三十八話 魔女とウサギ①
「昨日倒れたばかりなのだ、無理をする必要はないと思うが」
「いえ、すっかり元気になりましたので。呪いを放置してはどんな危険があるかわかりませんもの、出来る限り急ぎませんと」
昨日の今日ではあるが、サリアとドレイクは例の洞窟へリベンジとばかりに向かっている。
今日も車外の陽射しは強く暑いくらいだが、昨日の轍は踏まないだろう。今日のサリアはローブは羽織らず、ニーズヘッグ隊の女性用隊服を借り受けパンツルックなので涼しく動きやすいのだ。
本当は、自前の物は昨日置き去りにしてきてしまったのでローブを借りたかったのだが、
『また緊急転移する事態になったら次は怒ります。イメージ保持も大概にしてください』
とヒューバートに強く拒否されては仕方ない。
仮面が外れることのないよう、注意しようとサリアは気を引き締めた。
馬車は昨日も通った同じ道を辿って山道へと至る。
「昨日の内に済ませられたものを、私が倒れたばかりに今日もお付き合いいただいて申し訳ないです」
「そう恐縮ばかりする必要はない。私はあの決裁書の山積みになった机から逃れられるのだし、今日でいえば君の用事はついでだ」
「ついで?」
サリアが聞き返すとドレイクが頷いた。
「我が隊の案件だよ。道を塞いでいた倒木があっただろう? あれに僅かだが、大型の獣の爪跡と思しき物があった」
「大型の獣……」
「恐らく魔獣だろう」
魔獣! とサリアが悲鳴混じりの声を出すとドレイクが大きな口を開けて笑った。
「案ずるな、調査隊の報告では、どうも最近のものではないようだし倒木の直接的原因でもなさそうだ。恐らく以前討伐した個体のものだろう」
「そうですか……よかった」
「ただ、念の為に今日も我が隊に調査をさせ、万一に備えて君には私が同行することにした。安心していいぞ。君を危険に晒しはしない、私がいるのだからな」
ギザギザの歯を見せて大きなトカゲは笑っている。
随分と自信家なトカゲだと、サリアもつられて微笑んでしまった。
「それは心強いです。頼りにしております」
♢
昨夜の内に倒木は片付けられており、今日は件の馬車の通れる川沿いの道を行くことが出来たため、すぐに滝の音が聞こえるほど近くまで乗り付けられた。
山道を太陽に灼かれながら登り、斜面を滑落しかけた昨日とは大違いの楽な行程だ。
同行した護衛を馬車と共にその場に置いて、ここからは道幅が狭まるのでドレイクと二人、川に沿って歩いて向かう。
昨日もそうだが、王太子でありながら護衛を外して一人で出歩くのを良しとされていることにちょっと驚く。
この地域の安全が確保されていて、昨日のように緊急時には瞬時に保護できる体制が整っているからだろうが、それが魔獣がいる可能性の下でも変わらないのは、ドレイクの腕が余程信頼されているからなのだろう。
後ろについて歩きながらサリアはドレイクを見上げてみる。
外套をすでに脱いでいるドレイクの頭にはツンツンと角が生え、鱗に覆われた首の後ろにはクレストが並んでいる。まさにトカゲだ。
しかし目の前にある背中は広く大きく、服を着ていても肩回りや背部は程よく筋肉で引き締まっているのが分かる武人のそれである。
剣を振るう姿を見たことはない——思い詰めすぎて抜いている所は見た——が、堂々とした後ろ姿は相当な腕前でありそうに見え、この背の後ろにいれば大丈夫だという安心感を与えてくれた。
先程、自信家なトカゲだなどと失礼なことを思ってしまって、サリアは心の中で謝る。
車内でドレイクが宣言した言葉には過信も誇張もないのだとわかる、なんとも頼もしい背中だった。
その背をみつめながら、実際に昨日だって、とサリアは思い返す。
斜面を滑り落ちかけたあの時に、ドレイクはサリアを受け止めてくれた。
咄嗟のことな上に鋭い鉤爪まであるのに、引っ掻き傷どころかかすり傷一つ負わすことなく、しっかりと抱きかかえ庇ってくれたのだ。
改めて思い返すと、眼前に迫った惨事に動転していて、あの時は感じる暇もなかったドレイクの腕の感触が急に蘇ってくる。
抱き締めるように背中に回された無駄な肉の無い筋肉質な腕。その逞しい腕に強く引き寄せられて、ギュッと押し当てられた胸板。
けれど咄嗟の場面でも決して乱暴ではなく、大事に大切に守ろうとする優しさがあって、抱きかかえてくれたドレイクの腕は力強く、鱗の分だけ少しひんやりとしていて——
「着いたぞ……どうした?」
急に振り向かれてバッチリ目が合ってしまい、サリアは我に返って慌てた。
無意識にドレイクのことをじーっと見つめていたようだった。
「え⁈ あ、いえ、なんでも!」
「……そうか? 具合が悪いようなら遠慮せず言ってほしい」
「いいえ、今日は大丈夫です! 失礼しました。参りましょう!」
サリアはそう言うとドレイクを追い越し、滝裏へ続く小径を先に進んだ。
滝が上げる水飛沫に濡れたふりをしてさすった腕には、まだ昨日の感触が残っている気がした。
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