二十九話 元婚約者の焦燥
——ヴリティア王宮内、王女シルヴィアの居室。
「姉上」
「あら、どうしましたクリス? とても怖い顔をして」
ノックに返事があるなり部屋の扉を乱暴に開けたクリスに対し、姉である王女シルヴィアはトルソーに着せて並べたドレスを吟味しながらすました顔で応じた。
また舞踏会か、と姉の落ち着いた様子と対照的に、クリスは怒りと焦りを表情に滲ませて詰め寄る。
「おわかりのはずです。私の婚約者を何処にやったのですか」
「婚約者? 貴方に婚約者なんていたかしら?」
シルヴィアは真っ赤な唇に人差し指を当て、斜め上に視線を彷徨わせてみせる。
その嘲るようなわざとらしい態度にクリスはついカッとなって口調を強めた。
「おとぼけにならないでください! 貴女の指示でしょう? サリアを何処へやったのです⁈」
「サリア……ああ、元婚約者の忌まわしき呪術師のことね」
「私は婚約を解消した覚えはありません!」
クリスが大きな声を出すと、シルヴィアは深く長い溜め息を吐いた。
「クリス、わかっているはずですよ? 彼女は魔術憲章に違反した悪しき魔術師。そんな人間を宮廷で召し抱えているなどと知れたらヴリティアの国体に関わります。まして王族がそのような者と婚姻しようだなんて、あるまじきこと。婚約破棄は当然のことです。婚約の決定が内々のことで幸いでした」
「彼女は悪しき魔術師なんかじゃない! 犯罪の証拠もなく流刑にするなどそれこそ国家権力の濫用で——」
「証拠なんてそんなもの必要ないわ。私の舞踏会で騒ぎを起こし中止にまでさせた……それだけで大罪なのだから!」
クリスが反論すると、それまで落ち着き払って高貴な姉然としていたシルヴィアが、急に苛立った口調になって眦をつりあげた。
「——やはりそれが本当の理由ですか」
姉という人間をよくわかっていたクリスは豹変に動じることなく、やはり敵はこの人かと睨めつけた。
そんな弟を見下すようにシルヴィアは睥睨する。
「……本当はその場で処刑してやりたかったわよ。だけど、法治国家ですものね、忌々しい。あれがあの女の呪いだったと検証しなければ罪にも問えないなんて。だから正式に罪となるまでの間、彼女は流刑地で幽閉している、それだけのことよ」
「それならば地下牢に拘禁でも良かったはずです。流刑にする必要はなかったのでは⁈」
するとシルヴィアはうんざりと言った風に、また一つ深く長い溜め息を吐いた。
「クリス……貴方は本当に愚かね。何の為の箝口令だと思っているの。大勢の賓客の前であの女が呪ったように見えたのです。そのような悪しき魔術師と疑われる者を、国内に留めている事実があっては国際的信用を落とします。それ以前にこの国に危険が——」
「そう仰いますが、流刑地となっている離島に船を出してはおりませんよね?」
鋭く斬り込むとシルヴィアは黙った。クリスはさらに続ける。
「流刑地には誰も送られていない。サリアを何処へやったのです」
そう追求すると、シルヴィアはしばらく黙ってクリスを見つめていたが、不意にニヤリと片側の口端を持ち上げた。
「女のこととなるとその鈍い頭と口も良く回るようになるのねクリス。発見だわ」
「……やはり貴女は知っていたんだな、何処だ!」
「知らないわ。追放先が何処かなんて興味あって? どうせ死体で戻ってくるのだから」
「——っ⁈」
姉の非情で不穏な発言にクリスが戦慄した表情を浮かべると、シルヴィアは吹き出すように笑った。
「いやだ、勘違いしないで? 私は誇り高き王族よ、殺せだなんて指示しないわ。現段階では疑わしいだけの者に、裏からとはいえ手を下してしまっては後々面倒も起こるもの」
「なら……」
「単純な話よ。彼女、食事も取れないくらい酷く憔悴していたそうだから、裁判に呼び戻すまでの間にきっと衰弱して……ね。可哀想だけど当然よね、私の舞踏会を潰したのだから。本当はこの手で処刑してやりたかったけど、呪いの検証なんて時間がかかるじゃない? 怒りで私の頭が吹き飛ぶ前に邪魔をした人間に罰を与えることが出来るのだから、今回はそれで溜飲を下げることにしたのよ。あぁ……と、衰弱死したらの話よ、もちろんね」
ふふ、と確信に満ちた顔で邪悪に笑む姉に、理性の飛んだクリスは掴みかかって声を荒げた。
「サリアは何処だ!」
「もう忘れたの、知らないと言ったはずよ。その特技で彼女のことも忘れたらどうかしら。まったく……長子の私がお前のような愚鈍な末弟にさえ継承順位が劣るだなんて、この上ない屈辱よ」
「我欲で権を振るうような貴女が為政者になったらこの国は終わりだ!」
「どうかしら。賢き民はわかっているようだけれどね。凡庸な王の下で先細る生活を憂えながら毎日を送るのと、諸国と渡り合い主導権を握って超大国への道を華々しく歩ませてくれる指導者の下で暮らすのと、どちらの未来が良いか」
離しなさい無礼者、とシルヴィアがクリスの腕を叩いて振り払うと、先刻からの物音を不審に思ったものか外から扉がノックされた。
「シルヴィア王女殿下、いかがなさいましたか!」
「なんでもありません。ねぇ、クリス?」
何も出来ないものね? と挑発するような目を向けられて、クリスは握りしめた拳を軋ませながらシルヴィアに背を向けた。
「……冤罪であったと確定したらサリアをどうする気だったんだ」
「愚問ね。事の真偽と舞踏会をぶち壊したことは別よ。だってあの女が呪術師でなければ、たかが参加者の一人がちょっと怪我したくらい余興で済ませられたでしょ? あそこまでの騒ぎになりはしなかった。私の舞踏会を中止に追い込み国の品位まで下げたのだから、正式に罪に問えずとも罰されるのは当然でしょう。それにねクリス、処理を任せているグレゴリーの見立てでは呪いでしかありえない現象だそうよ、残念ね。だけど、もしこの騒動に真犯人がいた場合は……その者にも然るべき罰を」
「……貴女のような人が王になってはいけない。僕は兄上を支持する」
「決めるのは議会と陛下よ。結論は決まっているけれどね」
低く笑ったシルヴィアには振り返らず、クリスは姉の部屋を後にした。
「クソッ!」
人気の無くなった廊下まで来たクリスは、壁を思いきり殴りつけた。強く握り続けた手は強張って中々開かずじんじんと痛んだ。
「サリア、何処にいるんだ……どうか無事で……」
「クリストファー殿下!」
呟いたところで、探しに来たのだろう秘書官が小走りに廊下の向こうから駆けてきた。
そしてクリスの側に来ると、小さな声で耳打ちした。
「例の女性が見つかりました」
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