第5話 あの腰抜けが!
「ゼノンの様子は、どうだい?」
「今日は城に帰りたくないな…」と云うゼノンをオクタヴィア公爵家に連れ帰ったベアトリーチェだったが、用意された部屋に入ったまま篭もりっきりの実兄の姿に辟易する。
「どうもこうも、ありませんわ。あの腰抜けが!」
養父母であるオクタヴィア大公と大公妃ソフィアは、苦笑いした。
「きっと今頃、泣いていますわよ」
「ゼノンはディアナの事になると、途端に腑抜けるからなぁ」
「でも、婚約破棄が決定したワケでは無いのでしょう?」
「陛下次第だろうな」
「私は、ディアナが何か仕掛けると思ってる。というか、この騒ぎ自体が、仕掛けの一部なんじゃないかと…」
ベアトリーチェの言葉に、夫妻はハッとした。
「自由を手に入れた上で、お兄様の廃嫡を阻止する。おそらく『婚約破棄』は、ただの脅しですわ」
ベアトリーチェの地下牢幽閉の沙汰が降りた事を聞いたオクタヴィア大公は妻ソフィアと共に国王陛下に謁見した。
「私達を庇っての事ゆえ、何卒寛大なご処置を!」
「ならん!いくら故意にやった事でないとは言え、二人もの人間を死に至らしめたのだぞ?今、きちんと裁かなければ、周りに示しがつかんのだ」
「ならば地下牢ではなく、せめて離宮に!どうか、どうか…」
大公夫妻の何度も頭を地に付けた願いも、一蹴されてしまった。あのカビの生えた薄汚い地下牢で、5歳の幼児が半年間も一人ぼっちで生きていくなど、想像するだけで恐ろしかった。
唯一の温情なのか「面会だけは無制限に受け入れる」と云う注釈がつけられた。
そして、面会が許可された初日の朝、大公夫妻は記帳所で一人の幼女と出会う。
「オクタヴィア大公様、大公妃様、お初にお目にかかりましゅ。グラディウス侯爵家が長女、ディアナ・グラディウスでしゅ」
舌足らずだがハッキリとした言葉と、ピョコンと跳ね気味の礼をとった姿は、とても愛らしかった。
「ベアトリーチェに会いに来たのね?」
「はい。ご一緒させていただいても、よろしいでしゅか?」
「勿論だ。下り階段は危ないから、私が抱いて行こう」
大公に抱っこされたディアナと大公、大公妃、侍女達と護衛が順に階段を降りた。牢の入口に辿り着いたところで、侍女達を待機させた。ディアナは大公の抱っこから解放され、自分の足で歩き始める。床は汚れていて、何かを引きずったような跡があり、酷い匂いが鼻をつく。どうやら今は、ベアトリーチェ以外の収監者はいないようである。あくまでも、城内の地下牢には…と云う事なだけなのだが。
その中を迷う事なく歩き、ベアトリーチェの元に辿り着いたディアナは、手足や服が汚れるのも構わず膝をつき手を差し出した。
「ベア、ベアトリーチェ!」
壁に背中をもたれかけ、力無く項垂れていたベアトリーチェは、ハッ!として顔をあげた。
「ディアナ!来てくれたの?」
鉄格子ごしに手を繋ぐ二人。
「ベアトリーチェ、すまない私達のことで…」
「叔父様、叔母様…私なら、大丈夫です」
「大丈夫なハズないじゃない!こんなトコロで…」
「それなら、問題ないでしゅ!」
立ち上がったディアナが鉄格子から少し離れ、手の平を胸の前で合わせた。柔らかな光が発生し、周囲の全てを包み込んだ。その光は、ベアトリーチェがいる部屋だけではなく、地下牢そのものを綺麗に浄化した。あの酷い匂いも全くしなくなった。そして、膝を付いた大公夫妻の服の汚れ、入浴出来なくてベタついたベアトリーチェの肌や髪にまで効果は及んだ。
「ディアナ、君はいったい!?」