◆1 白岡彩乃
●ご注意
この連作小説は、当サイトで公開中の「あの世とこの世の冒険譚」本編を各章ごとに分割したものです。
既存部分の掲載に引き続き、新作部分を連作小説形式で公開していきます。
●主な登場人物
□女性/■男性
□西原 詩音
担任の佐伯先生に恋する、RPGが趣味の中等部二年生。
□白岡 彩乃
詩音のクラスメイトで、ホビーショップの看板娘。
□香坂 夢莉
詩音の幼馴染みで、隣のクラス。体操部に所属。
□神楽 樟葉
図書委員の中等部三年生。地元名家の一人娘。
■佐伯
詩音と彩乃の担任の国語教師。
■涼太
詩音と夢莉の幼馴染み。夢莉のクラスメイトでお隣さん。
■鷹取 謙佑
ホビーショップのアルバイトの大学生。彩乃の従兄。
■水野
夢莉の担任の体育教師。
◆1 白岡彩乃
彩乃の根拠なき自信の発端は、数日前の夕刻に遡る。
いつもと同じように学校から帰宅した彩乃は、両親の経営するホビーショップの店番を任されていた。
ホビーショップなどと洒落こんではいるが、傍から見ればおもちゃ屋の延長線のようなもので、さほど多くもない来客も、そのほぼすべてが近所の子供たちと学生たちだった。彩乃のような年頃の女の子にとっては、どちらかといえば縁遠い存在ではあった。
そんな環境で育った彩乃は、幼少期からずっと、ゲームだのプラモデルだのブロックだのラジコンだの…といったものに囲まれて育ってきた。
もしも彩乃が男の子だったなら、それはさぞかし天国な環境なのだろうと思うが、あいにく彩乃は女の子である。全然興味がないのかと問われれば、皆無とまでは断言できないが、とりたてて積極的な興味を持つこともなく、さほど心惹かれるものでもない。
それでも家業であるからには、切っても切れない何かの縁があるのだろう。人生何がどう転ぶかわからないものだ。
その日は特に何か新製品の予約や人気商品の入荷があるわけでもなく、店内はいつにも増して閑散としていた。
物静かな店内に流れるのは、既に何百回となく繰り返されたロボットアニメの主題歌コレクション。エンドレスに垂れ流されているおかげで、一度も番組を見たこともないのにカラオケで歌えるかもしれないレベルに、彩乃の頭にこびりついてしまっていた。
あまりの暇加減に、レジカウンターの踏み台を兼ねた折り畳み木製椅子から立ち上がり、ハイテンションな主題歌をノリノリで披露し始めた頃、突然、店の出入り口が開くチャイムが鳴る。
「うぇあ、あー、いらっしゃ…」
誰かに聞かれてしまったかもしれないという恥ずかしさも手伝って、恐る恐る彩乃が視線を出入り口に向けると、そこには予想外の人物が立っていた。
「さ、佐伯センセ?」
「白岡? 何、バイト?」
お互いの存在が違和感しかないというか、この状況がうまく呑み込めないというか、理解するのに少々時間がかかるのは致し方あるまい。
それにしても、よりにもよって担任教師の前でソロライブとは、何たる羞恥プレイなのだろう。
「中学生のバイトは禁止…」
第一声がそれなのか、と些か呆れ顔で彩乃は否定する。
「何か心配事とか、そう、お金が必要な事情なら、先生で良ければ相談に乗るから」
「いやいや、ここボ…私の家なんで」
担任教師として個人的な心配をしてもらえるのはありがたいが、早合点というか飛躍しすぎというか、もうちょっと冷静に物事を判断してほしいと、彩乃は思う。
「あー、佐伯センセはこの春からだから、たぶん初耳だったかも?ですよね。この店、地元のクソガキどもにはそれなりに人気なんですよ、それなりに」
佐伯先生はうちの中学に赴任してまだ一年目の新顔だ。もっとも他校ではそれなりに実績があるだろうから、新卒新任というわけではないが、当然いろいろと知らない地域や生徒の詳細も多いだろう。
「知らなかった。まさか受け持ちクラスの生徒の家だったとは…」
「もしお金に困ってたら、稼ぎのいい怪しいバイトを紹介したのに、とか?」
大人を揶揄うように、彩乃は少し舌を出す。
「あいにくその手の店は縁がないんだ。そもそもそんな怪しい店で、白岡みたいな女子中学生が働いていたら、それこそ大問題だろう…」
「あははは、まぁそれはそうかも。だけど、ボ…私もどっちかというと男子の人気はイマイチみたいなんで、男の人の需要はそれほどないかもですね…」
自虐的にそう言ってみたものの、多感な年頃の彩乃にとっては、相応に深刻な悩みでもあった。
男の子と仲が良いということと、男の子に好かれているというのは、似て非なるものである。
もし、彩乃が以前と同じままだったなら、さほど深く考えずにさらりと流していたそんな感覚も、最近はそれなりに気になるようになってきていた。
それが思春期ってものだ、と何となく漠然とそう感じてはいるものの、彩乃自身が何か特に変わったわけでもなく、周囲の環境にも取り立てて大きな変化があったわけでもない。
カラフルな普段着でランドセルを背負い街じゅう狭しと駆けずり回っていた子供が、洒落た制服と学生鞄の似合う朗らかな少女に変身を遂げたという、たったそれだけのことでしかないはずなのに、一巡りの四季が過ぎようとする頃には、クラスの皆が皆、まるで忘れていた何かを思い出したかのようにそわそわと、よくわからないものを語り、求め、経験していく。
表面上は我関せずを貫いていた彩乃だったが、正体不明の焦燥感は次第に周囲へと伝染し、身の周りの詩音や夢莉も徐々に何かを感じ取っているようだった。
たぶん焦っているわけじゃない、と彩乃は思う。それでも親友たちに置いていかれたくはない、とも感じている。かといって、何かに積極的に向き合おうという意欲と覚悟も足りていない。
それは、いまさら過ぎる後悔の念がもたらした彩乃の心の傷が、やっとかさぶたになってきたという証なのかもしれない。
「いや、白岡だって男子に人気あるだろ。活発で愛嬌あるし」
そんな言葉がすんなり出てくるなんて、意外と佐伯先生はしっかり各々の生徒を見ているのだと、彩乃は少し感心した。
「お世辞でも嬉しいですが、そういうの世間一般には、猪突猛進で大雑把っていうんですよ」
「あぁ、確かに…」
そこは否定しないのか、と心の中でツッコミつつ、それも佐伯先生らしいな、などと彩乃は思う。
「で、今日は何を?」
営業スマイルに戻った彩乃が、ようやく本来の業務に復帰する。
「頼んでいた本が届いたって連絡が…これが注文の控えで…」
「はい、少々お待ちくださいね」
佐伯先生に手渡された伝票を頼りに、レジカウンター後方の棚を物色する。商品の注文や予約が殺到するほど繁盛している店でもないし、すぐに探し出すことができるだろう。
「この前の店員さんは、白岡のお兄さん?」
「あぁ、謙ちゃ…鷹取さんは親戚の学生さんで、従兄?ってやつですね。もうじき来ますよ」
今回の佐伯先生の予約を受け付けたのは、この店のアルバイトの大学生、鷹取謙佑だった。親戚の彩乃がいうのもあれだが、わりと今風のさっぱりした、いわゆるイケメンというやつである。
「鷹取さんが、何か?」
「あぁ、なんか、イケメンな店員さんだな、と」
―もしかしたら、佐伯センセって―
ここ最近、学校内で広がりつつあるひとつの噂がある。
佐伯先生が自宅に不特定多数の若い男性を引っ張り込んでいるというもので、一説では女性に興味がない、いわゆるそっち系の人だという話なのだ。信憑性のある目撃証言も幾つかあり、完全な眉唾ともいえない状況だった。
別に中学校教師という立場なら、何かの質問や相談をしに訪れる生徒がいても不思議ではない。だが、肝心の中学生の姿はおろか、一人として女性が訪れる様子もないとなれば、要らぬ想像を生んでしまうのも無理はない。
もし仮にそれが事実なら、詩音の初恋は宣戦布告の前に敗戦確定の状況だし、今後の国語の授業は詩音には針の筵、精気のなくなった無残な屍を見続けなくてはいけない。隣の席の彩乃にとっても、全く関係のない話ではなかった。
―やっぱり初恋は実らないのかな―
妙な空気が流れる不思議な時間が過ぎ、やがて彩乃は目的のものを探し当てることができた。
「はい、これですね、間違いないですか? って、これ…」
レジカウンターの佐伯先生に向き直りつつ、紙袋から取り出した数冊の予約品をテーブルに並べ始めた彩乃は、途中で言葉に詰まってしまう。
小刻みに震えだした彩乃は全身が冷たくなって、まったく力が入らない。視界の端が薄暗く色褪せ、ぼんやりと涙で歪んでしまう。
彩乃は過去に一度、数か月前にその状況を体験していた。
そう、すべてが始まり、そしてすべてが始まる前に終わってしまったあの時に…。
「白岡?」
「なんで、この本…佐伯センセが、どうして」
―やっぱり初恋っていうのは―
それからの彩乃の記憶は相当あやふやだった。
佐伯先生に支えられ、レジカウンターの折り畳み木製椅子に腰を下ろし、ぽつりぽつりと幾つか昔のことも話したが、彩乃自身が伝えたいと思っていたより、さらに輪をかけて支離滅裂な内容だと感じた。
「もう大丈夫です、ありがとうございました。センセ…」
「ほんとに平気か? 無理はするなよ?」
彩乃はこくりと頷く。
「えーと、つまり、白岡の初恋の人が同じ本を予約したが、結局、本人に渡せなかった、と…」
「彩乃…でいいですよ、ガッコじゃないんだし…」
「え、いいのか? いくらなんでも、いきなりちょっと馴れ馴れしくないか?」
戸惑う佐伯先生の様子がちょっと可愛く思えて、彩乃は僅かに微笑んだ。
「まぁ、それもあって、なんかこれも不思議な縁っていうのかな。詩音たちと一緒にTRPGを始めて…」
「詩音…あ、西原か」
佐伯先生が受け持ち生徒のフルネームをしっかりと覚えていたのは、少し驚きだった。
「そう、その西原詩音と、あと隣のクラスの香坂夢莉。今のところはその三人だけですね」
「香坂って確か、新体操かなんかだろ、大丈夫なのか?」
「よく知ってますね…」
確かに夢莉は、学校内でも相当目立つ存在だった。
中二の女子にしてはそれなりに背も高いほうだし、男女問わずに分け隔てなく接する態度や、とりわけ一部の女子を熱狂させる独特な雰囲気の低い声。そしてさらに、体操部で惜し気もなく披露される、均整の取れたプロポーションのレオタード姿とくれば、男子の反応も悪いわけがない。
そう考えると、どうしてアンチ夢莉派の生徒が殆どいないのかも、何となく察することができた。
「あ、でも、新体操じゃなくて体操部、平均台とか平行棒とかですね。今はちょっと怪我があって療養中なんですよ」
「なるほどな…あぁ、それでなのか。研修室が騒がしいから早く何とかしてくれ!と、神楽の気が立って毎度苛々しているのは、そういった事情か。ようやくこっちにも話が見えてきたな」
神楽というのは樟葉先輩のことで、この辺りでは珍しく、古くから続く由緒正しき名家の家系らしい。樟葉先輩の立ち振る舞いを見ても、あぁそうかとすんなり納得できるのが何ともいえない。
たぶん樟葉先輩が図書委員だから、きっと国語の佐伯先生とも話す機会が多いのだろう。しかし、それほどまでに彩乃たちが煙たがられていたとは。
「でも、佐伯センセが実はTRPGに興味があったなんて、全然予想してなかったですよ」
彩乃がそう言うと、佐伯先生は小さく首を振って否定する。
『違う、TRPGじゃない、RPGだ!』
この言葉を予想していた彩乃は、相手の言葉に合わせるように同じセリフを重ねた。
「なんだ、彩乃、知ってるのか…」
何処となくがっかりした様子の佐伯先生に向けて、彩乃は小さく胸を張る。
彩乃は過去に二度、二人の人物からこの言葉を聞いていた。一人はアルバイトの謙佑、そしてもう一人は、あの…。
「まぁそのうち、彩乃たちと一緒に何かできるといいかもな」
なんということだろう。これはまさに千載一遇、願ってもないチャンスの到来だ。彩乃自身はもちろん、きっと詩音が聞いたら小躍りして浮かれ騒ぐのが目に浮かぶ。
「それなら、ぜひ…」
と彩乃が言いかけた瞬間、店の出入り口が開くチャイムが鳴った。
「あ、お帰りなさい、謙ちゃん!」
◇2 帰り道に続く
●ご注意
この連作小説は、2023/4/1より当サイトで公開中の「あの世とこの世の冒険譚」本編を各章ごとに分割したものです。
2023/4/8より毎朝10:00に各章を順次公開しますが、分割にあたって変更した部分はありません。
既存部分の掲載に引き続き、新作部分を連作小説形式で公開していきます。新作部分のスケジュールは現在検討中です。
作中の登場人物のイメージ画像を「COM3D2」というアレ系のゲームで撮影しました。
画像そのものは健全なので問題ないのですが、今後のことも考えて、イラストを描いてくださる絵師さんを募集しています。ぜひよろしくお願いします。
ここまでのお付き合いありがとうございます。この作品の印象が、少しでも皆様の心に残ってくれたら嬉しいです。
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