三十六話 悪党の末路①
「実に愉快だ。こんなにも全てが描いたとおりになるのだから」
抑えきれないといった低い笑い声を漏らしながら、グレゴリーはワインの注がれたグラスをシャンデリアの光に透かした。
血のように濃く重たい赤色を通って色付いた光が、顎髭に赤い影を落とす。
「あの猿を失脚させ、さらには王女の信頼をより厚いものとする、実に素晴らしい策略だった。惜しむらくはあの罪無き才媛の頭脳だが、致し方ないことよ」
「高みへと上り詰めていくには多少の犠牲は付き物でございます。どの道あの娘はオルコット家の者。後々の禍根も断てたと思えば収穫の方が大きいかと」
「そうよの」
ハハハと側近と笑い合い上機嫌にグラスを傾けたその時だった。
俄に部屋の外が騒がしくなったかと思うと、勢いよく扉が開かれた。
「……なんだ、騒々しいぞ」
不機嫌を隠さず吐き捨て入り口を睨むと、そこには入室を阻もうとした配下を振り切り、一人の女が立っていた。
美人の部類の派手な顔立ちをしているが化粧も濃いのでけばけばしく、ボリュームのある髪はだらしなく纏めて片側に垂らし、胸元の大きく開いた下品な服を着ている。
「なんだ? お前は」
「忘れたってのかい?」
王宮の持つ優雅さとはかけ離れた品のない姿と口調は、一見して庶民、それも場末の女だと物語っていた。
「お前のような見窄らしい女は知らん。一体どうやって潜り込んだ。ここを何処だと——」
「グ、グレゴリー様! この女性は……」
すると追い返せと命じようとしたグレゴリーを遮り、先ほどまで談笑していた側近が慌てた声で耳打ちした。
「あの舞踏会での計画の為に仕込んだ女です!」
「何?」
グレゴリーはまじまじと女を見た。
顔など憶えていないが、この女は顔立ちは綺麗で上背もあり、ドレスも映えそうだ。そして生活は決して良くはなさそうで、金に飢えていそうだった。
確かにあの時そういう女を探させた。
王家や貴族にまず関係なく、しかしドレスを着せればどこぞの貴族の端くれに見えて、金さえ渡せば下手に勘繰らず何でもやり、次の日消えても誰も何とも思わなそうな女を。
「何故お前がここにいる。金は既に渡したはずだ。王都を離れる決まりだったろう」
「思い出したのかい。だったら報酬の額も思い出しておくれよ。あんたに指示されたとおり芝居してやった、舞踏会での働きに対する報酬の少なさをさ!」
女が大きな声で怒鳴るように言ったので、側近が慌てふためいてキョロキョロとした。何処で誰が聞いているかわからない。
「……しばらくは遊んで暮らせるだけの額を渡したと思ったが」
「あんなもんじゃ足りないってのよ。これ見な!」
女は右袖を捲りあげ、その下に嵌めていた二の腕までを覆う手袋を外した。
露にされた腕には点々と赤茶色のあざのようなものが出来ている。
「危険はないって話だったろうよ。安全に手袋だけが燃えるように魔術をかけてあるから、タイミングを見計らってあの変わった髪色の女にぶつかればいいって。それが見てごらんよ! 火傷しちまったうえに、痕まで残ってるじゃないか!」
「その程度、渡した金で医者にでも診てもらえばすぐに治ろう」
「冗談じゃないよ、追加で治療代を寄越せってんだ!」
女の腕に残る火傷の痕を一瞥し、邪魔者への手向けとばかりに少々盛大に燃やしすぎたか、とグレゴリーはあの舞踏会を思い返す。
しかしあれほどの火柱であったからこそ衆目を集め、あの娘の呪いであると信じさせることが出来たのだ。
あれくらいでなければ、あの王女のことだ、舞踏会が中止にまではならなかっただろう。
とはいえ、やり過ぎたのも確かかもしれない。
グレゴリーは、ふぅ、と短く溜め息を吐くと剃り上げた頭を一撫でしてから側近に告げた。
「……払ってやれ。そしてそのまま王都外へ追い——」
そう言いかけたグレゴリーの言葉を聞いて女がニヤリと笑った。
「ついでに慰謝料と、働きに見合う分だけの差額も頼むよ」
「……なんだと?」
再び睨みつけるが女は怯むことなくニヤニヤと笑っている。
「当然だろう? 若い女の柔肌に傷を作ったんだ、払うもん払いな。それから、あんな危険な橋を知らされずに渡ったんだから追加報酬だって当然さ」
「腕が燃える件は了承済みだったはずだ——」
「その話じゃないさ」
女はイニシアチブはこちらにあると言わんばかりにゆっくりと首を振った。
「余興だってあんたは言った。舞踏会が始まる前のちょっとした……って。でも、あの騒ぎで舞踏会は中止になった。あれは余興じゃなくて舞踏会を潰すためのものだったんだろ?」
思わず眉を顰めたグレゴリーを見逃さず、女は下から掬い上げるように睨めつけて笑った。
「あたしら下々の者だって皆知ってるよ。あの王女さんが辣腕で浪費家で大の舞踏会好きってね。それをわざと潰したって知れたら……どうなるかも知ってるよ」
「……小賢しい真似を」
「黙ってて欲しいなら、あんたはあたしに払うもんがあるだろ? そういう話をしてるのさ」
真っ赤な唇を歪めて歯を見せた女に湧き上がる怒りを抑えて、グレゴリーは、じっと女をみつめる。
ダンスが絡むと苛烈な判断を下すあの王女主催の舞踏会を、邪魔しようなどと企む者はまずいない。
だから誰も気づかないし疑いもしないのだ。
あの騒動が仕組まれたものであり、邪魔者を排除する為に王女を利用したのだなどと。
そう誰も気づかない。
例え疑問に思っても探ろうだなんて思わない。
多少不可解でも呪いということにしておけばいい。
下手に言及して、罪人とされた者を罰し溜飲を下げた王女の逆鱗に再び触れたくはないのだ。
だから、この先もあの舞踏会での真実を知っているのは、この計画を主導した自身と配下と協力者のみ。
「……あまり物事を深く思考しない娘を用意させたはずだが、どうして、悪知恵だけは働く。人の常かもしれんな」
グレゴリーはそういうと、席を立った。机に置いたワイングラスの中身がゆらと騒めいた。
「あたしは貰うもん貰えればそれでいいんだよ」
相手が折れたと思ったのだろう。女は嬉しそうな顔をした。
しかしグレゴリーの表情は険しく、机を回り込み女の目の前に立つと低く威圧するような声で言った。
「脅して交渉出来ると思うたか。わしは国内有数の魔術師の一人だぞ。お前一人消すことくらい容易い」
「け、消す⁈」
物騒な発言に女が狼狽えた声を出した。
「け、消すって、そんな……あ、あんたは宮廷魔術師だろ⁈ そんな邪悪な魔術使って許されるわけ——」
「ああ、許されはしないな。だが誰にも露見しなければそれは無いのと同じだ」
同意を得るように背後の側近と入り口の部下達に目をやると、どの者も無言で姿勢を正した。
それを目の端に捉え、ひっ、と女が短い悲鳴をあげた。
「……初めからこうしておけば良かった。どこから綻びが出るかわかったものではないのだからな。お前の脳がもっと軽ければ良かったものを。いやいや、誉めているんだ、実に賢しいとな」
ゆっくりと右手を胸の高さまで持っていき掌を見せるようにしたグレゴリーに、女は怯えて慌てだす。
「わ、悪かった、金はもういいから……舞踏会の話も、誰にも、誰にも言わない、絶対、だから——」
「案ずる必要はない。今ここでお前ごと無かったことにしてしまうからな。オルコットの猿を引きずり下ろす為に娘に冤罪を着せたことも、金でお前を仕込み手袋に紋章符を忍ばせ燃やしたことも、王女の為にと処理を買って出てあの娘共々証拠を消したことも何もかも」
女に向けた右の掌に光が集まってくる。
そして、輪郭のゆらゆらとした三角形と円とが幾重にも絡み合った紋章が浮かび上がると、グレゴリーはようやく笑った。
「全て燃やして、無に還る」
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