十二話 取り引き
兵士と共に馬車に揺られ連れて行かれたのは、高い建物が並ぶ一角にある地下牢だった。
移動時間は然程長くなかったが、途中視界がうねるような感覚がしたので、転移魔術でも使ったのかもしれない。
いずれにしても他国とあってはここがどこだかはわからなかった。
「また牢に入れられてる。たった一日で何度目かしらね」
サリアはフードに隠れている閣下にそう話しかけた。
平静を装っているが、内心では震えていた。
この国の法に明るくないが、憲章違反者または不法入国者として即時処刑もあり得ると思えた。
そうでなくとも、出身国が知れれば送り返されることになるだろう。
そうなれば呪いの罪に逃亡も加わり、今度こそ処刑になる。
「でも、後悔はしてない」
どの道あの塔で朽ちるはずだった身だ。
ただ死を迎えるだけよりは、同じ結末でも誰かを救えたのだから、恐怖はあれど満足していた。
さて、これからどうなるかと思っていると、カツカツと誰かが近づいてくる足音がした。
しばらくして鉄格子の向こう側に、濃いグリーンのローブを着て黒い長髪を片側で編んだ若い男が現れた。同業といった出立ちだ。
「貴女があの村の奇病を治したと噂の魔女ですか」
見下すような冷たい視線と同じく冷たい口調で男が尋ねる。
その声音の温度の無さがこの後の処遇を想像させて恐ろしかったが、サリアも冷静に答えた。
「病ではありませんでした。あれは呪いの一種でしたので、それを解呪しました」
「……元はどこかに属していた治療術師ですか」
「いいえ。呪いを専門に研究しておりました一魔術師です」
「呪いを専門に……そうですか」
男はなるほどと頷くと急にしゃがみ込んで、サリアの顔——仮面——を狐目をさらに細めて覗き込んだ。
「徽章を示さなかったとのことですが、元から登録がないのか、何らかの事情で示せないのかどちらです?」
魔術師の管理は各国で行うが、他国の魔術師であっても国際機関に問い合わせれば照会は可能だ。
登録はあると答えれば生国はすぐに知れるだろう。
サリアが黙っていると男が続けた。
「我が国の魔術師には学生を含め呪いを専門にする者はおりません。我が国に限らず、他国においてもまずいないでしょう。かつて侵略戦争を企てた今は亡き帝国が悪用し、多くの命を奪った危険な悪しき魔術ですからね。呪術書の多くが焚書されてしまったことは悔やまれますが、致し方ないでしょう。術者が力に呑まれることも史上ままありましたから。オズワース卿が有名ですね」
「……魔術発展の功労者であり、呪いの権威にして呪われた魔術師」
「呪いに取り憑かれ、生み出した呪いの検証の為に潰した村は両手では足りないとか」
恐ろしいですね、と男は薄く笑った。
「恐ろしいといえばご存知ですか? 隣国でも呪いの魔術によってちょっとした騒ぎがあったそうで」
こちらの反応を窺うような口調で男は話し続ける。
「とある魔術師が呪いによって、人体を燃え上がらせたそうなんです。恐ろしいですよね? その魔術師というのが呪いに精通している数百年に一度の才女だそうなんですが、そんなことをしたものだから流刑になったそうで」
せっかくの頭脳と技術をもったいない、とぼやくように言うと男は、にぃっと口の端を持ち上げた。
「そう思いませんか? あの魔術会屈指の学術機関、入るまではおろか出るまでにもその多くが振り落とされる国際魔術修学院を飛び級したうえ首席で卒業したサリア・オルコットさん」
やはり、気づいていてわざと話していたのかとサリアは観念した。
「……私はヴリティアへ送還されるのでしょうか。それともこちらでしかるべき罰を受けるのでしょうか」
「その発言はサリア嬢本人との肯定と取ってよろしいですか?」
「はい。私はヴリティア王国にて宮廷魔術師見習いとして出仕しておりました、サリア・オルコットです」
サリアがそう言うと、男は再び薄く笑い、編んだ長い髪を揺らしながら立ち上がった。
「本物だぁぁぁああぁっ!」
それまでのクールな態度とうってかわって、はしゃぐように大きな声を出した男に、サリアは呆気に取られてしまった。
「やったぞ本物だ! ありがとう神様! この窮地にこの巡り合わせ、感謝します! キスしたい気分!」
しちゃう、と言って男が抱擁するように腕を広げて突進してきたので、サリアは怯えて後退った。
男は当たり前だがガシャンと激しく鉄格子にぶつかり、牢に響いたその音で通路の向こうから兵士が走って来た。
「ヒュ、ヒューバート様、一体……」
「痛……失礼、取り乱しました。私ってばやっぱり日頃の行いいいなって思ったらアガっちゃって」
ヒューバートと呼ばれた男は咳払いを一つすると、また最初と同じクールな表情に戻った。
テンションの乱高下についていけない。
「サリア嬢、取り引きをしましょう」
「……と、取り引き?」
「今、我が国は呪いに関するとても厄介な問題を抱えております。そこで優秀な魔術師を必要としていました。が、なんと! そこへ貴女が! 来た! くぅっ!」
小さく飛び跳ねたヒューバートは、コホンとまた一つ咳払いする。
「貴女は祖国で犯したとされる罪で罰されているはずですね。それがここにいる」
「……はい。追放、いえ幽閉されていましたが脱走しました」
「なるほど、罪深い。本来なら条約がありますので貴女の身柄はヴリティアへ引き渡すべきですが、もしも我々にご協力いただけるのでしたら、身の安全と快適な生活を保障しましょう」
「協力……」
「断ったら不法入国と憲章違反と諸々つけてこの場で処刑にします」
「ひっ⁈」
一際冷たい目を向けられてサリアは震える。
どれが本性なのか読めず困惑しきりだ。
「いいから早く! はいって言って頷いて! 君、早く牢開けて。出て出てついて来て!」
まだ、はいともいいえとも言っていないのに牢が開けられ、サリアはせっかちなのだろうヒューバートに腕を引かれて何処かへ連れて行かれる。
「あ、あの、私——」
「犯罪者だけどいいのかって言いたいんですね、わかりますよ、でもいいんです。貴女の優秀さは聞き及んでおります。その優秀な貴女が大勢の前で、わざわざ自分が呪ったと疑われるように魔術を使うわけがありません。不当に罰されたのではと思っています」
「そうじゃなくて、あの——」
「それに例の王女殿下の舞踏会で騒ぎを起こしたのですものね。私的に罰されるなんてことも然もありなんですよ。王女殿下は確かに人望厚く外交手腕は目を見張るもののある才色兼備な御仁ですけれど、ダンスにおける情熱が時折権力の——」
聞いて、とサリアはヒューバートの手を振りほどいた。
「誰かを呪うことに協力はしません。私は人を苦しめる為に魔術を学んだのではないから」
サリアが毅然とした態度でそう言うと、ヒューバートは一拍置いてから笑い声をあげた。
「わかっています。貴女は人を呪う悪しき魔術師ではない。あの村の人々を助けるために違反とわかっていながら尽力くださった人ですから。民を救ってくださったこと、我が王に代わり御礼申し上げます」
「……でしたら、何に協力させようと」
「我々がお貸しいただきたいのは、その呪いの知識を生かした解呪の技術の方です」
そう言うとヒューバートは目の前にあった扉をノックした。
気づけば、いつの間にやら地下を出ている。
それどころか広々としてピカピカに磨かれた廊下にいる。
後方には上った覚えのない吹き抜けの大階段、白い壁には飾られた絵画の数々、目の前の扉は金の装飾が美しい。
これはまるで。
「……まるで宮廷」
サリアがそう思うと同時に扉が開いた。
「どうかご協力いただきたい。我が国の未来のために」
扉の先には広い部屋があり向かい側一面が窓になっていた。
その前に、一人の長身の人物がこちらに背を向けて立っている。
いや、夕日の中に佇むその姿は、人、と呼ぶのは正しくないかもしれない。
何故なら肌と思しき部分は鱗と表現するに相応しい硬質な物に覆われ、後頭部から背にかけてはまるで鬣のように突起物が並んでいる。
そして頭には耳でも髪でもないツノ状の何かがツンツンと生えていたのだから。
おまけに羽織っているコートの下からは尖形の太い尻尾までもが覗いている。
これは、どう見ても大きな——。
「——トカゲ!」
「竜だ!」
サリアが思わず叫ぶと、トカゲ人間は振り向いて即座に訂正した。
眠りに就いた世界を静かに包む夜空のような紺青色。
透き通った深い青色の瞳が、一瞬その姿の異様さを忘れさせたほど美しく印象的だった。
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