三十九話 魔女とウサギ②
滝の裏側へと回ると、岩肌の一部に大きな穴が穿たれており、そこが洞窟の入り口だった。
「中は少し下りになっていて滑りやすく、入り組んでいるから気をつけるように」
「わかりました」
小さなランタンをそれぞれ手にし、洞窟へと足を踏み入れる。
数歩進むと入り口からの光も薄らとしか届かなくなり、心許ないランタンの灯りでは仮面ゆえの視界の悪さも相まって、サリアには足下くらいしかまともに見えなくなった。
確認出来る地面もでこぼことしている上に湿っていてドレイクの言うとおり滑りやすく、一歩ずつに注意を向けねば転びそうだ。
「ここにも魔獣の痕跡はないようだ、大丈夫だろう。向こう側に抜けられるルートもあるが、どこまで進む?」
「目的のキノコはそう奥まで行かずとも見つかるはずなので、すぐに戻れる所までで結構ですが……ドレイク様、この洞窟にお詳しいのですね」
「子供の頃から訓練の一貫としてよく来ていたからな。初めて魔獣退治をしたのもこの洞窟だった」
魔獣といってもネズミ大のものだがとドレイクは笑ったが、大型はいなくとも小型の魔獣は普通に出るんだ、とサリアはちょっぴり青くなる。
普段採集に向かう時には魔獣除けの対策をたっぷり用意するのに、それが一つとしてないとあっては不安だ。
けれど、とサリアはほんの少しランタンを掲げて目の前を行く背中を照らす。
広く頼もしい背中を目にすると、抱いた不安も薄らいでいく。
今日は一人ではない、ドレイクがいてくれる。
なんと心強いことだろう。
「ドレイク様はお小さい頃から魔獣討伐をなさっているのですね」
「国を守る騎士の務めの一つだからな。報告があればあちこち出向いている。ヒューバートに城を空け過ぎだと注意されるくらいには」
「国民の為に、ご立派でございます」
小言をこぼすヒューバートがありありと想像出来て、サリアが笑い声を漏らすとドレイクは苦笑した。
「そう言ってもらえて嬉しいが、その目的だけではない部分もある。我が国も一枚岩とはいかないからな。各地を回って諸侯の動向を耳目に入れておきたいのだ」
リントワームは国土が広く、領地を持つ諸侯も多いのだろう。ただ狩りが好きで飛び回っている道楽王子なわけではないのだ。
サリアがなるほどと感心すると、それに、とドレイクが言った。
「元はただの動物であった魔獣は、人が生み出したと聞くからな」
「そう言われますね。先の戦争での魔術の急速な発展は、それまでの魔素の流れを著しく変えてしまいました。その結果、大気中に高濃度の魔素の淀みが出来るようになり、それに曝露した動物が魔獣として変異し凶暴になるのだと」
「或いは直接的に魔術による影響だとも」
「ええ、いずれにしても人が魔術を使うようになってから魔獣が頻出しています。人が生み出したといって過言ではないでしょう」
うむ、とドレイクは頷いた。
「かの二百年前の戦争では、競い合うように各国が魔術を発展させていった。攻守や治癒の魔術はもちろん、呪いに関しては最盛期だったと。そしてその実験の為にたくさんの動植物を、果ては人間までをも犠牲にしてきたと聞く」
「呪いはあらゆる魔術の集合体であり、呪術師達は魔術の発展と言う面においては功労者であることは確かです。しかし、戦争への協力を口実に倫理を欠いた実験を繰り返し、生み出した悪しき魔術で人々を苦しめた罪深き者達です」
「オズワースを代表とする悪しき呪術師は許されざる者達だ。しかし彼らのような悪しき者を生み出した背景には愚かな戦争があった。その戦争に名を連ねていた国を治める者としては、彼らを生んだこと、彼らの犠牲となった者への償いはしなければならないだろうと考えている。それは相手が魔獣とて同じだとも」
魔獣も、とサリアが呟くとドレイクが振り向いた。
「魔獣になってしまったウサギは魔獣になりたかったわけではないと思うのだ。人を襲い暴れ回り、恐れられたくなどなかったと。きっとウサギとして野を駆けて草を食べ、穴を掘って眠りたかっただろうと」
「ウサギとして……」
「だから魔獣討伐は私にとっては動物達への償いのような意味合いもある。人の業によって悪しき者に変貌させられ、忌み嫌われてしまった動物達を、元には戻せずともせめて望まぬ姿から解放して眠らせてやりたいとな」
ドレイクの話を聞きながら、サリアは魔獣になったウサギと自分とをどことなく重ね合わせた。
ある日突然、自分が恐ろしいものに変わってしまったという混乱と恐怖。
誰も傷つけたくはない、襲うつもりはないと思う意志とは別に、自分の存在自体が脅威となって周囲を傷つけていく悍ましさ。
追い詰められて身を守ろうとした行動でさえ忌み嫌われ、ただ己として生きることすら許されなくなった魔獣の姿は、自らの呪いに苦しむサリアそのものの気がした。
「まぁ、詭弁だがな。魔獣からすれば大義を振り翳して命を奪おうとすることに変わりないのだから」
そう言って自嘲する風に笑ったドレイクに、サリアはふるふると首を振ってみせた。
「ウサギはきっとウサギとして生きたかっただろうと私も思います。叶えられなかったウサギとしての生を慮り弔ってくださる、ドレイク様のような方に最期を引き取ってもらえるなら、ウサギは救われるとも思います」
とうに諦めていた夢を誰かに語ったのは昨日が初めてだった。
慰めとわかっていても、叶うと肯定してもらえたあの一時、呪いとは切り離して本来の自分自身を見てもらえた気がして嬉しかった。
望まぬ姿となって苦しみ暴れる魔獣も、本来の生を奪われた悲哀を思ってもらえるなら、きっと救われるだろう。
「……そうか。そうだといい」
「ええ、きっと」
そう微笑むと、ドレイクが不意にサリアの目をじっとみつめた。
ランタンに照らされて紺青の瞳の中にオレンジの光が灯っている。その瞳が、瞬きもせずにサリアだけをみつめている。
急に向けられた真剣な眼差しに胸が鳴った。
一体どうしたというのだろうか。
ドレイクの心情を量りかねて心臓が鼓動を早めていく。
思わず目を逸らしたくなったが、絡む視線がそれを許してくれない。
ただただみつめ返すしかないが、暗がりの中で普段よりも夜の色の濃くなった瞳に、不安になるような気恥ずかしさが込み上げて平静でいられなくなってくる。
おそらく実際には一瞬のことかもしれなかったが、体感ではとてつもなく長い時間が経っている気がした時、ドレイクが静かに言った。
「サリア」
「は、はい!」
「私の目を見たまま、動かずに」
「は……」
何を、と思う間もなく、ドレイクはじっと目をみつめたまま、そっとサリアへ手を伸ばした。
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