第四話 やる気はない
仕事が終わり、待ち合わせをしている裏門にて。
白いシャツに黒のスキニーパンツ、こげ茶のローファー姿のステラは、オリンピアに叱られていた。
「ステラ……あんた、やる気あるの?」
ない。
とは、言いづらい雰囲気だ。
むすっとしたオリンピアは胸元が強調されたぴちっとしたトップスと短いスカートを身に着け、華奢で細いヒールを履いている。曰く、戦闘服というらしい。
「これはないわー……うん、ちょっと来て」
「え」
「時間ないんだから、ほら早く」
「は、はい」
ステラは呆れ顔のオリンピアに館内に引っ張られて、従業員専用トイレで顔やら髪やらをいじくりまわされ、慌ただしく会場に向かった。
オリンピアに連れてこられた会場は、ステラが想像しているものよりも規模の大きいものだった。ホーム・パーティーの規模ではない。
せいぜい男女五~六人ずつくらいの食事会だと思っていたステラは裏切られた気分になった。こんなの聞いてない。
しかも女性は皆、オリンピア同様の戦闘服。
場違いなところに来てしまったという感じがする。いや、『感じがする』ではなく、事実としてステラは場違いだった。
オリンピアは会の最初の十分間だけは一緒にいてくれたが、毎週末このような場に参戦するバイタリティがある恋の狩人(自称)なので、ステラに「頑張れ!」とだけ言い残し、一狩り……もとい、タイプの男性の元へ行ってしまった。
ステラは、手に持っているウェルカムドリンクのグラスの中の水面をぼうっと見ながら、あと一時間したら帰ろうと思いながらこっそり息を吐いた。
オリンピアに悪気はない。
きっと純然たる善意だ。
人間は自分がされて嬉しいことは他人も嬉しいと思う節がある。だから、オリンピアも『いいことをした』と思っている。
しかし、他人はしょせん他人だ。自分が嬉しくて楽しいことも、他人がそうだとは限らない。
「あの、スタッフさんじゃない、ですよね?」
俯いていたステラは、顔を覗き込まれてびっくりして後ろの壁にゴンッと頭をぶつけた。
「大丈夫ですか?」
「だ、いじょうぶです。すみません、ぼうっとしてて」
「いや。俺も急に話しかけてすみません」
いえ、と言いかけてステラは「あっ!」と、声を上げた。
整った顔の長身の男──茶色の髪と、青の瞳の彼にステラは見覚えがあった。
「あの、もしかして、アルゼール君ですか?」
「……そうですけど」
どうりで見たことがあるはずだ、目の前にいる見た目の良い男はオルトン学園の同年卒だ。
それも、薬学部始まって以来の天才と呼ばれた男、ハロルド・アルゼールだった。
確か、学園在学時の二年の春だっただろうか。彼が書いた『効薬の可能性について』の論文を読んだ記憶がある。
「あっ、君も、オルトン卒?」
アルゼールの質問に、ステラは大きく頷いた。
「はい。第二四五期生です。総合語学部でした」
「俺もだ。第二四五期生なんだ、総合薬学部で……」
「知ってます。アルゼール君、とても有名だったし。私、あなたの論文の『効薬の可能性について』読みました。畑違いでしたが興味深い見解でした。昨年、新薬を出したという記事も読みましたけど、同窓として鼻が高いです」
「ははっ、ありがとう。えっと……名前、聞いてもいいかな?」
「リインです。ステラ・リイン」
媚を含まないさっぱりとした物言いのステラに安心したのか、アルゼールは安堵したように笑って、ステラにある提案をしてきた。
「えっと、リイン。申し訳ないんだけど、一時間だけ俺と話をしてほしいんだ」
「はい?」
「実は──」
アルゼールは妻子持ちなのに、先輩に出会いの場に引っ張り出されてしまい、すぐ帰っても角が立つので一時間はいようと思ったそうだ。
しかし、このアルゼールときたら顔が良い。とても良い。ついでに善良そうで、性格も悪くなさそうに見える。実際そうなのだろうと、彼と話してステラは思った。
要は、恋の狩人達の餌食になりそうな見た目ということだ。
積極的過ぎる女性にアプローチよろしくとくっ付かれ、愛妻に浮気を疑われてしまっては堪らないと思っているところで、壁側でひっそりとグラスを見つめているステラに自分と同じ匂いを感じて声をかけた、というわけである。
ステラはもちろん、この提案を快く承諾した。
そして帰る時は二人一緒に出ることにした。
当たり前だが店の前で解散する予定である。
「え! 奥様もオルトン卒なんですか?」
「うん。同級生なんだけど卒業してすぐに結婚したんだ」
羨ましい。
心の底からそう思った。
同級生で、結婚するなんて。
ステラが夢見ていたことを叶えた人と話をしていることが、とても不思議な気分だった。
もしも、あの事故がなかったら、ステラにもそんな未来が……と、そこまで考えて小さく頭を振った。『もしも』なんてありはしない。
あるのは、いつだって『現在』だけだ。
「にっ、二四五期生は、特に華やかでしたよねっ!」
ステラは、ふいに彼のことを聞きたくなった。
「え?」
「ほ、ほら、アルゼール君もだけど、その、ヒュー……キ、キングストン君、とか……」
「ああ、ヒューゴか」
どきどきし過ぎて挙動がおかしくなったステラを、アルゼールは訝ることはなかった。
良い人だ。
「ヒューゴとはたまに会うよ。でも、俺のとこの長男とヒューゴの甥っ子が仲が良くて、ヒューゴよりもあいつの甥っ子と顔合わせる機会の方が多いかな」
「……そ、うなんです、ね」
もっと詳しく聞きたい気持ちと、そうでない気持ちが混ざり合ってお酒も飲んでいないのに顔が熱くなってステラが困っていると、「ハロルドさぁ~ん」と、酔っぱらった派手な女性が断りもなく突然合流してきた。
「げえっ!」
「え」
アルゼールは、合流してきた女性を見るなり「お、俺、あの女苦手。無理!」と言ってステラを残して出口へすたこら消えてしまった。
「アルゼール君!?」
この時のステラの気持ちを考えてほしい──『良い人』は撤回した。
そして。
アルゼールが慌てて逃げる理由をステラは身をもって知ることになった。
「あーあ、あんた逃げられちゃったね。可哀想ぉ。ね、あんた名前なんて言うの? ……ふーん、いいよ。じゃあ名無しちゃんって呼ぶからぁ。ねえっ! ならさ、年齢だけ教えてよ。……ええっ? 二十七歳!? うっそ、ウケる。バ……いや、見えない見えない。大丈夫大丈夫。もっと若く見えるよ。あはは、自信持って! あー、でも、やっぱりその年だと焦っちゃう感じ? あはっ、いいっていいって。何強がってんの? そういうの可愛くないし。それよりさあ、さっき名無しちゃんと一緒だったハロルドさんとはどういう関係? あの人さ~、奥さんいるから狙ってんならやめた方がいいよ。ハロルドさんって優しいから勘違いする人多いんだけど、それ勘違いしないでね! あはは、私、こう見えて面倒見良いタイプでぇ、名無しちゃんみたいな勘違いしちゃう人のことほっとけないんだよね! だからぁお礼とか全然いいよ~」
「……」
どこからツッコミをいれていいのやら。
全てなのだが、口を挟む隙を許してくれないし、否定しても遠慮しても、「気にしないで」と言ってくる。なにこれ怖い。
酔っ払いだからこうなのか、もしかしたら普段からもこのような感じなのか、だからアルゼールは顔を真っ青にして逃げたのか……。
さて、どうやって逃げようと思っていると周囲の人達がそれとなく助けてくれた。
どうやら普段はこんな失礼は言わないらしいのだが、アルコール量を一定値超えるとああなるそうだ。
ステラはそれを聞いて安心した。普段からあんな感じだったら、どこかでばったり会った時が怖いけれど、酒癖が少々悪いだけならば、酔っぱらってるから仕方ないと思う……ようにしよう。
努力は大事だ。
そんなこんなでステラは、自分を助けてくれたグループの人達と恋愛うんぬんは抜きに異業種交流をすることになった。
狩人も多くいる会場だが、単に本当に異業種交流が目的の人もいることを知って、ステラはほっとした。
「ステラさん、ツイてることもあるよ」
酔っ払いに絡まれ疲弊していたステラに、グループの中の一人が言うと、周りも「そうそう」と頷いた。
「今日、あの人が来るんだよ。なかなかこういう所に来ない人だからステラさんラッキーだよ」
あの人って、言われたってステラには関係のない人間だ。
ステラは「そうなんですねえ」と、へらりと笑ってから花を摘みに行くと断りを入れて席を立った。