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三十一話 魔女とトカゲの小旅行②


「こうなると、この陽気も困ったものだな」


 そう言いながら暑そうに外套を脱ぐドレイクの後ろを、サリアは息を乱しながらついていく。

 本来であれば滝の近くまで馬車を乗り入れられるらしいが、昨日の雷雨のせいか倒木によってその道が塞がれていた。

 その為、馬車をその場に置いて迂回し、徒歩で二人向かうことになったのだった。


 岩肌の目立ち始めた山道にまばらに生える木々では日除けに十分でなく、今日の陽気では直接太陽に灼かれる時間が長くなり辛い。

 サリアもドレイク同様ローブを脱ぎたいところだが、そう出来ないのも致し方ないとはいえさらに辛い。


「サリア、大丈夫か。ここから下りるぞ」


「はい……」


 遅れていたサリアを振り向き、ドレイクが幾分緩やかな下りになっている斜面を指差した。

 その下には川が流れているのが見え、微かに滝の音も聞こえる。

 ようやくかと、すでに疲労困憊気味なサリアは気力を振り絞って足を早めた。


「気をつけろ、昨日の雨で足下が緩んでいるところが——」


 先を行くドレイクが忠告してくれたが一足遅く、踏ん張りの利かなくなった足が泥濘(ぬかるみ)に滑った。



「——あっ!」


「サリア!」



 転がり落ちる——と思われた瞬間、咄嗟に駆け寄ったドレイクがサリアを抱き止め滑落を食い止めた。


 だが勢いを殺しきれず、ドレイクもサリアを抱えたまま一緒に転げ落ちそうになる。

 然程の傾斜ではないとはいえ、このまま滑り落ちては怪我は免れないだろう。


 そう判断したドレイクは片手でサリアを抱くようにして庇うと、身を(よじ)って正面に向き直り斜面に足を踏ん張ってブレーキをかけつつ、苦肉の策でもう片方の手の鉤爪を地面に突き立てた。

 ガガガッと、鋭い爪が昨日の雨で緩んだとはいえ岩に近い土を抉っていく。


 まるで地を引き裂こうとしたかのような爪跡が長々と斜面に描かれたところで、ようやく滑落が止まった。


「危なかった……」


「——す、すみません……不注意で……」


 滑落しかけた恐怖で心臓が大きな音を立てている。

 パラパラと傍らを転がり落ちていった土塊が途中の岩にぶつかって爆ぜたのを見てゾッとして、サリアはドレイクの服にぎゅっとしがみついた。


「悪かった。君は騎士団員ではないというのに、こんな悪路を歩かせて無理をさせてしまった」


「い、いえ、素材を集めに山や森に入ることはよく……でも今日は予想外に暑くて体力が。そのせいでこんなご迷……惑を——」


 そう言いながらドレイクへ顔を向けたサリアはハッとした。


 地下書庫の時のようにドレイクの顔が近い。


 それ以前にアクシデントとはいえ抱きしめられるような格好になっているのだから、緊張していた馬車内での距離感の比ではない。

 それに気づくと一気に身体と顔が熱くなる。



 サリアがぎゅっと掴んでしまっていた服を慌てて離すと、未だしっかりとサリアを抱えていたドレイクも気づいたのだろう、ハッとした顔をして腕を緩め、すぐさま顔を背けた。


「すまない! また——」


「い、いいえ! また私の不注意で申し訳ありません!」


「け、怪我はないか?」


「はっ! はい、大丈夫です! あ、ありがとうございました」


 先日のことが脳裏に過ってギクシャクしてしまい、お互い明後日の方向へと視線をやりながらそろそろと立ち上がる。


「行こう。気をつけるんだ」


「は、はい——」


 先を行くドレイクの通った道をサリアは今度は慎重に下る。

 恐怖は一気に過ぎ去っていったのにまだ鼓動が正常でない。気を散らしているとまた足を滑らせかねないというのに。



 雑念を振り払い、もう滑らないようにとそれだけを意識するよう努めて足下に集中していると、地面に赤い花びらのようなものが点々と落ちているのに気づいた。


 なんだろうと、行く手にまばらに落とされているそれを目で追う。

 すると、ぽたりと、先を行くドレイクの指先から赤いものが落ちて地面に花びらのような染みが作られた。


「——⁈ ドレイク様! お怪我を⁈」

 


 ♢

 


 讃美歌のようだ。とドレイクは思った。


 先日の魔術では底の見えない沼から禍々しい何かが這い出てくるような印象を受けたが、同じ人が同じ唇で唱えている呪文でも、使う魔術が違えばこうも変わるのかと驚く。

 治療術を使う今のサリアは不気味な仮面のままなのに、目の前に跪き祈るように手を翳す姿はどこか神聖ささえ感じさせた。


「……これで止血と化膿止めは出来たかと思います」


「あぁ、ありがとう。痛みも引いた」


 先ほど斜面に突き立てた際に爪が割れ出血していた指先を治療してもらい、ドレイクは笑いかけた。


「……すみません、私を庇ってくださったから……お怪我を」


「このくらい、どうということはない。気にするな」


 普段剣を片手にあちこちで魔獣退治をしているのだ、ドレイクにとって些細な怪我は日常茶飯事だ。

 と言ったところで俯いているサリアは気にしたままだろう。

 

 彼女はどうも、この世の厄災の全てが自分のせいだとでも思っているような節がある。


「……君は治療術も使えるのだな。呪術にはあらゆる知識が必要と聞いていたが、専門でもないのに何もなしに詠唱出来るものなのか」


 魔術書も紋章符もなくスラスラと呪文を詠唱したサリアに感嘆しながらドレイクは話題を変える。

 俯いていたサリアは傍らを流れる川へ一度目を向けてからやがて顔を上げた。少しは気が散ったようだ。


「私、本当は治療術師になって民間で働きたかったんです」


「民間?」


 オルコット家は代々宮廷魔術師を輩出してきた家系と聞く。

 その上サリアは才媛だ。

 国内有数の魔術師の証であり、魔術の研究を安定して続けられる宮廷魔術師を目指さぬものだろうか。


 そうドレイクが眼差しに滲ませると、サリアがそれを受けて答えた。


「亡き大叔父が生前、郊外で治療院を開いておりまして」


「そうだったのか」


「ええ。宮廷での駆け引きや競争を疎んじて官職に就かなかったそうです。私も父や祖父の苦労を間近で見てきて宮廷でやっていく自信はありませんでしたし、なにより大叔父の治療院にやって来る方々の笑顔を見て、私の魔術の目指すべきはここだと幼いながらに思ったのです」


 書庫で呪いの研究を憎々しげに語っていた時とは違い、サリアの声は温かく懐かしむような響きを含んでいた。

 彼女が魔術の道を志したそもそもの動機はこれだったのだろう。

 呪いに追い詰められ、魔術に手を伸ばさざるを得なかったわけではないのだ。


「同じ治療ならば医師がいれば事足りると思われがちですが、外部からの魔素の影響、体内に取り込んだ魔素の乱れは、魔素を操る魔術でしか対処できません」


「しかし魔術師は誰もがなれるものでもなく、さらにそこから治療術を専門とする者となると限られる。そして高度な技術を修めた術師は上流層に抱えられる為に、広く患者を受け入れられる程の技術を持った術師は民間には必然少なくなるな」


 ええ、とサリアは頷いた。


「ですから大叔父のように私もいつか民間で、と。治療術を必要とする方々の一助になりたいと思っていたのです」


 ほら、やはり。

 彼女は高い志を持って歩む曇りのない女性だ。


 ドレイクは直感との符合にどこか誇らしい気持ちになる。


 しかしそれと同時にサリアの直面する現実を気の毒に思った。

 彼女が「いた」と過去形にしたところに、サリア自身の呪いへの悲哀が伺えてしまった。


「……もう叶いませんけれど。大叔父亡き後、あの治療院も閉めてしまいましたし……」


 続けた小さな呟きもその証左のようだった。


「……叶うさ、いつでも。君は優秀で見上げる程の志を持った魔術師だ」


 サリアはふるふると力無く首を振って以降、黙ってまた俯いてしまった。


 落ち込んでほしくなくて話題を変えたつもりだったのに、結局また俯かせてしまったことにドレイクは歯噛みする。

 彼女は今きっと、先ほどよりも哀しい眼をしていることだろう。



「……そろそろ行こう。同じ道を歩いて戻らなければならない、遅くなってしまう」


「はい……」


 フォロー一つ上手く出来ない自分を不甲斐なく思う。

 

 逃げるように立ち上がりサリアの脇を抜けて先を行くと、その直後、ドサッと担いだ荷を乱暴に下ろしたような音が背後からした。


「サリア? どうし——」


 振り向くと、立ちあがろうとしたのだろうサリアが、グシャッと上から潰されでもしたように地面に(くずお)れていた。


「——サリア⁈」


お読みいただきありがとうございます!

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