三話 魔女の呪い
一瞬まったく知らない別の言語に聞こえて、サリアは声もなく固まってしまった。
一拍置いて、それが聞き慣れた言語で単語の意味も全てわかると気づき、さらに半拍遅れて文章全てを理解してサリアは思わず叫んだ。
「——は⁈」
「やっぱり聞いてなかった? 方々、いろいろな兼ね合いがあるから難航はしたんだけど、なんとか決まってさ」
寝耳に水な告知にサリアは狼狽えるばかりなのに、クリスは対照的になんだか楽しそうである。
「え、あ、え婚約? 私とクリス様が……⁈」
「うん、婚約。公表はまだだけど。婚約披露会までは伏せておこうってことになって」
「婚約って……そんな、だって、私はクリス様のことを呪ってしまう、のに」
理解が追いつかず痛みだした頭を押さえようとしたその時、動揺しきりで震えていた手が仮面にぶつかり弾いてしまった。
「——あっ!」
「……サリアそのことなんだけど……呪うってい——あ、うっ——」
弾かれた仮面が外れて足下に落ち、サリアの隠していた素顔が露になった。
それを見た途端、クリスは首を絞められたように息を詰まらせ、それまでにこやかにしていた顔を苦しそうに歪めた。
「や、あ——ち」
上手く息が出来ないのに無理に言葉を継ごうとしているためか、顔もみるみる赤くなっていく。
それを目にして、サリアは慌てて仮面を拾った。
やはり呪ってしまうのだ。
「ごめんなさい! 私……私やっぱり——」
「……や、違……君の……呪い——」
サリアが仮面で顔を覆うと、クリスはようやく呼吸出来るようになったようだが、今なお苦しそうに胸を押さえている。
「呪い……で……」
「クリス様、お待ちになっていてください。ひ、人を呼んできます」
「待っ……サリア、違——」
サリアはクリスを一人残し、助けを呼びにその場を駆け去った。人を呪ってしまう忌まわしい自分を呪いながら。
♢
「お父様! どういうことですか! クリス様と婚約なんて!」
クリスを治療室に任せた後、サリアは研究棟には向かわず、父の執務室に向かった。
何のためかと言えば無論、ついさっき聞いたばかりの自身の婚約について問い詰めるためだ。
「おお、聞いたのか。すごいでしょう! お父様、色々頑張りました」
「すごいでしょうって何ですか? 私は一切聞いておりませんでした!」
「そりゃそうです、言ってませんもん。だって貴女、研究棟の地下にこもって出てこないんですもん!」
「もん! じゃありません。クリス様と婚約なんて私には無理です。だって、私はクリス様を呪ってしまうんですから!」
サリアがそう訴えると父はハッハッハと大きな声で笑った。
「呪いなぁ。そうだなぁ。でもね、うんうん。だとしたら良い呪いをかけてくれたものだよ」
「人を苦しめる呪いのどこが——」
「とにかくね、これは正式に決まったことです。王家との間の契約だよ? それをこちらから断るなんて出来ますか?」
「そんな……」
サリアが落胆した声を上げると、父がポンと肩を叩いた。
「良いじゃないか、幼い頃から懇意にさせて頂いてよく知っている方だ。サリアも幸せになれるよ。そしてサリアが第二王子妃になれば我が家も安泰、筆頭魔術師の座も確約されるというもの……ふふ……はは……ハーッハッハ! 見たかグレゴリー! 筆頭はこの私だ! お前を下に置いてアゴで使ってやるわ!」
愉快そうに大声で笑う父と対照的に、サリアは仮面の下で絶望に満ちた顔をした。
クリスといい父といい、危険極まりない自分との婚約が、どうしてそんなに楽しそうなのか全く理解出来ない。
断れないのならば、自身に出来ることは一刻も早くこの呪いの原理を解明し、抑制ないし解呪法を確立して無効化することしかない。
絶望の中なんとか頭を切り替えて、サリアが部屋を後にしようとすると、父が、あ、と声をあげた。
「ああ、そうだ。三日後に王家主催の舞踏会があるでしょう? あれ、参加しなさいね」
「ええっ⁈ 舞踏会なんて、私……」
「貴女ね、ゆくゆくは王子の妻になるんだよ? 公務についていくこともあるでしょう。ダンスを含めて社交は避けて通れませんよ。今からでもきちんとこなせるようになっておきなさい。クリストファー殿下にもエスコートお願いしてありますから」
「そんな、勝手に」
「こうでもしないと研究室に立てこもってやり過ごそうとするでしょう? お父様知ってますよ、サリアのお父様ですから。とにかく行きなさいね。すっぽかして殿下に恥をかかせるんじゃありませんよ?」
「無理です、私は——」
「殿下と一曲踊って差し上げればきっと呪いも解けるでしょうよ。そういうものでしょ、呪いって」
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