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星を掴んで惑わない  作者: ゼン
【本編】星を掴んで惑わない
3/9

第三話 一年後

 八年間、片手間だが翻訳の仕事をしてきた実績も評価されたステラの就職先はびっくりするくらいあっさりと決まった。

 オルトン学園卒業の肩書が、ステラを助けたとも言える。


 有難いことに、文化遺産でもある帝国立大図書館で働かないかと声をかけてもらったのだ。もちろん、ステラは二つ返事で頷いた。

 所蔵数二千万を軽く超える図書館の募集枠で働くことができる条件は『古語に明るいこと』で、翻訳の実績経験があり、古語が得意なステラは大歓迎だと両手を広げて出迎えられることになった。

 地元(いなか)では需要がなかったステラだが、帝都(とかい)では、とても貴重な存在らしい。


 簡単な本の修復作業方法、来館者の案内手順、担当する古典文学の棚から棚への巡回順路……覚えることがあり過ぎるし、広い図書館の為に予想以上に足腰の強さが求められる仕事だったが、思いのほか楽しかった。

 仕事仲間はなにも分からないステラに丁寧で優しかったし、なによりも皆、無類の本好きや言語愛好家(マニア)ばかりで共感する部分が多かった。




「ステラ、今日オリンピアと三人で飲みに行かない?」


 帝国立大図書館の古典文学Ⅳの担当になって一年。

 ようやく仕事が様になってきた頃、ステラには仲の良い友人ができていた。それは今、ステラを誘ったヘレンとここにはいないオリンピアだ。


 ヘレンはステラよりも四つも年下なのだが、ステラが後輩なことと、入った時にヘレンよりも年下と認識された為に可愛がってもらっていた……と言うのは少し違うが、気にかけてもらっていた。

 オリンピアもヘレンと同期だったからか、ステラに対する態度はヘレンと同じで気安い。

 ステラの年齢を二人が知った時、なんとも言えない空気になったがそれもほんの少しの時間で、今では笑い話だ。


 ステラは二人に自分のことをところどころかいつまんで話をしたのだが、ステラに楽しい思い出がないと知った二人は、こうしてステラを飲みに誘ってくれるようになった。


マイク(彼氏)とこの前デートで行った異国の蒸し料理のお店なんだけどね? 土鍋の意匠が一つ一つ違ってて面白くって! あっ、もちろんお料理も美味しいの! 白身魚なんかほろほろで甘くって、とにかくお酒が進むの! ねえ、行きたいでしょ?」


「ふふ。うん、行きたい」

 目をきらきらさせて店のプレゼンをする年下の友人に、ステラは笑って頷いた。


「十八時半に裏門の前で待ち合わせねー。じゃあ、あたしはこれからオリンピアに言いに行ってくるから!」


 ご機嫌で去っていく楽し気な背中を見て、ステラはまたくすりと笑った。


 素敵な職場と気の置けない友人、自分の為に使えるお金、自由な時間を得たステラは日々充実している──




 ◇




「──充実してるって言うには何かが足りないんじゃない?」


 青と橙の小花が描かれた茶色の土鍋の蓋を開けながらオリンピアが言うと、ヘレンが「わあっ」と小さくはしゃいだ声を出した後に、「確かに」と神妙そうに見える顔を作ってオリンピアに同調した。


「『足りない』って?」


 むわむわ白い湯気の向こうの二人に首を傾げると、やれやれと言った風なポーズを取られてしまった。


「足りないでしょう」

「そうだね、足りないよね」


「うん?」

 本気で分からずにいると、はい、と取り皿を渡された。


 土鍋の中の豚肉と白菜の重ね蒸しを各々取って、ステラがそれにソースをかけたところでオリンピアが「恋よ」と呟いた。


 恋。


 清純な憧憬、痛烈な衝動、色彩的な追慕、切ない絶佳。崇拝に似た狂おしい短絡的思想。

 そして、患うもの──と、考えたところで、ステラはぱくりとフォークを口に入れた。


 酸味があるソースが豚肉と白菜の甘さを引き立ていくらでも食べられそうな美味しさに感動する。

 ステラはお酒はあまり嗜まないが、これはお酒の肴にもってこいな一品なのだろうということは分かる。


「ちょっとちょっと、ステラ。聞いてるの?」

「聞いてるよ。ね、オリンピアも食べてみて」


 もう、と言いながらも料理を口にしたオリンピアはすぐに笑顔になった。ヘレンは一皿目を食べ終わっているところだった。

 少食のステラと違って、二人はよく食べる。四つステラよりも若いことも手伝ってか、二人はいつもステラの倍は平らげる。

 ステラがやっと一皿を食べる頃には土鍋の中は空になり、新しい土鍋が来た。


 今度の土鍋は細かい蔦の模様がびっしりと描かれているもので、本当に同じものはないのだなあと感心する。

 色の種類が豊富な異国の器は面白い。

 蔦の周りの鳥は何という名の鳥だろう。そして使われている色は以前読んだ文献にあった『朱色』という色なのだろうか。帝国では見慣れない色だ。

 どういった意味合いで描かれたのか気になってしまうのはもはや職業病だ。見ているだけで想像が膨らむ。


「ステラはさ~、彼氏が欲しいとか~、思わないの~?」

「あはは……どうかなあ」


 赤ら顔のヘレンに問われ、異国に想いを馳せていたステラは曖昧に笑った。


「紹介するけど、どう?」

 そう言って、手酌でワインをどぼどぼ注ぐオリンピアの顔色は全くと言っていいほど変わっていない。


「帝都に戻ってきて一年でしょう? そろそろ生活にも慣れたんだから、考えてみてもいいんじゃないの」

「……そうだよね。考えてみるよ」

「あら、珍しい。じゃあさ、ステラも来週のホーム・パーティーに行こうよ。女の子は会費ゼロなの」

「私、もう『女の子』って年じゃな、」

「決ーまり!」


 断るのも悪いかと思い、当たり障りない返事をしたのが悪かったのだろうか。

 すっかりやる気になったオリンピアに来週、彼女の知人が主催する異業種交流会(ホーム・パーティー)に参加することになってしまった。


「絶対参加してね!」

「え」

「ね?」

「…………うん」


 嫌とは言えないステラは、頷いた。

 頷いてしまった……いや、正しくは頷かされた、だろうか。しかし、頷いた事実を覆すことは難しそうだ。


 ちょっと(?)圧が強いオリンピアに、ステラは観念した。


 学生時代から恋人と長く付き合っているヘレンと、恋の狩人(自称)のオリンピアに、ステラは彼──ヒューゴのことは話していない。


 二人はとても良い友人だけれど、そうであるから「もう諦めろ」と言われる気がして、言えないのだ。

 九年も前に好きだった男の子のことが大人になった今でも忘れられないなんて……。



 誰にだって初恋がある。

 青く未熟だった時代にしか感じられない鮮やかだったり苦かったりする記憶がある。

 人によっては封印したいものもあるかも知れない。

 でも、ステラには美しく、かけがえのないもので……だけど、それは美化されたものであって、大人になった少年少女達はどんな記憶でもそれを過去のものにして、身の丈に合った『現在(いま)』の恋愛をしている。


 その中でステラだけがいつまでも大人になりきれていない。


 分かっている。現実を見なきゃいけないことなんて。

 いつまでも思い出の中の彼を想うなんて不毛なことは()めるべきだと、分かっているのだ、頭では。


 だけど、気持ちが追いついてくれない。


「ステラの恋が見つかりますように、乾杯!」

「見つかりましゅように~、かんぴゃ()~~い!」


「乾杯。ありがとう、二人共」

 ステラはレモン水が入ったグラスを、二人のグラスに合わせた。



 場を設けてくれるオリンピアには申し訳ないが、ステラはきっと見つけられないだろう。




『ステラ』


 だって、ステラの心の中にはまだ麦穂の妖精がいる。




 ◇◇◇




『ステラ、何読んでるの?』


 声をかけられたステラは読んでいたページを彼に見せた。


『セヴェール古語で書かれた御伽噺(おとぎばなし)

『どんな話?』

『一月の精霊と、六月の精霊の話。見て。この挿絵が綺麗でね、定期的に読みたくなるの』

『……へえ、綺麗だね』

『でしょう?』

『うん』

『ヒューゴ君も読む?』

『読みたい。一緒に読んでもいい?』

『うんっ』


 金髪の髪が光に反射して、眩しい。


 最近、彼はまた背が伸びた。

 ステラが踏み台を使わないと届かない棚の本を、楽々……とまではいかないが取ってもらった時、ステラは男女の違いをありありと感じた。


『ステラ、次のページ開いて』

『あ、はい』


 そういえば手の大きさも全然違う。


 ステラは自分の丸くて柔っこい手と彼の長くて細い手を見比べて、息を詰めた。

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