◇96 再出発は銀世界から
「よよぼう」第六章までのあらすじ
RPG同好会を設立した中等部二年の西原詩音は、個性的な仲間たちと親交を深めていく。そして、もうひとつの詩音の願いは、担任教師の佐伯十三との恋の成就だった。
季節は巡り、晩秋の体育祭で先輩の神楽楠葉との勝負に負けた詩音は、それでも気丈に自身の努力を続けるが、その裏で樟葉の計画が着々と佐伯先生を追い詰めつつあった。
一方、詩音に想いを寄せるクラスメイト、越谷漣の存在も明らかになり、詩音の周囲の恋模様はさらに混迷を極めていく。
クリスマスを目指して、詩音たちRPG同好会の仲間たちは、各自の胸に秘めた想いの実現に向けて、いよいよ本格的に行動を開始する…。
主な登場人物
□女性/■男性
《RPG同好会の面々》
□西原 詩音
担任の佐伯先生に想いを寄せる中等部二年生。RPG同好会の会長だが、威厳の欠片もない引っ込み思案娘。
何故かトラブルに好かれる体質で、意地と気合で難題に立ち向かう、出たとこ勝負の精神的ハリボテ勇者。
□白岡 彩乃
詩音のクラスメイトで、ホビーショップ『Colline Blanche』の看板娘。明るくマイペースなボクっ娘で、根っからの商売人気質。
店に集う年下の子供たちからは人気の高い姉貴分だが、従兄の謙佑に初恋のリベンジを誓う乙女でもある。天邪鬼な鉄砲玉トラブルメーカー。
□香坂 夢莉
詩音の幼馴染みで隣のクラス。体操部の期待の星でもあり、男女問わず人気の高いスタイリッシュ女子。
毒舌系百合剣士といったクールな雰囲気ながら、人情に脆い苦労人。実質的な詩音たちのストッパー兼防波堤。
■島本 涼太
詩音と夢莉の幼馴染み。夢莉のクラスメイトで家もお向かいさん。夢莉にあからさまな挑戦を続ける残念トリックスター。
夢莉にいいように使われつつ、思慮深く陰ながら支える縁の下の力持ち。自称、ジョナサンの兄貴分。
□山科 美雅
中等部一年の体操部員。夢莉を目標に鍛錬を欠かさぬ努力家。気分屋で周囲から孤立しがちな人見知りツンデレハリネズミ娘。
複雑な家庭環境のせいでかなり達観した言動も多い。戸籍上は笹嶋姓となったが、学校内では山科で通している。
□神楽 樟葉
図書委員の中等部三年生で、地元名家の一人娘。完璧主義で融通の利かない修道女的性格も、詩音たちの影響で丸くなりつつあり。
実際は、次期当主としての境遇と自分自身の目標に悩む年相応の少女であり、渾名の「鋼鉄の冷嬢」とは程遠い温和な性格。詩音のライバル?を公言中。
■ジョナサン ウェリントン
樟葉の遠縁の金髪男子。美雅のクラスメイト。明るく陽気な爽やか系男子で、編入早々から女子の注目度も高い。涼太とは凸凹コンビの間柄。
偶然か必然か、詩音の遭遇するトラブルの救世主的な存在で、詩音にとっては微妙に気になる存在。
《その他の人物たち》
□メアリー ウェリントン
樟葉の遠縁の金髪女子。初等部六年生の快活児童。ジョナサンの妹で、かなり偏りまくった日本文化に憧れている。
次世代RPG同好会の予備軍として、詩音たちに帯同することも多い。容姿も年齢以上に早熟可憐で、詩音や彩乃のコンプレックスの源になることも。
■佐伯 十三
詩音と彩乃のクラス担任の国語教師。RPGの造詣も高く、心理描写重視の演劇スタイルが得意。なし崩しにRPG同好会の責任者となる。
詩音の憧れの存在であり、生徒からの評判も良好の好青年だが、環との経緯から生徒との距離感に戸惑いを感じる一面も。
■鷹取 謙佑
ホビーショップ『Colline Blanche』のアルバイトの大学生。彩乃の従兄。RPGのほか、様々な玩具に詳しい。
相応にイケメンだが、かなりアバウトな性格で、一見掴みどころがない存在。彩乃の良き相談相手であり、目下の攻略目標。
□道脇 環
RPG雑誌『月刊TTM』の編集部員で、謙佑の先輩。気さくなゴスロリ美女。本名は「大路 円」。
過去の自分に似た境遇の詩音に、分不相応な過大な期待を抱いているようで、半ば世話焼きのお節介お姉さんと化している。
□宮津 綺夏
美雅のクラスメイトの明朗少女。クラスで孤立しがちな美雅を気にかけ、様々な変化のきっかけを作る。やがて美雅にとってかけがえのない親友となる。
美味しいものと可愛いものに目がない現代っ子で、アクティブな行動派のわりに細部はかなり大雑把な性格。躊躇する人の背中をそっと押すのが得意。
■越谷 漣
詩音のクラスメイト。突然詩音に大胆告白をした、もう一人の勇者。
落ち着いた穏やかな性格だが、詩音に関してはかなりの情熱家で、涼太やジョナサンを仮想敵に考えている模様。
洞察力に優れ、佐伯先生より早く詩音の長所に気付くなど侮れない存在。
■吉川 響
詩音のクラスメイトで、越谷の友人。詩音の事になると見境のない越谷の手綱を握る役目。口調は荒いが常識人で善人ではある。
小学生の妹のおかげで、女子に対する希望的感情は希薄。風歌とも仲間感覚でのフランクな友人関係にある。
□赤木 風歌
詩音のクラスメイトで。クラスを引っ張るまとめ役的なさっぱり系。小麦色が健康的な姉御肌。お祭りやイベントが大好きでとことん楽しみ尽くすタイプ。
体育祭の男女混合騎馬戦で詩音や越谷、吉川と組んだことで、思いがけず詩音と越谷の、というより詩音の相談相手になっていく。
□ヴィスラーン(bi slàn)
駅前広場に時折出没する謎の占い師。道脇 環こと大路 円の双子の姉を自称している。
環以上に謎が深く、よく似た性格ながら更に掴みどころがない。環と対照的な白系のドレスが好み。本名「大路 満」。
◇96 再出発は銀世界から
どんどんと真っ白になっていく夕刻の駅前広場に、佐伯十三という一人の中学校教師を巡る関係者が勢揃いしていた。
詩音はその中では最年少、些か場違い感も拭えない状況だが、その実、朧気ではあるが殆どの事情を知っている立場ではあった。というより、肝心の佐伯先生が状況把握に鈍すぎるのだ。
問題の道脇環こと大路円、自称その双子の姉のヴィスラーンこと大路満、環に便利屋扱いで同行を余儀なくされた大学生の鷹取謙佑、そして詩音と佐伯先生といった顔ぶれである。
やっとのことで、目の前の妙なテンションの黒尽くめの女性、環こそが、かつての自分の教え子だった円であることに気づき始めた佐伯先生だが、もはや既に時遅し?というものだ。
佐伯先生よりも一足先に、ひょっとすると何歩も先に、かもしれないが、環はかつて憧れていた教育実習の大学生から卒業し、反対に年下の現役の大学生に攻略目標を変えていた。
いわば半分復讐じみたシチュエーションではあるのだが、その昔に自分が受けた扱いを、良くも悪くも謙佑にまるごと実行しているようなものだ。
当然ながら、それを受ける立場の謙佑にとってはかなり傍迷惑な話だが、そこは惚れた弱みで甘んじる他にないだろう。勿論、その元凶となっているのが、佐伯先生であるとは知る由もない。
「もし、佐伯先生が…って、まだ当時は先生じゃないのか…。とにかく、私がその昔、あなたを大好きで大好きで、朝起こしに行ったり、お弁当作ったり、放課後待ち伏せしたり、そんな健気な教え子だったとしたら…、さてどうする気なんですかね?」
「いや、それは、その…。別に、ああそうか…ってだけの話で…」
まるで偶然再会したかつての恋人に、過去のあれやこれやを問い詰められているような状況の佐伯先生の姿に、緊張感そっちのけで詩音は思わず苦笑してしまう。
「ほら、そこのお嬢さん、今の言葉聞きましたか? この人ったら昔っからちっとも変わらずに、こういう困った性格なんですよ! 悪いことは言わないから、今のうちに考え直したほうが…」
「あ、あははは…」
詩音の立場はさしずめ、別れた前妻からのありがたい忠告を受ける、新婚前の後妻のような感じだろうか。まぁ、環の気持ちもわからなくはない。
「だから、私はね、そんなどうしようもない人の事はすっぱりと諦めて、若くて優しい恋人に走ることにしたのよ! ほれ、鷹取ちゃん!」
そう言って、環は謙佑の前にびしっと人差し指を突き出す。
いきなり環から御指名を受けた謙佑は、話が見えずに戸惑いながら自分を指さして首を傾げる。
「僕、ですか…?」
「そう、あんたよ、鷹取ちゃん! 私たち姉妹の因縁の相手、エルザ西原的には宿敵『魔王佐伯』…? その目の前で、私にきっちり告白するのよ!」
「え?」
そう声を上げた当の謙佑でなくても、さっぱり意味不明でドン引きといった状況である。
「早めのクリスマスプレゼントを寄こせって言ってんのよ…。星の加護がある今のうちに言っとかないと、後々誰かさんみたいに燻ぶる事になるわよ?」
「いや、でも…、こんな駅前で?」
「このクソ寒い中、誰も聞いちゃいないわよ…。雪のせいで人も少ないし…」
なおも躊躇する謙佑に浴びせられる環の言葉には、まったく容赦がない。これではもし話が纏まっても、二人の力関係が思いやられる。
「あー、何ていうか、別にこっちとしては、環さん…というか、円が誰と今付き合っていても…」
佐伯先生が逃げ腰になって状況から一歩後ずさりを試みるが、その場の空気が魔王の逃走を許さない。
「環さん、僕は…、鷹取謙佑は、ずっと以前から、道脇環という素敵な女性に憧れて…、その、本当に大好きでしたっ!」
唐突に告白を始めた謙佑に、言い出しっぺの環でさえ少し驚きながら、それでも環の口は冷静にツッコミを入れる。
「…で、何で過去形?」
「あ、うん、今日までは環さんが好きでした。でも、たった今からは…」
そこまで聞いたところで、いち早く気がついた詩音とヴィスラーンが思わず顔を見合わせて、互いに曖昧な引き攣り笑いを浮かべる。
「大路円さん! 今日からは改めて、あなたのことがが大好きです! だからこれからは、僕と一緒に…」
「うん、まぁ、いいかぁ…? よし、合格ぅ! という訳で、退路は断たれたわよ、佐伯先生!」
一気に怒涛の展開である。詩音のお馬鹿な頭脳では処理できないほどの、膨大な情報がこの雪の駅前広場に溢れている。その中で、詩音の心に真っ先に思い浮かんだのは、彩乃と美雅の共倒れのことだった。
まぁ、誰かが勝てば誰かが負けるのだから、年齢とか立場とかお構いなしに、一人の勝者と多数の敗者が生まれてしまうものではある。
「さて、では、そろそろ私からお話しさせていただきますね…」
まるで年上女子の先輩に虐められて泣かされたような状態で、環にもたれかかって半泣きの謙佑をちらりと見ながら、今まで沈黙していたヴィスラーンがようやく口を開く。
「佐伯先生、あなたは中学校という『夢の国』から出たくはなかった。そこが円との所縁の場所だから…。それがあり得ないとわかっていても、いつかまた会えるかもしれない、またやり直せるかもしれないと願って…」
佐伯先生は沈黙したまま、環と謙佑の寄り添う様子を見つめている。もしかしたらあり得たかもしれない、自分と円のもうひとつの世界を重ねて…。
「同時に恐れてもいた。円やかつての恋人さんにもし再会できたとしても、その隣にはもう、自分が立てる場所が無いだろう、という冷酷な事実を…。再会して謝りたいと願いつつ、できれば再会したくはなかった。だから、もうひとつの『忘れられた楽園』にも、あなたの足が向くことはなかった…」
ヴィスラーンの言葉は、まるで佐伯先生の心を見透かしたように、確実に丸裸にしていった。それは佐伯十三という人間の背負い込んだ大きな荷物を、少しずつゆっくりと下ろしていくような感覚なのかもしれない。
「恐らくあなたは知っていたはず。あのRPGイベントに、今も円がいるだろうことを…。だから余計に遠ざけた。大好きなRPGという趣味からも一歩身を引いて、そして…」
そこまで朗々と語ったヴィスラーンの言葉を受け継いで、環が佐伯先生に視線を戻し、その先を語りかける。
「恐れていた私の再来、次世代の大路円である一人の女子生徒が、歴史を繰り返すように佐伯先生に声をかけた…。円よりさらに輪をかけて臆病な、引っ込み思案で弱気なその生徒の精一杯の願いを、あなたは叶えることにした…」
「まぁ、出来過ぎた話、ではあるよな…。何というか、この健気で危なっかしい頑張り屋の姿を毎日のように見ていたら、再びRPGの世界に戻るのも悪くないんじゃなかろうか…と、正直そう思うようになったんだ…。でも、それは…たぶん、円の代わりに詩音を、という訳じゃない…」
黙って話を聞いていた佐伯先生が重い口を開いてそう答えると、その先の一番重要な言葉を遮るように、静寂のせいでいつも以上に澄んだ踏切の音と、列車の通過していく音が、詩音の耳に響いてきた。
やがて再び静けさの戻ってきた駅前広場に、佐伯先生の独白が続く。
「最初のうちは、また面倒事に巻き込まれるのが嫌だった。だから、まぁ適当に自分たちでやってくれ、と思っていた。でも次第に、そういう自分の考え方に疑問を持つようになっていった…」
佐伯先生は、恐らく本来なら一生徒に軽々しく語るべきではない不適切な内容であっても、敢えて真摯に向き合って伝えておくべきだと考えていた。
むしろ当の佐伯先生自身にさえコントロールができないほど、赤裸々ともいえる話が、まるで心の堰を切ったように溢れだしてきていた。
「確かに当初は、西原詩音という女子生徒を、かつての大路円に重ねていた。だからこそ、今度は深く関わるまいと自分を律していた。二度と教え子を傷つけることも、そして何より、自分に向けられた無垢な生徒からの純粋な情熱…想いを失いたくはなかった…」
それはヴィスラーンの語った通りのシナリオだった。
「でも、詩音という生徒は違った。こちらに向けられる憧憬や恋慕を窺わせる感情と、純粋な興味としてのRPGへの飽くなき探求心が、そう…等しく同じ重さで…。だからこそ真剣に自分を、佐伯十三という担任教師を必要としているのだ、他の人では絶対に無理なのだ、という事実に気づいた時には…」
佐伯先生はそこで言葉を切って、真剣な眼差しを詩音に向けた。そして意を決してその先を語りだす。
「正直、自分でも良くわからんくらいに、気になって仕方がなくなっていたんだ…。西原詩音という名の一人の女子生徒の存在が…。いや、もしかすると…女子生徒としてだけではではなく…」
「ちょっ! せ、先生…?」
一気に耳の先端まで真っ赤になる詩音は、狼狽えた声で佐伯先生の名を呼びかけるが、この状況では、それはかえって火に油というものだろう。
「要するに、一人の女性として気になっているという可能性も否定は出来ない…と? まぁ、それってぶっちゃけ、恋ってやつだよねぇ…? 倫理的にはまぁ、何ていうか? 教育者としては如何なもんか…とは思うけど…」
環がさっさと佐伯先生の逃げ道を塞ぎにかかり始めると、詩音は思わず素っ頓狂な悲鳴っぽい叫び声を上げる。
「恋ぃ…!」
人間の使う言葉には、秘められた魔力がある。
…といっても、実際には何も起きたりはしない。その魔力の影響が及ぶのは、人の心の中だけだからだ。
それゆえに、人は簡単に他人を傷つけたりもする。たった一言の不用意な発言が他人を死の淵まで追い詰めることもある。もちろん、思いがけず誰かの命を救うことだってあるだろう。
だから環は、当時の恋に恋する少女だった円が何よりも聞きたかった言葉が、とうとう憧れていたあの人の口から聞けたことに感動して、たとえその言葉が向けられた相手が自分ではないのだとしても、その言葉自体を無かったことには絶対にさせたくない、と強く願った。
「…まぁ、今更そんなこと、知ったこっちゃないでしょ…。あの頃の私にとっても、先生と一緒に、その…一線を越えるくらいの覚悟さえあれば…」
「一線を越える、って…」
想像力の豊かな詩音が斜め上に逞しい妄想を膨らませていく。照れと寒さで真っ赤になった耳から、まるで湯気が立ち上りそうな勢いだった。
「何にせよ、あの時の私が一番聞きたかった言葉が、やっと今こうして先生の口から聞けたんだもの、嬉しかったわ…。この際、相手が誰でも気にしないし…って言うと、ちょっと嘘か…」
環はそう言って悪戯っぽく佐伯先生に微笑みかけると、その先を紡ぐべき言葉を失い呆然とする佐伯先生に、盛大なとどめの一言を容赦なく撃ち込む。
「クリスマス前の告白にしては上出来…? まぁこんな所よね…。ちなみに、エルザ西原の覚悟は、昔の円より決まっちゃってるから、心しておいたほうが良いと思うわよ、佐伯先生…」
「告白、って、お前…」
「あら? 早速撤回するんですか? よりにもよって、私の…私たち姉妹の目の前で、堂々と大胆なこと語ってたくせに…?」
「いや、それはお前たちが、だなぁ…」
「っていうか、覚悟って何ですか、環さん! 私、まだその…、先生と…なんて…」
佐伯先生と詩音が同時に取り乱しつつ狼狽える。環に反論を試みようにも、二人とも有効な一打が思いつかない。
「いいじゃないですか、それはその時の話で…。少なくとも佐伯先生の心の枷のひとつ、大路円という生徒は今夜、無事にあなたの許を旅立っていったのですから…」
ヴィスラーンの言葉が優しく追い打ちをかける。
しかし、そう、その通りである。
ある種の後悔と後ろめたさ、再会の希望と躊躇いの逃避、その大きな枷が外れた今、佐伯先生の心は僅かに軽く自由を取り戻し、同時に環は新たな恋に生きる道を選んだ。
時の流れは緩やかに全てを変えていく。どんなに空想の世界に引き籠ろうとも、ピーターパンは常に年を取り続ける。それは避けようのないこの世界の現実だ。
そして今、年を重ね大人になったピーターパンの、止まっていた時が再び動き始めたのだ。
「先生…、佐伯先生…。もうとっくにバレてると思いますけど、私は佐伯先生が好きです…。そんなこと伝えてみても、だからって別に何がが変わるわけじゃないですけど、できれば、その…私の傍からいなくならないで欲しい、です。外国に行かないで欲しい、です…」
詩音は佐伯先生に向かって目一杯に明るく微笑みながら、潤んだ瞳を滲ませてそう告げる。
「それが自分勝手な、私の我儘なのは百も承知です。それに、たかが中学生の小娘のお願いなんて、神楽家の事情や樟葉先輩の頼みごとに比べたら、取るに足らないものかもしれないですけど、たとえ無理でも、願いを諦めたくない、です…」
詩音は微笑みながらも涙で瞳を潤ませる。佐伯先生は何も言ってはくれない。寧ろ否定の言葉をかけられるくらいなら、何も聞きたくはない、というのが詩音の本音かもしれないが。
「あー、泣かせちゃダメだってばぁ、先生ぇ…」
「そうですね、ここから先は佐伯先生が自ら決める、自分の歩むべき新たな道でしょうから、きっと誰も文句は言いませんよ。昔の私みたいに、荒れ狂う困った問題生徒がいなければ、ですけれど…」
環とヴィスラーン…つまり、円と満の双子姉妹が。仲良くステレオ音声で佐伯先生を揶揄う。
「佐伯先生も、多分いろいろわかっておられるはず、ですよね。次に自分がやりたいことが…。たま…円さんは絶対に譲れませんけど、また悔いが残らないように頑張ってください。僕が言うのも妙な話ですが、応援…してます」
結局、成り行きで―いや、もしかしたらそれすらも環が仕組んだことかもしれないが―もっとも幸運な状況を手に入れた謙佑が、涙交じりの笑顔で佐伯先生に声をかける。
「まったく、お前らな…」
呆れたように佐伯先生は唸る。しかし、詩音から見る限り、その表情に怒りや苛立ちの気配はなかった。
「言いたいことは、先に樟葉先輩に伝えてあげてください。私は…来年も待ってますから…」
詩音の女の意地というか、勝利を確信した余裕というか、僅かに見せた強がりの台詞に、佐伯先生は静かに頷いた。
「あぁ、そうだな…。まずはいろいろ問題を片付けてからだ。お前が納得する答えになるかは保証できないが、もうちょっと待っててくれるか、西原…」
その言葉は詩音の心に言いようのない幸福感を与えた。まさに天にも昇る気分というやつだ。だがそれでも、詩音の心には僅かな不満が残る。
「それじゃ、駄目です。もう一度やり直しです!」
「はぁ? 何が不満なんだ、西…」
そこまでい言いかけてから、佐伯先生はようやくピンと来たようだ。いつまでたっても乙女心のわからない困った人だ、と当人以外は一斉に、心の中で大きな溜息をついていることだろう。
「暫く待ってくれ、詩音…」
詩音は大きく頷いて、再び大胆に佐伯先生に抱き着いていった。
「はいっ! もちろん待ってますよ、何なら永遠に…。あ。ああっ!」
「わ、待て待て!」
憧れの佐伯先生に抱き着いていったはずの詩音は、すっかり油断していた佐伯先生を、勢い余ってそのままベンチの上に押し倒し、自らもその上に豪快に倒れこんでしまう。
「あらあら…」
「青春よねぇ…」
「詩ちゃんも上手く行くといいですね」
呆れた様子で微笑ましく見つめる三人は、口々に感想を述べるが、一切、倒れた二人に手を貸そうとは思っていないようだ。
まさに勇者詩音が魔王佐伯に相討ちとなった決定的瞬間だ。いや、もしかするとそれは、相討ちではなく、共倒れという状況なのかもしれないが…。
「詩音は…やっぱりあったかいなぁ…」
「気のせいです! 暖かいんじゃなくて、重いだけですよ! 私は環…円さんに負けないくらい、先生にとって重い女になっちゃうんですからね! 覚悟はいいですか、先生!」
勇者詩音は、言いたいことは全部言ってやったぞ!…とばかりに、満面の笑みで大好きな魔王佐伯にとどめを刺した。
そう、ここから先の物語は、詩音の未だ知らない未来の『魔王と勇者の物語』なのだから…。
◇ 第七章「精霊たちの舞う空に」終◇
2025年1月より
第八章(最終章) 波乱の冒険のその先へ
◇97 紆余曲折の果ての結論 に続く
ご意見ご感想イラスト等もぜひお寄せください
●ご注意
この小説は、原則的に毎週月曜日の10:00に更新する、連載形式の作品です。
現在は、第七章を2024/9/30より掲載し、このエピソードで終了となります。
2025/1/6より、最終第八章を開始予定です。
初めまして&こんにちは、真鶴あさみです。
ずるずる続いたこの作品もついに七章が終了です。新年は新章となり、そこでひとまずの最終章となります。もう暫くお付き合いください。
TRPGの話題が若干少なめの第七章でしたが、最後の第八章ではまたRPG同好会らしい活躍をみせられたら…と思います。
なかなかきっかけが難しい趣味ですが、是非一度TRPGにも触れてみてくださると嬉しいです。
挿絵画像は相変わらず、KISS「カスタムオーダーメイド3D2(COM3D2)」ですが、このまま最後まで変えずに行きたいと思います。
AIイラストも実験中ですが、それは新作のほうに使っていけたらと思います。
ご意見ご感想、AIイラスト他、お寄せくださると嬉しいです。
■「ちちぷい」(https://www.chichi-pui.com/users/user_uX43mFCS2n/)にてAIイラストを試験公開中。「よよぼう」関連以外もあります。
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