二話 仮面の理由
サリアと王子クリストファーことクリスが出会ったのは十年以上前のこと。
幼なじみとしての第一歩を踏み出したその日は、同時に今日まで続く呪いの始まりの日となった。
その日は、学院に入学を控えた王子を学内でサポート出来るようにと、宮廷貴族の子息子女の中で同じ年頃の子供たち数人が親睦を目的に顔を合わせることとなっていた。
そこにサリアも参加したのだが、そこで事件が起こった。
元より引っ込み思案な節のあるサリアが、幼いながらに失礼のないようにと意を決し、挨拶したその刹那。王子が突如胸を押さえて苦しみだしたのだった。
「うっ!」
「——⁈ クリストファー様? どうされたんですか⁈」
周囲も異変に慌てふためく中で、王子の呼吸はどんどん苦しそうになり、顔もみるみる赤味を増していった。
急病かもしれない、そう心配してサリアも声をかけようと踏み出した時だった。
「や、やめろ!」
クリスがサリアに向かって叫んだ。
何もしていないのでわけがわからず、サリアがどうしたのかと近づこうとするとクリスは再び叫んだ。
「うわぁっ! 来ないで! 近づかれると息が上手く出来なくなる。苦しい、これは……呪い……? こっちを見るな! 僕を呪うな!」
「のろ……い?」
思いもよらぬことを言われて呆然としたサリアに、王子は尚も呪いだと叫び、周囲もまた気味悪い物を見る目を向けた。
今もはっきりと憶えている、怯えながらも敵視するようにこちらを忌む無数の視線。
自分が人を呪うおぞましい存在なのだと指さされ、責め立てられているようで恐ろしかったあの空気。
しかし、すぐに人が集まり騒然としたその場がひとまず解散となった後は、子ども故かこのことで懲罰を受けることもなかった。
父にも呪いだなんてと当初は笑い飛ばされた。
だからサリア自身呪った覚えがなかったこともあり、一度はそれで納得しかけた。
だが、その後も顔を合わせる度に王子が苦しみだすので否が応でも確信させられてしまったのだった。
自分は危険で忌まわしき存在だ。
無自覚に、顔を合わせた人を呪ってしまう不吉な人間なのだ、と。
以来、サリアは自身の呪いを解明するため研究を始め、呪いを抑制する魔術を付与した仮面とローブを身に付けるようになった。もう誰も呪わないように。
♢
「おはよう」
クリスはそんな経緯があるというのに、呪ってしまうからとサリアが避けても敬遠するどころか苦しみながらも気にかけてくれる。
苦肉の策として仮面を付けた不気味な姿さえ、その方が僕も都合が良いと肯定的である。
自分に害を成す存在であっても、分け隔てなく情けをかけてくれるクリスはとても優しい人なのだった。
「また朝から研究?」
「……は……ぃ」
サリアはモゴモゴと答える。
仮面とローブがあるとはいえ、呪い発動の条件がまだ解明出来ていないため、クリスと顔を合わせる時はいつも緊張する。
「相変わらず勤勉だね。来年の魔術師登用試験もサリアなら余裕だろう」
「余裕は……どうで……」
「受からないわけがないよ。受験年齢さえなければ、今だって正式登用されているだろう優秀さだもの」
「……そんなこと」
「ね、ところでさ、ちょっと時間作れない? 話したいことがあってさ。君忙しいから聞いてないみたいだけど、だったら僕から話したいなと思って」
「お話……?」
「ここじゃ味気ないから、中庭とか歩きながらさ」
接触時間が長くなると、それだけ呪い発動のリスクが高まる。
正直なところ断りたかったが、上手く伝えられる気がせず黙っていると、行こう、と強引に腕を引かれてしまった。
吹き抜けになっている外廊下に囲まれた中庭は、涼しい風が吹き込む爽やかな場所だ。
しかし今日は秋に向かって準備し始めた風が些か強い。
フードを飛ばされないよう押さえながら、サリアはクリスの後ろについて中庭を仕方なく歩いた。
けれど、しばらく経ってもクリスは一向に話し始めない。
ついには中央の噴水の端に黙ったまま腰掛けてしまった。
「あの……」
流石に痺れを切らしたサリアが訊ねようとすると、クリスはようやく口を開いた。
「あー、あのさ。僕達も去年、成人しただろう?」
「……はい」
「それでさ、ほら、その……そういう年頃じゃないか」
「……はい」
「まぁ、そういう話は色々あったんだけど、僕は兄と違って多少自由にして良かったから、なんとか躱してきて」
何の話をしようというのか見えて来ず、サリアは返事のしようがなく困ってしまった。
風も弱まる気配がなく、話よりもフードが飛ばされてしまわないかと心配で気が散ってしまう。
おまけにクリスの声のボリュームがどんどん小さくなっていくので、耳を掠める風の音に負け気味で聞き取りづらい。
「それでついこの前、やっと認められてさ。聞いてないかな」
「……はい」
「正式に決まったんだよ。僕達の——がさ」
「え? あの……今なんと仰った——」
バタバタと風にはためくフードの音でよく聞き取れず、耳に手を当てようとしたその時、一際強い風が吹いた。
「きゃ……あ!」
風に煽られたフードが脱げて、中央辺りから毛先に向かって薄桃に染めたような、グラデーションのかかった明るいブロンドの髪が溢れた。
慌ててフードを被ろうとしたが、治まらない風に弄ばれた髪が邪魔をして上手く被れない。
今にも飛ばされそうな閣下がしがみついている長い髪を必死に押さえ、サリアがフードを被ろうとモタモタやっていると、クリスがもう一度、さっきよりもはっきり聞き取れる音量で言い直した。
「決まったんだ、僕達の婚約がさ!」
お読みいただきありがとうございます。