◇8 神楽樟葉
●ご注意
この連作小説は、当サイトで公開中の「あの世とこの世の冒険譚」本編を各章ごとに分割したものです。
既存部分の掲載に引き続き、新作部分を連作小説形式で公開していきます。
●主な登場人物
□女性/■男性
□西原 詩音
担任の佐伯先生に恋する、RPGが趣味の中等部二年生。
□白岡 彩乃
詩音のクラスメイトで、ホビーショップの看板娘。
□香坂 夢莉
詩音の幼馴染みで、隣のクラス。体操部に所属。
□神楽 樟葉
図書委員の中等部三年生。地元名家の一人娘。
■佐伯
詩音と彩乃の担任の国語教師。
■涼太
詩音と夢莉の幼馴染み。夢莉のクラスメイトでお隣さん。
■鷹取 謙佑
ホビーショップのアルバイトの大学生。彩乃の従兄。
■水野
夢莉の担任の体育教師。
◇8 神楽樟葉
その夜、いつもと同じように家族全員での夕食を終えると、樟葉は勉強を口実にして早々と自室へと引き上げた。
どうせ毎日変わり映えのしないご近所の評判話や、神楽の家系の誰某が代議士に立候補するだの会社を始めるだの、海外に行っていた遠縁が久方ぶりに来日するだのといった、樟葉自身にとっては全くどうでもいいことばかりの団欒の席だ。
さらにこの最近になって目立ってきたのは、次期神楽本家の後継者、つまり樟葉の将来の婿探しの話題だった。
樟葉はまだ中学三年生の身の上である。確かにこの年頃といえば、好いた惚れたの話題に花を咲かせる時期ではあるものの、それは別に深刻に将来を左右するとか、一生涯の伴侶を見つけ出すとか、そういった重苦しい圧力を伴うものではないはずだ。
良くも悪くも気楽に恋を語れる、そんな多感な頃合いだからこそ、ひとつの些細な出来事に一喜一憂しては、悩み焦がれるのだろうと樟葉は思う。
実際、クラスメイトの間でもその手の話題には事欠かないし、図書委員の中でも作業の傍ら恋愛話になることも少なくない。
樟葉の個人的な秘かな悩みといえば、度々友人たちから恋愛相談を持ち掛けられてしまうことだった。
何故だか知らないが、どういうわけか、名家のお嬢様というものは引く手数多で相手を選びたい放題の恋愛環境にいるとでも思われているようなのだ。
確かに、正直言って樟葉の許に舞い込む交際の申し込み、そこまで行かずともせめて見合いだけでも、というものは枚挙に暇がない。なにしろ最初の縁談が持ち上がったのが、樟葉がまだ小学四年生当時の話なのだから。
樟葉の許に話が来ているだけでこの数になるのだから、きっと両親の許にはその二倍から三倍の話が来ていることだろう。神楽の本家を任せる以上、それ相応の条件を満たさない案件は問答無用で門前払いというわけだ。
もちろん学校でもそれなりに、さほど多くはないものの交際を申し込まれることもなくはない。多少の近寄り難さはあるかもしれないが、樟葉が決して男子に人気がない、モテないというわけではない。
まぁ、それらの場合は単に目先のことしか見えていないわけで、仮に樟葉と付き合い始めたとして、将来の神楽本家の伝統を背負って立つことなど全く意識していないだろう。
そうなると樟葉は、心の何処かで嬉しく思いながらも、その申し出を断らざるを得ない。それは樟葉自身がどうこうというより、覚悟と責任の重さをどう考えているかという問題である。
そういうことが幾度か繰り返されるうちに、樟葉の身の周りにはある種の噂が付きまとい始めた。
中等部三年の神楽樟葉はどんな相手に告白されても一刀両断に切って捨てるお高い存在だ、と。
別に樟葉が望んでいることではなかったが、そういう噂が出るのも致し方ないことだろう。
それでも今日、あの研修室での体験が樟葉の中の何かを確実に変えつつあった。
具体的に何がどうなったのかと問われても、樟葉自身にさえ説明がつかない代物だ。
心の中の水面に立った小さな小さな漣が、次第に大きなうねりへと変わっていくような不思議な感覚…。その感覚が何故か嬉しくて愛おしくて、懐かしくて何処か寂しい。そんな思いに駆られたのは、樟葉にとって初めての経験だった。
まったく手につかない形ばかりの勉強の手を止め、机からベッドへと移った樟葉が倒れこむ。クッションの効いたベッドが優しく樟葉の体を受け止めるように弾んだ。
ゆっくりと微睡むようにその瞳を閉じると、樟葉の脳裏に放課後の研修室での光景が浮かんできた。
あの時、樟葉は修道女を演じていた。いや、確かに修道女そのものだった。
自らの境遇を悲観し、世界を逆恨みした悪魔使いによって召喚された、何処か弱気な悪魔。元の世界に戻るためには、契約通り数多くの人間を抹殺しなければいけない。
悪魔の世界においてさえ弱気で意気地なしなその悪魔は、毎晩泣きながら人々を襲い、後悔と疑問を抱きつつ、残り数人までの道のりを歩んできた。
やがて元凶の悪魔使いは天に召され、その館は競売の末に貸別荘となったが、悪魔は一人そこに取り残された。
そして年月が過ぎ、久々に館を訪れた来客たち。
このうちの数人さえ殺すことができれば、悪魔は元の世界に戻ることができる。昔は意気地なしと蔑まれてきた彼が、ついに多くの人間の命を奪い、気高き悪魔の一人として凱旋できる。
だが、この人間の世で悪魔使いと一緒に過ごした永き日々も、思いのほか悪いものではなかった。
ひとたび召喚してはみたものの、元の世界へ送り返す術を知らない悪魔使いは、まるで贖罪のように悪魔を家族同然に扱っていた。いつしか悪魔が誰かを殺めるたびに、ともに涙して肩を寄せ合うようになっていた。悪魔が元の世界へ帰る手段がそれしかないのを嘆きながら。
葛藤の後、悪魔は詩音たち一行を襲った。一進一退の攻防になったのは、久方ぶりの大立ち回りで、何処かで悪魔に迷いが生じていたのかもしれない。
悪魔が襲撃の決断に至った理由は、大広間脇の悪魔使いの肖像画をうっかり彩乃が棄損してしまったからだった。経緯はどうあれ、既に悪魔にとって悪魔使いは家族だったのだ。
せめて一人でも、と悪魔が襲いかかったのは、樟葉演じる修道女だった。もしかしたら無意識に浄化を望んでいたのかもしれない。天に召された悪魔使いの許へと導いて貰いたかったのだろうか。
だが、そんな願いも虚しく、法と正義の名のもとに夢莉の放った銃弾が悪魔を死の淵へと追いやる。
消えゆく悪魔の体を抱きかかえたまま、修道女の樟葉はいつまでも鎮魂の祈りを捧げ涙するのだった。
良くできた寓話、ありがちな話ではある。
でも、確かに樟葉はあそこで苦悩し、動揺し、無力感に苛まれていた。現実かどうかなんて関係ない、五感のすべて、全身全霊をもって樟葉自身が体験し、涙したあの出来事は、事実以外の何物でもなかった。
ゆっくりと寝返りを打ち、改めて樟葉は己に問う。
あの時、修道女はいったいどうするべきだったのか。殺人鬼の悪魔を庇って身代わりに討たれるべきか、法と正義と神への信仰をもって悪魔を討たせるべきか、はたまたともに死すべきか、永遠の逃避行を目論むべきか…。
あるいは自身がその悪魔に引導を渡すという選択肢もあるだろう。
いずれにせよ、その時の樟葉は悪魔への同情と哀れみに支配されるばかりで、手を下した夢莉を逆恨みし、止めなかった詩音や彩乃にさえ罵りの言葉を浴びせた。
そんな自分の熱く煮えたぎった激情を自覚しないまま、樟葉は佐伯先生の掌で転がされていたのだ。
悔しかった。佐伯先生に対してではなく、自分自身の無力さが辛かった。
その場その場の状況に翻弄されて、流されるままに涙するだけの樟葉自身が悔しくて、一方、そういう自分に気づくことができた幸運の巡りあわせを嬉しく思ったりもした。
未だにゲーム…RPGというものがどういうものなのか、はっきりと理解はしていない。ただもう一度、もう幾度かはその身で体験して、まだ樟葉自身も知らないもう一人の自分に出会い、向き直ってみるのも悪くはない、と素直にそう思う。
もしかしたら、樟葉の心の中にはすでにひっそりと、名も知れぬ悪魔が住み着いてしまっていたのかもしれない。
◇9 適当過ぎる物語に続く
●ご注意
この連作小説は、2023/4/1より当サイトで公開中の「あの世とこの世の冒険譚」本編を各章ごとに分割したものです。
2023/4/8より毎朝10:00に各章を順次公開しますが、分割にあたって変更した部分はありません。
既存部分の掲載に引き続き、新作部分を連作小説形式で公開していきます。新作部分のスケジュールは現在検討中です。
作中の登場人物のイメージ画像を「COM3D2」というアレ系のゲームで撮影しました。
画像そのものは健全なので問題ないのですが、今後のことも考えて、イラストを描いてくださる絵師さんを募集しています。ぜひよろしくお願いします。
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