第九話 その感情は……
一度、補給拠点とした家に戻って、返り血をミネラルウォーターを含ませたタオルで拭いた。
灰狼は匂いを辿って俺の所までやって来た。
血の匂いを付けたままではそれを嗅ぎ付けて、灰狼だけでなく、匂いに敏感なモンスター達が集まって来てしまう。
対処はしておくべきだろう。
それからは再びレベル上げの作業へ戻ったのだが、どうやらここら辺は狩り尽くしてしまったのか、モンスターに出会わない。
昼前までは出会うモンスターはゴブリンばかりで、ここら辺は奴らのテリトリーか何かだと思っていたのだが。先程、普通に違うモンスターに襲われたから、多分テリトリーとかではなく、単純にゴブリンの数が多いだけなのだろう。
そんな風に色々と考察しながら、モンスターに出くわす事無く周囲を探索してたのだが、その中で一つ新たな発見があった。
その発見は足音を消して灰狼がやってきた時の出来事からヒントを得た。
あの時、俺は聴力を強化しようと咄嗟に【闘気】を耳に集中させた。そうしたら、実際に聴力を強化する事に成功した。
その時の事を思い出し、ならば、と思い立って【闘気】を身体の各部位に集中させてみたのだ。
すると、全身に循環させて【闘気】を使うより、一箇所に集中させた方が強化率が高い事が分かった。
しかも、体の表面に纏えば、まるで薄い鉄の膜で全身を覆われたかの様に物理的な接触を防いでくれたのだ。
当然、それも【闘気】を集中させた分だけ、強力になっていた。
更に、【闘気】の効果的な使い方を試行錯誤していると、【闘気】を物にも纏わせる事が出来たのだ。
木刀に纏わせれば、かなり強力な武器となるだろう。灰狼の爪でさえ、受け止める事が出来そうだ。
それが分かってからは周囲の探索をしながらも、【闘気】を瞬時に各所へ移動出来るようコントロールの練習をしていた。
奇襲を主とする為、相変わらず物陰に隠れながら移動し、【闘気】のコントロールの練習を続けた。
◇
レベル上げを再開してから三十分程経過しているが、一度もモンスターに出会わない。
もう少し探索範囲を広げてみるか。
高層マンションの周囲から離れ、バイパス道路がある方向とは反対方向を探索してみる事にした。
出来るだけ大通りを避け、住宅街の入り組んだ道を行く。
そのまましばらく進んでいると、前方から小さな物音が聞こえてくる事に気付いた。
何か湿り気のある音だ。
【闘気】で聴力を一点強化すれば、その音が少し先にある家の庭から発せられている事が分かった。
身を屈めながら道の端を慎重に進んでいく。
音の発生源に近付くにつれて、その音がはっきりと聞こえてきた。
――グチャリ。
まるで泥を掻き回しているかの様な音が庭先から聞こえてくる。
それと同時に生物の息遣いも聞こえてきた。
それは既に聞き慣れたゴブリンのものだった。
顔だけ出して庭の中を確認してみれば、案の定そこに居たのはゴブリンだった。
数はいつも通りの三匹。
だが、奴らは周囲を警戒するのでなく、三匹とも一箇所に固まり、地面に落ちている何かを一心不乱に漁っていた。
【闘気】を全身に巡らせ、強化された視力でその何かを見据える。
――それは人の死体だった。
奴らは人の死体を貪っていた。
腹は食い破られ、臓腑が飛び出し、血肉が辺りを赤く染めている。
――不意に、その生気の失った瞳と目が合った。
その瞳からは何の感情も読み取れなかったが、酷く気分が悪くなった。
気付けば、俺は駆け出していた。
突然現れた敵に動揺するゴブリン共。
そんなのは関係無いとばかりに、木刀を振るう。
インパクトの瞬間に、全身に巡らせた【闘気】を腕に掻き集めれば、ゴブリンの頭は破裂音を響かせて吹き飛んだ。
腕に集めた【闘気】を一瞬で全身の循環へと戻し、そして同じ行程で残りのゴブリンを流れるように屠った。
《レベル上昇。【戦士:レベル5】》
《スキル獲得。スキル【身体強化】》
静寂を取り戻した場にシステムメッセージが響く。
いや、これは俺の頭の中で響いているのだったか。
ゴブリンを殺した事で、ある程度不愉快な気持ちが収まった気がした。
とりあえず、レベルも上がり、そして新たなスキルを得た事だし、それを確認する事にした。
《スキル【身体強化】。身体能力を強化する。常時発動型》
システムメッセージにより、【身体強化】について淡々とした説明がなされる。
要するに【闘気】を使わないでも、常に身体能力が強化されるってことか。
説明が正しければそういう事になる。
という事は、【闘気】を使えば、更なる――今までよりも一段上の強化が出来るという事だ。
これでもっと楽にモンスターが狩れるようになればいいんだけど……。
まぁ、やっとモンスターと出くわした訳だし、レベル上げを再開するか。
そう意気込んだところで、二つのスキルにより強化された聴力が再び物音を拾った。
その音源は今居るこの庭の隣――家の中だ。
「まだ殺り残した奴がいたのか」
俺は壊された縁側の窓から中へ侵入する。
聴力を集中強化し、音の詳しい出所を探る。
僅かな音が二階から聴こえてくる事が分かった。
足音を殺し、慎重に階段を登る。
もしかしたら、これは罠かもしれない。
奴らだって、奇襲を考える知能くらいあるだろう。
いつ襲われても良いように、木刀を構えて進む。
二階に上がると、部屋が四つあった。
どれも扉が閉められていて、何処に奴らが居るか分からない。
一先ず、近い所から虱潰しに調べて行こうと、一歩踏み出した。
だが、運悪く踏み出した足下から、床の軋む音が響いた。
奴らの襲撃を警戒して木刀を構え直す。
「…………」
しばらく、そのまま待ってみたが、奴らが現れる事は無かった。
一つ深呼吸をしてから、再び一番近くにある左の部屋から調べようと、その扉の取っ手を掴もうとした。
その瞬間だった。
カタリ、とそれなりの大きさの物音が対角線上にある部屋の中から響いた。
このゴブリンは相当なドジらしい。
一応、罠の警戒をしながらも、その部屋の扉の前へ立つ。
そして、二つのスキルで強化された脚力で、思い切り扉を蹴破った。
最早轟音と呼ぶに相応しい音を響かせて、扉が部屋の中へ吹き飛んでいく。
扉の向こう側で待ち伏せていたら、今頃、扉と壁に挟まれている事だろう。
だが、部屋の中にはゴブリンは愚か、モンスターすら居なかった。
おかしい。
確かにここから物音がした筈だ。
それは間違いない。
もしかして、ゴブリンなどではなく、自然に何か物が落下した時の音だったのではないか?
そんな可能性を考えながらも、部屋の中を見渡す。
すると、クローゼットがある事に気付いた。
何かが居るなら、この中しかない。
俺は奇襲を警戒しながらも、勢い良くクローゼットを開け放った。
そして、木刀を突き出そうとして――
「――きゃぁあああああ!」
――そこに居たのは、縮こまって悲鳴をあげる少女だった。