二十八話 慈雨
「貴女、昨日地下書庫に入りましたね?」
「へぇっ⁈ な、なんでご存知……あ……」
魔道具を詰めた箱を持ってにじり寄ってきたヒューバートが、やはりといった顔をしたので、鎌を掛けられたのだと気づきサリアは苦い顔をした。
今日は地下貯蔵庫の空いている小部屋を一つ貰い受けたので、簡易研究室にする為に魔道具や実験器具を運び入れている。
ヒューバートはそれを手伝ってくれているのだが、昨日のことは筒抜けだったようだ。
「昨日のことを殿下は私に何も仰いませんけど、どちらにいらしても私は常に殿下の動向を把握しているんです。転移術には対象者の座標が必要ですから。あのタイミングで急に地下書庫に向かったら貴女の依頼だと気づきます」
「な、なるほど、流石です。万が一に備えて常に感知を……補佐官の鑑でいらっしゃいます」
「褒めても喜ぶだけで何も出ませんよ。今回は多めに見ますけど、もしも貴女の素性がバレでもしたら」
「わかっております、すみません。ご迷惑をおかけしないよう努めます」
「大体ですね、魔術書でしたら私が申し出た時に仰ってくださればいいのに、貴女断りましたよね? それなのにわざわざ殿下に書庫を開けさせるってどうい——」
「う、あ、それは……あ!」
詰め寄るヒューバートの相手をしつつチラチラと視線を入り口に向けていたサリアは、入り口木戸の覗き窓へ現れた閣下を認めて、ヒューバートを躱しそちらへ駆け寄った。
「来ましたか⁈」
ギッと肯定するように鳴いた閣下を肩に乗せ、床に転がしていた瓶を素早く手に取ると、サリアはそのまま部屋を出て行こうとする。
「ちょっと何処行くんです⁈ まだ話は——」
「雷が落ちそうなんです! 雷光素が必要なので取ってきます!」
「取ってくるって、どうやって⁈ 危ないですよ!」
「ご心配なく!」
サリアは引き留めるヒューバートを振り切って地上へ続く階段を駆け上った。
「ありがたいですけど、いつにも増して熱心ですね……」
そう呟いたヒューバートの声を背中に聞きながら、そのとおりだとサリアは微笑む。
忌まわしいだけの自分を、誰にも必要とされないはずだった研究を、必要と言ってくれた人がいる。
それだけで虚しく苦しかった心が満たされたのだ。
報いたい、そう思うと解呪に向ける意欲が湧いて止まらない。
誰からも信じてもらえず忌み嫌う目を向けられてきた中でたった一言、信じると、必要だと言われただけでこんなにも心が軽くなるとは。
「単純ね」
小さく笑って地上へ出ると、庭園の開けた場所を目指して駆けた。頭上では物々しい黒雲が巣を作っている。
良い素材が取れそうだと、サリアは生き生きとした瞳で不穏な色の空を見上げた。
♢
荒れ始めたな、とドレイクは書類の積み上がった机を離れて窓から空を見上げた。
雷を今にも落としそうな真っ黒な雲が、空を我が物顔で占拠し太陽を覆い隠している。
まるで黒いベールだと思ったドレイクは、全身真っ黒なサリアをその雲に重ね合わせた。
不気味なローブと仮面は自身の呪いを抑える為のものであり、呪いを研究してきたのもその為だったと彼女は言った。
その優秀さから他国の間でも噂になっていた学生時代からずっと。
いや、それよりも以前からなのだとしたら、無自覚に呪ってしまうらしい体質にどれほど苦しんできたかが伺える。
奇特だと思ったが、謝礼を固辞し、ただひっそりと暮らさせてほしいとだけ願ったのはその最たるものだったのだ。
呪いに対して狂気的なまでにのめり込み嬉々として向き合っていたように見えた彼女は、仮面の下では本当はどんな表情をしてどんな気持ちでいたのだろうか。
これまでのサリアの心情を慮っていたその刹那、閃光が走り轟音が鳴り響いた。
ついに雷が落ちたのだ。
光と音の間にズレがなかったことから、随分と至近距離に落ちたようだと庭先に目を移したところでドレイクはギョッとした。
庭園の開けた場所に真っ黒な人影が一つ立っている。
もしや雷に打たれたのかと窓に張り付くようにしてよく見ると、影からスッと白い腕が伸びて、それが黒い服を纏った生きた人であることがわかった。
サリアである。
「ま……紛らわしい」
不覚にも動きを早めた心臓を押さえて見ていると、サリアが何やら天に向かって手を掲げた。
「こんな悪天候の中、何をしているんだ……」
遠くて判りづらいが、足元には黒くて大きな靄のようなものが纏わりついていて酷く禍々しい。
まるで雷を呼び寄せているようだと思うと同時に、再び空が瞬間的に光り間を置くことなく雷鳴が轟いた。
轟音を伴い空を裂いた稲妻が駆け降りて行った先は、ドレイクの目にはサリアが立っていた場所に見えた。
慌てて目を凝らすと、サリアは蹲み込みチカチカと光る何かを手にして頻りに自慢するように指し示している。
例の准将殿が足下にいるのだろう。
どうやら何か魔術を使っているらしい。
「……無事か」
ホッとして眺めていると、サリアはチカチカを胸に抱き、勢いよく降り出した雨から逃げるように小走りに駆け戻って行った。
早くも出来た水溜りをパシャパシャと踏み越えて建物に向かうその足取りは、ドレイクの目には軽やかで楽しげに見える。
けれど今までと同じく、嬉々として見える彼女が実は、仮面の下では全く違う顔をしているのかもしれない。
焦燥か苦悩か悲嘆か絶望か、それとも……。
「……いや、でもあれは」
ピョンとスキップするように水溜りを飛び越えたサリアの様子に、ドレイクは思わず笑みを溢した。
「楽しそうだ」
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