三十話 魔女とトカゲの小旅行①
心地よい揺れの中、小窓から見上げる空は雲一つなく晴れ渡り、真夏の只中に戻ってきたかのような陽射しを浴びせかけてくる。
昨日の雷雨が嘘に思えるが、あの雨に洗い流されたが故の晴れやかさなのかもしれないと、サリアは自分の心情に重ね合わせて空を見上げた。
しかし、そんな爽やかな気持ちだけで窓の外へ目を向け続けているわけではない。正面を向くのが非常に気まずいのだ。
「いい天気だ」
そう言ったのは、自身の正面に座り同じように小窓の外へ目を向けるドレイクである。
サリアは今ドレイクと二人、狭い馬車の中で向き合って座っているのだった。
このような状況となったのは何故かといえば、遡ること数時間前——
「外出したい?」
ドレイクの居室に向かう廊下で、大きな手帳数冊と資料の束を小脇に抱えたヒューバートを捕まえて、サリアはそう願い出た。
「はい。洞窟内でのみ繁殖する菌類の胞子が必要なんです。流通している類の物ではないので採取に行きたいのですが、どこか……」
「洞窟……同行して差し上げたいのは山々ですが、私今すごく忙しいんですよね。殿下が直近でご出席予定だった祝賀行事とか民間騎士団との定期交流会とかお妃候補探しとか、他にも諸々調整し直さなくちゃいけなくて」
「す、すみません、解呪に時間がかかっているばかりに……」
いいんですよぅ全然、とヒューバートがそう思ってはいなさそうな不満げな顔で手帳を捲りだしたところで、ギィッと近くの部屋の扉が開いた。
「ヒューバート、午後の会議の件だがやはり先程の……どうした?」
部屋から顔を覗かせたのはドレイクで、廊下で立ち話をしている二人を認め深い青の瞳をギョロつかせた。
「殿下、申し訳ありません。午後の会議は欠席させていただいてよろしいでしょうか。議題の方は副隊長に伝え後日まとめてご報告致しますのでご了承いただければと思います」
「なんだ? 急ぎの用か?」
「いえ実は、午後はサリア嬢と共に解呪に必要な素材を採集に行きたいと思いまして」
「素材?」
「はい、ドレイク様。とある菌類の胞子が必要なのです。けれど洞窟内にしか生えないものですし、日常で必要な場面もないので手に入れるには採集に行く以外になくて」
「ということですので、ご了承ください」
そうヒューバートが伝えると、なんだとドレイクが声をあげた。
「それなら私が同行しよう。お前は予定どおり隊の会議に出れば良い。ここから近い洞窟といえばリーヴ川の滝裏だろう? あそこならそうそう危険もないし、問題なかろう」
「……しかしそれは——」
「公務の日程を組み直したりとお前も今は忙しいだろう。行って帰ってくるだけだ、こっちは任せておけ」
「そうですねぇ……」
「え、ドレイク様が?」
王太子に同行してもらうのは流石に畏れ多いとサリアが恐縮すると、思案するヒューバートを横目にドレイクがスーッと寄ってきて小声で囁いた。
「サリア、断ってくれるな。執務室の机の上を見てみろ」
言われるがまま開いた扉の隙間から室内をチラリと覗き込むと、机の上には大量の紙が積まれていた。
「ヒューバートめ、日頃私が隊を率いて飛び回っていたものだから、この姿では出歩けぬのを良いことにここぞとばかりに溜まった事務仕事を処理させるんだ。一時でいい、解放されたい。頼む」
そう懇願されては断れず——こうして二人馬車に揺られることとなったのだった。
しかし気まずい。
王太子を付き合わせてしまって申し訳ないということではなく、馬車はいわば密室なのだ。
そのうえただでさえ狭いのに、ドレイクは平均的な男性よりも背の高い大きなトカゲである。
車内はより狭く感じられ、二人の距離もそれに伴いさらに近く思えた。
基本的に一人で過ごしてきたサリアはこんな密室に他人と、しかもトカゲ姿とはいえ男性と二人きりになどなったことがなく、どうしていいかわからず戸惑いっぱなしである。
幸い顔は仮面で隠れているので視線の置き場や表情は気にしなくて良いが、とにかく会話が思いつかない。
結果、こうして乗り込んでからずっと、黙って空を見上げているのだった。
街道から段々と舗装されていない道へと外れ、馬車はいつのまにか山道へと至っている。
早く着かないものか。
木々の隙間から漏れる太陽の眩しさにいよいよ目が眩んできたところで、ドレイクの方から話しかけられた。
「すまない、無理を言って」
「え?」
ドレイクへ顔を向けると、頭のトゲトゲが萎れて見えたくらいしゅんとした顔をしていた。
「ずっと黙って顔を背けているから、魔術の知識もない私が同行しては不都合があったかと……」
「そ、そんなことはないです! お付き合いいただいて畏れ多いくらいです! これは、あの……の、呪ってしまわないかと心配で……」
そう言って咄嗟に仮面を押さえたサリアは、そうだったとまたしても呪いを忘れていた自分を嗜めた。
てっきりヒューバートが転移術を使ってくれると思っていたが、このように馬車移動となり近距離で長時間過ごすことになったのだ。
油断してはならなかったのに、どうもドレイクがトカゲ姿な為に気を緩めてしまう。
「仮面があれば平気なのだろう? 現に今まで何ともないのだし」
「そうですが、呪いが強まっていないとも限りませんし……用心するに越したことは」
ふむ、とドレイクはサリアをじっと観察するようにみつめながら顎に手を当てた。
ギョロッとした目が大きいからか、投げかけられる視線の圧力が強い。
正面からみつめ返しては、あの書庫での出来事が思い出されそうで、サリアは慌てて俯いた。
「そ、そういえば、ヒューバート様には私の呪いのことはお話になっておられないのですね」
知っていればこんな風にサリアに自由はなかっただろう。
ましてや大切な王太子の側を彷徨けるわけがない。
そう思っているとドレイクはこともなげな様子で答えた。
「ああ、不要だからな」
「不要? でも、危険です。せめてお伝えしておかなければ対処も……遅くなりましたが戻り次第、私の方から——」
「必要ない。恥ずかしながら我が国の宮廷魔術師達は、私の呪いを解くどころか呪いと断定することさえも出来なかった。君の呪いが仮に発動したとして、長年研究してきた君ですらわからない呪いを、君が呪った結果だと断じ、対処することはきっと出来ないだろう。何より君は私の呪いを解く一縷の望みであるのだ。縋る身でありながら隔離や幽閉などといった失礼があってはならない。君は既に対策してくれているのだし、こちらに出来ることがない以上周知することに意味はない。よって不要だ」
そうは思えずサリアが追及しようとすると、ドレイクがニッと笑った。
「というのは建前で、本当のところは、私がこの姿を気に入っていることを君がヒューバートに秘密にしてくれているから、私も秘密にしようというだけだがな」
「……並べて良い類の秘密ではないと——」
そう言いつつも、信用してもらえている気がして嬉しく、サリアは膝の上に置いていた手をきゅっと握った。
と、その時、馬車がゆっくりと止まった。
着いたのかと外を見ると、その裏に洞窟があるという滝はおろか、川すらも遠く斜面の下だ。
「ユーゴ、どうした?」
ドレイクが小窓から御者を務める近衛騎士に尋ねると、席を離れ近づいてきた若い騎士は困ったといった顔をした。
「川沿いに下りる道が塞がっています」
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