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三十五話 朧げで儚い②


「殿下、こちらでしたか」


 サリアの部屋を出ると、タイミング良くヒューバートが廊下の先から駆けてきた。ドレイクはすかさず尋ねる。


「帰還時に接触した者達の体調はどうだ」


「一人くしゃみが止まらないとのことですが、花粉症だそうで。それ以外は衛兵も治療術師もメイドも、皆特に変わりありません。もちろん私も」


「そうか」


 ヒューバートの返答を聞いて、ドレイクは自室に向かって歩きながら考え込む。


 サリアを抱えて王宮に帰還してから接触した——サリアの顔を見た——のはヒューバート以下数名。

 けれど自身を含めて全員が体調に異変はない。


 それ自体は安堵すべきことだ。

 だが、ドレイクの胸にはあれほどサリアが恐れていたのに何故平気だったのだろうと、疑問が湧いていた。


 彼女がほぼ意識のない状態だった為に呪いが発動しなかったとも考えられたので、人身御供覚悟で意識の戻ったサリアと顔を合わせてみても今のところどうということもない。ますます疑問だった。


「一体どうなさったのですか。ぐったりしたサリア嬢を連れ帰って以降、彼女には許可した者以外を近づけず、その者には逐一体調を報告させろだなどと」


「なんでもない」


「なんでもないでは困ります。今回の緊急転移の件でも詳細に報告をしなければならな——」


 ドレイクは小煩(こうるさ)いヒューバートを無視してサリアについて考えを巡らせる。


 ただ顔を見せただけで呪ってしまう体質。


 だが今のところ誰にも異変はない。

 身体が燃えることはもちろん、いつも呪ってしまう相手とやらが見舞われる胸の苦しさも、息切れも、発熱すらもない。

 

 彼女が安堵していたとおり単に呪われなかったのか、それとも列挙した以外の不調が現われているのだろうか。

 補佐官の奏でる雑音を耳にしながら、じっと自分の状態に意識を向けてみるが、やはり異変はないように思う。


 ただ、サリアと目が合ったあの瞬間。


 倒れた時には目にすることのなかった彼女の瞳と視線が交わった瞬間に、胸の奥の方にある空間が急に狭まったような感覚を覚えた。

 

 茶色というには赤みが強く明るい、茜色と表現した方が適切かもしれない温かみのある色をした瞳。

 それが角度か光の加減か薄紅色に見える時があった。


 夕日が沈みかけ、夜が端の方から染み出してくる際の空の境界に似た色合い。

 今日が終わっていく瞬間を如実に感じるあの一瞬の空の色。

 どこかもどかしく、今朝見た夢を思い出せなくなった時のような憂愁を感じさせる、燃える茜と宵闇の間の淡い桃色。

 

 昼と夜との境界を朦朧とさせ柔らかく繋ぎ渡していくような、あの憂いある色の瞳にみつめられた一瞬、確かに胸の深い部分に変化を感じたのだ。


 強いて一言で纏めるのなら、苦しいという表現になるだろう感覚を。



「殿下、聞いておられま——胸がどうか?」


「……いや」


 無意識に左胸の辺りを押さえていたドレイクは足を止め、後ろへ振り返った。


「ヒューバート。魔術とは無意識に発動させられるものなのか?」


「今度はなんですか急に?」


「出来るか出来ないかを聞いている」


 急かすように言うと、ヒューバートは一つ咳払いをして人差し指をピッと立てた。ちょっと得意気である。


 講釈を垂れる時にはいつもこのように得意満面な様子を隠しきれなくなるこの男を、六つも年上であるが可愛い奴よと思う瞬間だ。


「魔術とはつまり大気中、および体内の魔素を誘導し任意の現象を引き起こすべく司令を下す(すべ)です。魔力をもって意図的に魔素へと干渉する行為ですから、余程の熟達者でも無意識にとは聞いたことがありません。魔力の暴走という形で意図せず魔素に干渉し、魔術に似た現象を引き起こす例もあるにはありますが、そもそも熟達者であれば魔素へ干渉する魔力のコントロールは精緻でしょうから、やはりあり得ないかと」


「……未熟であればあり得ると?」


「魔力の発露の仕方を覚え始めたばかりの子どもなどでしたら。コントロール出来なくて予想外の所にちょっと火をつけちゃった、とかそんなのですね」


「高度な魔術は不可能か。未熟ということもないだろうし……指向性についてはどうだ? 特定の物や人にのみ効果を発現させることは可能か」


「それ自体は可能です。しかしそれこそ高度な技術を要します。無意識にとはまず考えられません」


「そうか」


 一人思案しながら呟くドレイクに、ヒューバートは嬉々とした瞳を向けた。


「なんです? ついに魔術にご興味を持たれたんです? お教えしますよいくらでも! 龍を退治しその牙を持ち帰って宝剣にしたという英雄王は、剣はもちろん魔術も操ったそうですものね。魔素との感応が今は鈍くとも研鑽していける部分ですし、学問として学ぶだけでも十分な意義は——」


「いや、遠慮しておく。それはお前が補ってくれればいい」


 学びましょうよ、と不満そうにするヒューバートに再び背を向けて歩き出したドレイクは廊下の窓へと目を向けた。


 庭園はすっかり夕日に包まれて燃えている。


 しかし遠く空の端の方からは夜を連れて薄く藍色が染み出していて、全てを塗り替えるような茜色との境界が薄紅に染まっている。


 思い出せない夢のような、この一瞬にしか現れない儚いその色に、サリアの瞳を思い返しながらドレイクは思った。



 サリアの言う呪いとは、本当に呪いなのだろうか。

 


お読みいただきありがとうございます!

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