十四話 解呪法
サリアとドレイクの間で浮いている手のひら大の紙片が、バチバチと音を立て黒い稲光に似た光を放つ。
部屋には巨大な蛇が這いずるような、低く不快な音が満たされている。
淀みなく途切れずに続くその音は、サリアの動き続ける唇から生み出されたものだ。
忌まわしい響きの呪文に満たされた部屋で、ヒューバートはゴクリと喉を鳴らした。
サリア・オルコットは噂以上の魔術師だ、と。
呪術が衰退したのは魔術憲章による規制のせいだけではない。
危険ではあるが学問としてすら今や扱う者の極端に少ない魔術となったのは、呪いがその性質故に他の魔術と違って格段に難解だからである。
紋章とは詰まるところ、詠唱ないし記述の必要なところを比較的簡素な記号や図形に代替するものだ。
それ故、初歩的な紋章術を一つ体得出来れば、その紋章を重ね組み合わせてより高度なものにする上位魔術は体系的に会得していきやすい。
しかし呪術にはその体系という概念がない。
ある現象を引き起こす型というものはあるにしろ、対象から効果、条件、使用する道具に至るまで基本的にその都度異なる為に、その度に一から組み上げていく必要があるからだ。
そのうえ、呪いは期待する現象を引き起こすのに必要な知識が多岐に渡る。
魔素について理解のなかった時代の原初的なものから、これまでに生み出された呪法の数々はもちろんのこと、他系統の魔術全般、薬草学、調薬技術、魔道具精製その他……。
既存の呪法のみならず、魔術に関するあらゆるものを網羅しておく必要がある。
そうしてそれらを複合的に駆使し生み出された呪いは、それをまた一つの型として、応用され改良され無限に生み出されていくこととなる。
呪術とは膨大な知識を必要とする魔術なのだ。
さらにはその解呪となると格別に難しい。
呪いはその性質上容易に解かれないよう構築されているため、まずは膨大な呪法のうちどれをどのように使用しているのか、はたまた全く新しい呪法なのかを特定する必要がある。
サリアが今まさにしているのがその作業で、一つの呪文のように聞こえている長い長いこの音の列は、呪法や呪具を一つ一つ訊ねるようにして炙り出し、その正体を解明しようとしているものだった。
さながら膨大な数の鍵の束からたった一つ正解の鍵を探すが如く。
それを、とヒューバートは思う。
その膨大な量の呪法を、何の資料も道具もなく暗唱するのか、と。
「……追放などと本当にもったいないことを。この天才的な秀才を手放すとは。しかし……」
弱冠十九にしてどれ程の時間を呪いと向き合ってきたのだろうか、とサリアの狂気的すぎる呪いへの傾倒ぶりにヒューバートは身震いした。
♢
厄介だ、とサリアは思う。
予想していたよりも難解な呪いのようで、詠唱を始めてしばらく経っても紙には半分も紋章が現れていない。
恐らくあの村の呪いの本体がこの王子に向けられたものであること、かつ王子が姿以外は良好な様子から、解明するのにそうかからないと思っていたのだが一筋縄ではいかないようだ。
一般的でない道具や現代では殆ど見かけない呪法によく反応が返ってくるが、あまりに古い呪いの詳細は流石のサリアでも網羅しきれていない。
研究資料があればあるいはと悔やみつつ、少しでも呪いを特定すべく詠唱を続けた。
それにしても、とサリアは目の前に落ち着いた様子で立つドレイクを見て思った。
この忌まわしい音の海の中心にいて微動だにしないとは、なんと肝の座った人だろうか。
危険はないとわかっていても、不気味な音が自分を目がけてジワジワと迫り来るこの圧迫感に、誰しも多少なり不安を煽られるものだろう。
だがドレイクは怯えるどころかゆったりと構えて、じっとこちらを見据えている。
なんと強い人だろうか。
そしてなんと、綺麗な瞳だろうか。
人を呪ってしまうと知ってから人目を避け続けてきた中で、こんなにも真っ直ぐにみつめられたことはない。
少しもブレることなく、仮面越しとはいえサリアの瞳をじっとみつめる静かな眼差し。
それ以外、目に入らないというくらいに一心に、夜空のような深く濃い青色をした瞳がサリアだけを捉えている。
それはまるで、まるでたった一人を——。
そんな雑念が過ってしまって、宙に浮いていた紙が風に煽られたように揺れだした。
しまったと思った時には遅く、パンッという大きな破裂音とともに雷に撃たれたように弾かれた紙が、浮力を失いヒラヒラと舞って床に落ちた。
「どうですかっ⁈」
ヒューバートが駆け寄ってくる中、サリアは大きな音を立てている心臓を押さえた。
破裂音にも驚いたし、こんなに長く詠唱を続けたのも初めてで疲労もあってのことだろう。
けれどこの動悸はそれだけではないと、サリアはドレイクをチラリと伺い、彼がまだこちらを見ていることに気づいて慌ててフードを引き下げた。
相手はトカゲであるのに、何を考えたというのだろう。
「い、今出来る中で、最善は尽くしたつもりなのですが……」
落ちた紙を拾ってみると紋章が浮き上がっていたが、全容とまでは行かず所々抜け落ちた部分が目立った。
「……やはりわからない部分がありますね。ですが解析を試みます。それにしても……なんて古い魔術」
蛇が何重にも巻き付いたような複雑な紋章だが、抜けた部分も含めてよく辿れば一本の線で描かれていた。
沢山の図形や記号を重ねて描く近代の物とは明らかに違う。
「この呪いをかけた人は何者なんでしょう」
♢
不思議な人だな、とドレイクは、ぶつぶつ言いながら紋章と睨み合いをするサリアを見て思った。
ヒューバートの懇願を受けた直後、彼女は少し考えるそぶりを見せてからこう答えた。
『わかりました。可能な限り解呪にご協力致します。ただ、解呪後はこちらではなく国内の何処かで自由に生きることをお許しください。この先援助も求めることは致しません。ただひっそりと、人目の無いところで静かに暮らしますので、どうかお見逃しいただきたいのです』
憲章違反等の処罰を恐れてのことだろうかと思ったが、こちらでは対処出来なかったであろう奇病を癒しこの呪いをも解こうというのだ、感謝こそすれ何を罰することがあろう、とドレイクは思う。
隣国で罪とされたこととて聞く限り確たる証拠もなく、大事になる前にと先手を打って蓋したような処遇だった。
実際相対した彼女にしてみても、そのような犯罪を犯す悪しき魔術師とは思えないのだ。
尤も、彼女の呪いの件は箝口令が敷かれているので、こちらは知らないこととなっている。
優秀な外交官の手腕によって情報は得ているわけだが、彼女が祖国で犯罪者であることは本来伏せられているのだ。
下手に突き返せば藪蛇になるとも考えられた為、ドレイクは元より国民を救ってくれた礼代わりに見逃すつもりであった。
しかし、そんなこちらの事情を知らぬとはいえ、自身の働きに対し何も求めないとは奇特な、とドレイクはサリアを眺めた。
自身に何の得もないと思われるのに、一心不乱に呪いと向き合っている。
そこにあるのは何であろうか。
鑑のような奉仕の心か、それとも。
「……彼女はどうして、あんな格好をしている?」
ふと疑問を口にするとヒューバートが答えた。
「さぁ、存じませんが、学生時代からあのお姿で有名でいらっしゃったそうですね。呪いをご専門にされているので、形から入るタイプなのかも。ほら、私も伸ばした髪を片側に寄せて編んでいるのは、その方が出来る魔術師っぽいなって思っているからじゃないですか。彼女もあの格好の方がミステリアスな研究者っぽいなってお思いなのでは?」
「……お前はそのような考えだから月一で女性にふられるんだ」
「ああっ! まだ癒えてない傷を! エミリア帰ってきてぇっ!」
心の傷を抉られたヒューバートが一人騒ぐ中、サリアがあの、と声をあげた。
「解呪法が判明しただろうか」
「それが……その……」
ドレイクが訊ねると、サリアはどこかモジモジした様子を見せて、恥ずかしそうに小さな声で言った。
「あ……愛する女性の口づけ、だ、そうです」
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