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三十二話 魔女の素顔①


「サリア!」



 へたり込み、地面に伏してしまいそうなのをなんとか両腕で支えている様子のサリアに、ドレイクは急いで駆け寄る。


「サリア、どうした!」


 傍らに膝をつき覗き込むが、項垂(うなだ)れた仮面の表情は変わらない。

 返事もなく、荒い呼吸音を微かに漏らしながら、黒ローブに覆われた肩と背中を大きく上下させるだけだ。



 気配も事前の報告もなく警戒していなかったが、魔獣が潜んでいてこの一瞬で襲われでもしたのだろうか。


 そんな考えが浮かんで周囲に眼を走らせた時だった。


 ギィッと人ではない者の鳴き声と共に、カランと何かが地面に落ちた音がした。



「——君か」


 鳴き声に即座に顔を向けると、サリアのフードから顔を覗かせたトカゲがキィキィと鳴いていた。魔獣ではなかったか。


 一瞬気を緩めそうになったが、何かを訴えるように鳴き続けるトカゲを不審に思った。

 いつもいるかどうか判らないほど静かなのに、壊れたように鳴いている。


 おかしい。


 そう思った時、ようやくそれがドレイクの目に入った。



 深く項垂れているサリアの独特な色あいの髪がローブの隙間から零れ落ちていて、薄桃の毛先が地面に擦れている。


 そのすぐそばに落ちている、白く、薄く浅い皿のように見えたもの。サリアの仮面である。


 それが外れて落ちたままになっている。


 人を呪ってしまうことを恐れ、片時も仮面を外さない彼女が、それを拾いもせずそのままにするわけがない。

 拾えないほど、あるいは外れたことに気づけないほどの状態にあるのだ。



 ドレイクは意識を確認するため急いでサリアを抱き起こそうとした。

 が、肩に手をかけようとしてそこで躊躇った。


 サリアは今、仮面をしていないのだ。

 呪いが発動するかもしれない。



 サリアは自身の呪いについてこう言っていた。

 顔を合わせると胸が苦しくなり呼吸困難に陥る、あるいは一瞬で身体が燃え上がる、と。

 さらに呪いが強まっていればそれ以上のことが起こるともしれない。


 このまま抱き起こしていいものか——いや、と躊躇していたドレイクはサリアの細い肩を掴んだ。


 こうして逡巡した一時にも、サリアは浅く苦しそうな呼吸を繰り返している。

 もしも呪われようとも、既に重篤な呪いにかかっているのだ、今さら何を恐れることがあろう。

 必死に呪いを防ごうとした彼女の努力を踏み躙ることになるかもしれないが、迷ってはいられない。


 ドレイクは、人形のように力なくぐったりとしたサリアを引き寄せ抱き起こした。


「サリア!」


 サリアは脱力してドレイクにもたれかかり、喘ぐような呼吸を繰り返す。


「大丈夫か!」


 呼び掛けるとサリアが何か言いたげに顔を上向けた。

 さらりと、サリアの顔にかかっていた絹糸のように(すべ)らかな髪が払われて、仮面に隠されていた素顔が露になった。

 


 染み一つなく、けぶって見えた程に白く透き通った肌。

 閉じられた瞳を(ふち)取る髪の根本と同じ色の睫毛は長く、頬に濃い影を落としている。

 薄く開いた小さな唇は毛先と同じ色をしてぷっくりと柔らかそうで、上品なすっきりとした顔立ちの中でそこだけ幼く見えた。


 真っ黒なローブと不気味な仮面の忌まわしき呪いの研究者。

 これらから想像する姿とは随分とかけ離れている。


 しかし、柔らかく優しい声と話し方、人の為にあろうとする清らかな志と勤勉さ、そしてトカゲを友にする可愛らしい一面。

 それらから想像していた人物像とは幾らも(たが)わない、儚げで優しそうな女性だった。


 ほら、やはり。


 悪しきものからは程遠い可憐な人ではないか。

 隠しているのがもったいないと思うくらいに。


 ドレイクは一瞬、状況を忘れてそんなことを思ってしまった。しかしすぐに気を取り直す。


 サリアの顔は全体的に紅潮して、苦しそうに歪められている。

 呼吸を乱し、フードの中だけ雨が降っていたかのようにしっとりと汗に濡れて、顔周りの髪が張り付いてしまっている。


 そこでドレイクはようやく思い至った。


 今日は夏の只中に戻ったような陽気なのである。

 この炎天下の中、真っ黒なローブをすっぽりと被って延々歩いていたのでは暑いに決まっている。

 自身は早々に外套を脱いで涼をとっていた為にサリアの状態にまで気が回らず、ドレイクは己の無配慮を恥じた。


「——失礼する!」


 ぐったりして意識を失いかけているサリアを危険と判断し、ドレイクは合わせがぴっちり閉じられたローブを剥いだ。

 陽射しにたっぷり焼かれた黒ローブに熱気と共に閉じ込められていたサリアの身体は、酷く熱くなっている。


 これでは脱がせたくらいではどうにもならない。

 傍らには川が流れているが流れが早い。放り込むわけにもいくまい。


 ドレイクは一瞬の逡巡の後に胸に付けた徽章の内、赤い宝石を咥えた龍が象られたものを引きちぎって、足下の石に叩きつけた。

 

 カキッと音を立てて宝石が欠ける。


 すると血のような液状の物体がサーッと地面に流れ出し、元よりその場に溝でも彫ってあったかのようにみるみる模様を描いてドレイクを囲った。


「准将殿!」


 赤い液体はついに一つの紋章を描き出して淡く光り始める。


 ドレイクは(ほう)ったローブから這い出てきた閣下に、紋章の中に入るよう呼び掛けながらサリアを抱え上げた。

 応じるように一鳴きした閣下が尻尾で仮面を拾ってドレイクの足下にたどり着くと、待っていたかのように紋章が激しく光り、次の瞬間その場から二人と一匹は消えた。


お読みいただきありがとうございます!

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