十話 人のために
「そんな紙で良かったの?」
買い物メモの切れ端を受け取って、サリアはコクンと頷いた。
「簡易にはなるけれど、なんとか」
「それで何するの?」
少年の当然の疑問にサリアは微笑んで答えた。
もっとも、仮面の表情は爪の先程も変わっていないのだが。
「あなたが信じてくれたから、私もあなたの話を信じて協力しようと思ったの。もしもこれが呪いなら、役に立てるかもしれないから」
サリアはそう言うと少年の胸の辺りに紙片を掲げて、すぅっと息を吸い込み、低い声で呪文を唱え始めた。
その途端、少年がサリアのガラリと変わった声音に驚いたのか、ビクッと肩を跳ねさせて怯えた様子を見せた。
無理もない。
サリアとて初めて聞いた時は恐ろしいと思ったものだ。
低く抑揚なく続く、不気味かつ言語ともつかない聴きなれない音が、蛇の這いずるようにしてジワジワと迫り巻き付いてくる。
そんなイメージを抱かせる呪文だから。
「お……お姉さん、何して……」
「現代の魔術の殆どが魔素との間のプロトコルに紋章を用いているように呪いもまた紋章として表せるのだけど呪いはその性質上他の魔術とは違って体系的な——」
「なんて⁈ 結局何してるの⁈」
「つまり、あなたに掛かっているものが呪いだと仮定して、どういった呪いなのかを炙り出してるの。大丈夫よ、リラックスして。精神性のものだと怯えたりすると影響されるから」
そう言われても、と戸惑いを見せる少年には構わず、サリアは真っ黒な蛇が蠢くような呪文を唱え続けた。
すると程なくして、手にしていた紙にジジッと焼け焦げに似た跡が現れだした。
「何か出た!」
「あなたの見立てどおりよ。これは病ではなく呪いだわ。でも……」
焦がされたような跡は途切れたり掠れたりと散り散りで、およそ紋章と呼べるような形を成していなかった。
「あなたに指向している呪いではない。これは恐らく他の人へ向けた呪いの残滓。あなたは呪薬か呪具に触れたんだわ」
「呪具……?」
「呪うために使った道具。残滓でこれだけの身体症状が出ているから、きっと体内に取り込んでいる。村の人もそうかも」
「取り込んでるって……どうやって」
「例えば呪具の焼却後の灰を吸ったとか、呪薬に触れた手で物を食べたとか……でも村全体となると——」
サリアがそう言うと、少年は、あっと大きな声を出した。
「井戸の水! 村の皆が使ってる!」
「そこにもしも呪具が投げ込まれたかしていれば、皆が呪いの残滓を取り込むこともあり得ると思うわ。調べてみるべきよ」
「それをみつけたら呪いは解ける?」
「これ以上の井戸水の汚染が止まるだけね。解呪の方は……」
サリアはそこで言い淀んだ。
「この程度なら、さっきのハーブを煮出したエキスを使って解呪薬を作ればすぐ、なんだけど……」
呪いとわかった以上、解呪薬を調合してあげたいのだが、その為には一緒に村に行く必要がある。
しかし万が一、自身の呪いが発動してしまったらと思ってサリアは二の足を踏んだ。
今こうしてこの少年と関わってしまったことが既に間違いなのだから、これ以上リスクを高めてはいけないだろう。
「でも、お鍋無いし、臭いもすごくなるから……作るのは……」
サリアが心苦しくも断ろうとすると、少年が縋るようにローブを掴んだ。
「村に祭りの炊き出しで使う大きな鍋がある! 家の裏なら外で火も焚ける! お姉さん薬作れるんだよね⁈ お願い! 助けて!」
ダメだ、危険だ。
村には多くの人がいる。
この少年はたまたま呪われにくかっただけかもしれないのだ。
また誰かを呪って惨事を引き起こすかもしれない。
そのうえ今や不審な魔術師だ。
密告される恐れもある。
魔術を使っては即座に捕まるだろう。
自分のような存在が生きていても許されるには、誰とも関わらず迷惑をかけず息を潜めていくことを徹底するしかない。
行ってはいけない。
そう思っているのに、サリアは少年の懇願に力強く頷いてしまった。
諦めた夢が脳裏を掠めて、目の前で助けを求める人を救えと囁いた。
「もちろんよ。魔術は人を助けるためにあるのだもの」