十六話 こちらこそ断る
「たった一日の間に色々なことがありましたね」
濃紺の空に上った月を見上げながら、サリアはベッドで尻尾を加えて丸くなっている閣下に話しかけた。
「舞踏会があって、幽閉されて朽ちるはずで、でもフィルと会って呪いを解いて、そして今ここにいる」
サリアは窓の側で月を見上げたまま仮面を外した。
「呪いの知識が役に立つ日が来るとは思わなかった。こんな日が来るなんて」
忌まわしいと疎まれるだけの自分が受け入れられて、感謝される日が来るなんて。
感慨に浸るが、手にした仮面に目を落としてすぐに顔を曇らせた。
どんなに人の役に立てようとも、人の中で生きていけはしない。
自身の呪いを解明するまでは、一人で生きていくしかないのだ。
緩みそうになった自身への警戒を今一度強くして、サリアが身体を休めようとベッドへ向かった時だった。
「サリア嬢!!」
「きゃあああああ!」
バァンッという大きな音を立てて扉が開かれたかと思うと、大声を出しながらヒューバートが飛び込んできた。
「な、なな、なんですか——」
慌てて仮面を顔に充てがうサリアに近づいてきたヒューバートは、非常に困っているといった風に顔を歪めて言った。
「ちょっと手伝ってください!」
♢
「なんですのあれ⁈ か、身体中に、い、イボイボがゴツゴツ、いえ、ガサガサ⁈ そ、それに目がギョロッて」
「アイリーン様、落ち着いてください。あれが件の呪いなのでございます。殿下は呪いでトカゲの姿になられているのです」
「あれがクラクス様⁈ 嘘よ、そんな……だって口づけで解ける呪いって言ったら、眠りから目覚めないのが定石じゃありませんの⁈ トカゲだなんて聞いてませんわぁっ!」
王宮の一室で、アイリーンと呼ばれた赤みの強い艶々した茶色の髪をクルクルに巻いた少女は、大きな声で泣きながらベッドに突っ伏した。
「目覚めてからずっとあの調子なんですよ、なんとか説得してもらえませんか」
部屋の入り口で戸惑っていたサリアの下に、ヒューバートがやって来て小声で懇願してきたが、説得と言われてもと困ってしまう。
彼女、ドレイクの婚約者アイリーンは、ヒューバートが事情を明かし婚姻を早める打診をした途端、真夜中にも関わらず王宮へと飛んできたそうだ。
余談だがヒューバートは転移魔術を得意としているとのこと。
そうしてやって来たアイリーンは、呪いの解呪法を聞くなり鼻息荒くドレイクの寝室へと飛び込んで行ったらしい。
彼を救えるのは私しかいないと意気込んで。
一連の行動の早さと熱量からドレイクへの愛の強さが窺える。
が、しかし、それでも乗り越えられなかったものはあったようだ。
眠り姫よろしく呪いで目覚めぬものと思っていたのだろう。
眠れる王子をキスで起こそうと布団を剥いだところ、現れたのが異形の者だった為、悲鳴を上げて卒倒したそうだ。
そして目覚めてからはこの通り、現実を受け入れられず解呪どころではないのである。
「……説得って、どうすれば」
「こう、専門家として丁寧に呪いについて説明しながら、女性同士の共感力でもってキスを促す方向に持っていっていただければ」
「すみません、私……女性同士の一般的な交流をしたことがなくて」
「え? お茶会とかしないものですか? お嫌い? お珍しい」
「嫌いなわけじゃ——」
「なんですの貴方達! 私がこんなに苦しんでいるのにお茶会の話で盛り上が……ヒッ! 今度はなんですのぉ⁈ 全身真っ黒で不気味な仮面の怪しい人を連れてきてぇ!」
アイリーンが怯えたのを見て、ヒューバートがなーるほどと納得した声を出した。
「プライベートでもその格好なんですか。そりゃぁ、一般的なご令嬢方はお茶に誘わないでしょうね。筋金入りですね、サリア嬢」
「そ、そうです、ね?」
なにが? と思いつつ、サリアはアイリーンに自分が呪いを専門とする魔術師であることと、ドレイクの呪いについて簡単に話した。
「キ、キスって、あのトカゲにキスしろって仰るの……でも、そうしたらクラクス様が元の姿に」
「ええ、戻られます」
恐らく、という言葉は飲み込む。
「アイリーン様の、その、お力があれば——」
「む、無理よ。だって、貴女トカゲにキス出来て⁈ それもあんな大きなのに! クラクス様の背が高くて逞しいところが好きだったけれど、トカゲじゃ話が違いますわ!」
「そ、それは確かに、大きいのは——」
「アイリーン様、殿下の呪いを解くことが出来るのは貴女様だけなのです。殿下と愛しあわれているアイリーン様の口づけだけが、殿下の呪いを払い、元の姿を取り戻させるのです」
アイリーン様! とサリアでは説得出来ないと早くも見兼ねたヒューバートが間に入り感情に訴えかける。
なるほどそうするのかとサリアも感心して見習ってみる。
「え、ええ、アイリーン様、あ、貴女にしか出来ません」
「クラクス様と愛しあってる私だけ……?」
「そうです! 殿下がただ一人愛していらっしゃるアイリーン様にしか出来ぬのです」
「ええ、あ、愛するアイリーン様にしか」
「是非とも殿下に愛ある口づけを!」
「ええ、是非!」
「クラクス様がただ一人愛する私にしか出来ない……キス」
呟きながら頬を赤らめ、大きな瞳を輝かせだしたアイリーンは意を決したようにベッドを下りた。
「わかりましたわ。私の愛で、クラクス様を元のカッコいいクラクス様にお戻しする! 私達の揺らがぬ愛の力で!」
「そうです! アイリーン様!」
「え、ええ、愛の力、です!」
よし、とアイリーンは再び闘志を燃やし、ドレイクの下へ向かおうと部屋の扉に手をかけた。
しかし、ギィッと音を立てて開かれた扉のその正面。
そこに倒れたアイリーンを心配して部屋の外まで来ていた巨大なトカゲことドレイクが立っていたことで、アイリーンを焚き付けた炎は即座に鎮火された。
「アイリーン、具合は——」
「——嫌あぁぁああぁぁっ‼︎ 無理ぃっ! トカゲの正面顔気持ち悪いぃっ! こんなのとキスとか絶対無理ぃっ! こんなトカゲ顔私の好きだったクラクス様じゃありませんものぉっ! こ、婚約は破棄させていただきますわ、トカゲと婚姻なんて絶対ごめんよ! さよなら私の運命だった人ぉぉおっ!」
アイリーンは絶叫しながら廊下を駆けて行ってしまった。
希望が潰えるのを目の当たりにしたヒューバートはその場に力無くへたり込む。
そんな中、アイリーンの去って行った方を見ながらドレイクは不服そうに呟いた。
「……竜だと言っているのに」
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