないとは限らない。
この目がいけないのか、唇か、肌か、それとも存在か。
いずれにしてもうっかり顔を見せてしまうと、クリスは決まって苦しみだした。
「舞踏会は三日後……この仮面を付けては……」
大勢が集まる中で顔を晒していいものか。
サリアは悩んで溜め息を吐いた。
♢
「忌々しいオルコットの青二才め。娘を使って王子に取り入るなどと汚い真似をして」
老獪さが顔に出ている白髭の男は憎々しげにそう言うと、持っていたワイングラスをテーブルに叩きつけるように置いて怒鳴った。
「筆頭宮廷魔術師の座をあのような軽薄な人間が務めるなど、この国の恥だ! 難関の登用試験を一度でパスした男とて許されるものか! 筆頭の座に相応しいのはこの私だ!」
割れこそしなかったものの、グラスからは中身がビチャビチャと撒き散らされている。
取り巻き達が慌てて男の服についたワインを拭きながら怒り狂う男を宥めていると、コンコンと部屋のドアがノックされた。
「……入れ」
「グレゴリー様、お待たせ致しました」
こちらも取り巻きの一人と思しきローブの男が入ってきたのを見ると、グレゴリーは身を乗り出した。
「おお、どうだ? 見つかったか」
「ええ、足が付かず、整えればそれなりに見えて、金を渡せば意のままに動いてくれる、あまり物事を深く思考しない娘がおりましたよ」
「悪意のある言い方をするな。まぁ、良い、見つかったのだな。では、早急に準備をしろ」
「仰せのままに、我らが筆頭グレゴリー様」
男はそう言うと部屋を出て言った。
グレゴリーはそれを見届け、空に近くなったワイングラスを給仕に突きつけ注がせると、一気に煽ってニヤリと笑った。
「オルコットの猿め、今のうちに高笑いしておくといい。お前が娘を使って筆頭の座を汚く掠め取っていこうというのなら、こちらもお前の娘を使ってその計画を潰してやろう」
悪どい笑みを浮かべたグレゴリーはハッハッハッと低い声でしばらく笑い続けた。
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