第99話 前田祥子
前田祥子には、大手家電メーカーに勤める父と専業主婦の母、そして3歳年上の姉の3人の家族がいた。
子供達が成人してからも、休日は家族連れで買い物や旅行に行くぐらいに仲がよく、近所でも評判の家族だった。
「お姉ちゃんにお見合い!?」
祥子が30歳を目前にした頃、姉は職場の上司の勧めで見合いをした。姉はややおとなし目の綺麗な人だったので、近所でも「ウチの息子の嫁に!」などと言うことも多々あったが、やんわりとお断りしていたようだった。
見合いの相手は警察官だった。
「不器用な程真っ直ぐで誠実そうだった」
一年間のお付き合いの後、結婚式を挙げた。
隣の市にある警察官舎に暮らし、2年程共働き生活をしていたが、子供を授かった事をきっかけに、姉は専業主婦となった。
姉のお腹が目立つ様になった頃、異変が起こった。
「ほんと、些細な事だったのよ」
久しぶりに実家に立ち寄った姉のこめかみ辺りに青ずみが出来ていたのが気になって聞いてみた。すると、夫に殴られたものだと言う。原因は、まだ悪阻が酷く横になって居た時に夫が帰宅し、玄関に出迎えられなかった事だと言う。
「うわぁ、亭主関白?」
「普段はそんな事ないんだけど…もしかしたら、お仕事で何かあったのかも?」
その時は、「ストレスが溜まりそうな仕事だものね」とやり過ごした。
祥子は後に、この時の事を後悔した。少し大げさにしてでも、姉をあの男から遠ざけるべきだったと。
数カ月後、隣の市にある総合病院から姉が入院したと連絡を受けた母が「もしかして早産?」と、色々準備して駆けつけると、そこには全身アザだらけのお腹の大きな姉の姿が。
「どういう事なの?」
「どうやら、ご主人から暴行を受けていたようで…」
夫から酷い暴行を受け、部屋から通路に転がり出て尚、殴る蹴るの暴行を受けていた所を同じ官舎の住人に助けられたらしい。
起こった場所が警察官舎なら、現場の目撃者も警察官、病院に搬送してくれたのも警察官という事で、夫は現行犯逮捕された。
その後、離婚は成立したが、夫への刑罰は意外に軽く、裁判で実刑3年の判決が下った。
家族全員で面倒を見るつもりで「自分と子供の事だけ考えなさい」と、出産後に姉を実家に住まわせた。
子供は、やや小さめの女の子で「紬」と名付けられた。
紬がおしゃべりをするようになった頃、姉も少し笑える位には回復していた。
「紬が来年保育園に入ったら、少し働こうかな?」
と、姉が前向きな発言をするようになった矢先、あの男が現れた。
「子供を渡せ!」
と叫び声がした。玄関を開けずに姉が対応していた。母は警察に電話をかけ、状況を説明した。
「刃物を持った男がやってきて…」
玄関先で運悪く帰宅したらしい父の声がした。言い争う声がやんだとき、父の死を覚悟した。姉は耐えきれずにドアを開けて外に出たようである。
「祥子、紬ちゃんを連れて逃げて!」
母の言葉に紬を抱え、庭側から家を抜け出した。姉に向かって包丁を振り下ろす男を横目に見ながら、一目散に走った。途中で男に追いつかれ、背中にナイフを突き立てられた。それでも男を蹴り倒し、背中にナイフを刺したまま走り続け派出所を目指した。
派出所まであと20メートルという所で、自転車にぶつかった。
「危ねーよ!うわっ!なんだ血だらけじゃん?」
「ごめんなさい」という言葉を思い浮かべる余裕もなかった。後ろで「おい、足止めするぞ!」と声が聞こえた。もしかして、誰か助けてくれようとしている?祥子は力を振り絞り派出所に駆け込んで、紬を警察官に手渡した。
「こ、この子を護って…」
祥子の記憶は、そこで途切れた。




