男嫌いのパートナー
視界が真っ赤に染まっている。
右も、左も、前も後ろも全部が赤に囲まれている。
パチパチッと乾いた音が耳を撫ぜた。
煌々と炎があちこちから立ち昇っている。
この世の終わりのような光景だった。
何もかもが燃えている。
自分達の暮らしていた家が、街が。
そんな現実味のない光景に呆然としていると、積み木でも崩すかのような気安さで燃える家々を踏み砕き、のっそりと巨大な影が姿を現す。
「あ、あ、」
声の体を成さない掠れた音が喉の奥から溢れる。
ふらりと身体が後ろへ傾くが、足が言うことを聞かずに尻餅をついてしまう。
俺はその巨躯を見上げた。
シルエットは蜘蛛に近いだろうか。
丸い胴体から長い四本の脚を生やし、その先は鋭利に尖っている。胴体の真ん中には赤く光っているカメラらしき物が埋め込まれており、屋根よりも高い場所から自分を見下ろしている。
それは機械兵と呼ばれる、隣国の兵器だった。
硬い装甲に覆われた身体には、自分の如何なる攻撃も意味を為さないだろう。
「は、ははッ」
思わず笑みが溢れる。
頭の中がぐちゃぐちゃでまとまらない。
冷静な自分は逃げなければと考えている気がするが、より冷静な自分がそんな事をしても意味がないと諦める。
何故ならこの場にいる機械兵はこいつだけではない。
見える範囲でも4、5体はいる。
他にもまだまだいるはずだ。
逃げ切れるとはとても思えない。
「おい、あそこにまだ子供がいるぞ!!」
ハッとして、俺は声が聞こえてきた方向を向く。
そこには戦神の剣を模したレリーフを刻む、装甲車がこちらに走ってくる姿があった。
軍が民間人の救助に来たのだろう。
目の前の機械兵はその巨大さ故に逃げる車に追いつけるほど俊敏では無いはず。
つまり、あの車に乗る事ができれば逃げられる……?
ああ、でも──
不意に大きな影がさす。
目の前で長い前脚を振り上げる機械兵が視界に入り、俺の心は諦観に包まれた。
数秒後には俺の身体があの脚に貫かれる。車は間に合わない。
もう少し早く来てくれればと思わなくもないが、そんな事を言っても仕方ないだろう。
名前の知らない両親はすでに死んだ。一緒に遊んだ覚えのない友人達もみんな死んだ。後残っているのは、俺と、後、幼馴染みの────
誰だ?
「タクトッッ!!!」
ドンッと横から強い衝撃を受け、無抵抗だった俺の身体がゴロゴロと転がる。
転がった先には瓦礫が散らばっており、運悪く頭をぶつけて血が垂れた。意識が朦朧とする。
今の衝撃は一体……。
いや、そもそも俺は誰かと一緒に────。
半分塞がれた視界で最後に見たのは、俺を突き飛ばした誰かが機械兵に貫かれる姿だった。
「──────ッッ!!」
腕を伸ばそうとする思いとは反対に、俺の視界は上下から黒に塗りたくられていく。
深い闇の中へと、沈み、埋まり、落ちていきやがて────。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「ッッッ!!?」
跳ね起きるように目を覚ますとそこはベッドの上だった。
ズキズキと頭が痛み、思わず頭を押さえる。
余程うなされていたのか背中がぐっしょりと湿っていた。
俺は大きく息を吐き、荒い息を落ち着けながら現状を整理する。
そうだ、【召喚の儀】で俺は掟を破ったんだった。という事は【召喚の儀】は……
「もう、寝てると思ったら急にアタシの名前を何度も呼ぶし、そんなにアタシのことが恋しかったわけ?それに起きたら起きたで挙動不審だし、はあ、こんなのがアタシの指揮官だなんてこの世の終わりだわ」
とても周囲の様子を気に出来る状態じゃなかったから気づかなかったが、ベッドの脇に金髪の美少女が腰掛けていた。
あまりの可愛さに見惚れていると、勝気さを思わせるつり目がちな目を細め、なによ、と問われる。
俺はハッとして一つ咳払いし、口を開く。
「えっと……誰?」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「ほんっと信じらんない!神徒のアタシに向かって言うに事欠いて誰?ですって〜〜!!?誰があんたの看病してあげたと思ってんのよ!これだから男なんて嫌いなのよ!」
どうやら俺は教会で気絶した後、保健室へ運び込まれたらしい。
現在、俺と神徒は保健室の先生にもう大丈夫そうだと言われたため、教室へと続く廊下を歩いていた。
教会で受けた傷についてだが、結構な重症であったにも関わらず俺が今こうして元気に歩けてるのには理由がある。
俺たち指揮官は、神徒の召喚に成功すると戦神から特別な異能が与えられるんだが、その中には治癒系の異能も存在し、俺はその恩恵に預かったのだ。
「悪かったって……。まさか神徒の召喚に成功してるなんて思わなかったんだよ。掟を破っちゃったし」
俺は謝罪の言葉を口にしながら、肩を怒らせて目の前を歩く神徒に触れようとすると、触らないで、と手を叩かれた。
こ、こいつ……。
「はあ」
俺はため息をつきながら神徒の背中を追いかける。
そういえばこいつの名前なんて言うんだろう?
あとで聞いてみるか。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
教室に着き、後ろのドアからそっと中を窺う。
廊下の窓からは西陽が差しており、結構長い時間眠っていたようだが、ギリギリまだ授業中のはずだ。
教室の中へ一歩踏み入ると、何やら前の方で歓声が上がっていた。
誰にも気付かれなかったので、そそくさと座席まで移動し、前の席に座る友人の神崎スグルに何があったのかと問いかける。
「おお!タクト、元気になったのか!ん?今?ああ、今は指揮官と神徒の異能を判定してるんだよ」
ほらっと言って前を指差すと、1組の生徒と神徒がクルミ先生の持つ怪しげな水晶玉に手を当てていた。
あの水晶玉に指揮官や神徒が手を当てると、【召喚の儀】によって取得している異能が浮かび上がるらしい。
判定が終了したのか、水晶玉に触れていた生徒らが手を離すと表面が紙のようにぺりぺりと一枚剥がれ落ちる。
そこには対象者が保持する異能名が刻まれているようで、生徒たちはそれを見て一喜一憂していたようだ。
少しの間他の生徒が判定を受ける様子を眺めていると、不意にクルミ先生と目があった。
そのくりっとした可愛らしい目が喜色に彩られる。
「あ、タクトくん!もう良くなったのね!タクトくんのは明日にしようかと思っていたんだけど、今からやろっか!」
「は、はい」
その笑みの破壊力は凄まじく、生徒達に人気が出るのも納得だ。
「ふんっ」
「………なんだよ?」
「別に?やっぱ男なんてサイテーって思っただけ」
保健室の時から思ってる事だが、こいつの男嫌いは何なんだ。
俺が何かした覚えはないし生来のものか?神徒に生来だなんてものがあるのかよくわからんが。
「……お前はもうちょっと仲良くしようとは思わないのか?せっかくパートナーになったのに」
今日一日で随分とため息を吐いている気がする。
一週間分ぐらいの幸せが逃げたんじゃないだろうか。
「ハァ?何でアタシがあんたと仲良くしなきゃいけないのよ」
「いや、しかしだな。これから俺とお前は一緒に──」
「一人で充分よ。指揮官なんて……男なんて必要ない。アタシは一人で闘える」
「お前なぁ……」
「??何してるのタクトくん。早くこっちにきて欲しいんだけど」
「あ、はい!すぐ行きます!ほら、お前も自分の異能を知って損はないだろ?」
「………仕方ないわね」
「そういえば今まで聞き損ねてたけど、名前を教えてくれ。ずっとお前だと呼びにくい」
「…………」
「?……聞こえなかったか?」
「……サヤカよ。ただのサヤカ」
「そっか、俺は藍羽タクト。これから宜しくなサヤカ」
「ふんっ」
差し出した手は当然の如くスルーされ、サヤカは俺の隣を通り抜けて水晶玉の傍まで行くと、早く来いと言わんばかりの視線を送ってきた。
思わず出そうになった溜息を飲み込み、俺は早足で水晶玉へと歩み寄った。
「じゃあ、二人とも水晶玉に手を当ててね。すぐ終わるから」
みんなの様子を見る限り数十秒で検査は終わるみたいだ。
俺とサヤカも例に漏れずすぐに検査は完了し、水晶玉がぶるりと震えた。
水晶玉から手を離すと、ペラリと表面が剥がれ、それを手に取る。
「どれどれ……」
真ん中に大きく俺の異能名が書いてある。
そこには、【親愛強化】と刻まれていた。
俺の頭を疑問符が駆け巡る。
指揮官が獲得する異能として、メジャーなものだと神徒の力を強化する【身体強化】、魔法と呼ばれる世の理を超越した事が可能になる【〇〇魔法付与】等がある。〇〇の部分には「火炎」や「雷電」と言った属性であったり、先ほど紹介した「治癒」が入る。
【親愛強化】なんて聞いた事がない。
親愛?これは神徒との仲の良さとかが関係しているのか?だとすれば現状最悪としか言えないんだが。
この判定でわかるのは異能名だけで、詳細な説明などは載っていないため名前から推測するしかないのが辛いところだ。
俺が思考の海に沈みそうになっていると、視界の端にサヤカが肩越しに俺の結果を覗こうとしているのが見えた。
俺は見やすいように姿勢を変え、サヤカの前に結果を差し出す。
それに対しサヤカは一瞬目を丸くすると、ふんっと鼻を鳴らし俺から結果を奪い取る。
「【親愛強化】?何よこれ」
「さあ?見たことない名前だから詳細な事はわからないが、名前から察するに俺とお前の親愛度に何か関係がありそうだな。どうだ?少しは仲良くする気になったか?」
「だから何度も言ってるでしょ、男に頼るなんてありえないわ。こうして一緒にいるだけでも吐き気がするもの。まあ、アンタがどんな異能なのかもわからない役立たずってことは分かったわ。じゃあアタシの異能もどんなのか分かんないのかしら?」
そう言い、サヤカは自身の持っていた結果を渡してくる。
それに対し俺は目を大きく見開いた。
「は、何でお前が結果を持ってるんだ!?」
「ハァ?何でって言われてもあの水晶玉が捲れたんだから仕方ないでしょ!何、持ってたら悪いの!?」
異能を持つのは指揮官のみであるというのは、当たり前すぎて授業ですら扱わない程の常識だ。
今までそんな神徒がいたなんて記録はもちろんない。
俺が掟を破ったのに召喚されてきた事と言い、本来持つはずのない異能を持っている事と言い、このサヤカという神徒はどこかイレギュラーな存在なのかもしれない。
俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
「一回見せてみろ」
サヤカから結果の水晶片を受け取り、目を滑らせる。
そこには【共鳴強化】と刻まれていた。
「これも知らない異能だな……」
「はぁ……アンタほんっと使えないわね」
「う、うるさい。見た事ないんだから仕方ないだろ。後お前の結果は隠しとけ」
「何でよ?」
「面倒臭い事になる気がする。今まで異能を保持した神徒なんて居なかったんだ。下手したら実験施設にぶち込まれるなんて事にもなりかねない」
「う、……それはゾッとするわね。分かったわ。アンタの言う通りにするのは癪だけどそうするわ。……いい?別にアンタを信頼してるわけじゃないから。これでアタシに恩を売ったなんて思わないでよね」
「……別にそんな事思ってねえよ」
「どーだか」
はぁ……やべ、またため息を吐いてしまった。
なんだか癖になりそうで怖い。
「どう?確認終わった?」
話が終わったと見たのか、クルミ先生が近寄ってきた。
俺が一瞬サヤカに視線を送ると、大きなルベライトの瞳が少し不機嫌そうに歪む。
(分かってるわよ)
俺にしか聞こえない大きさでサヤカがそう口にすると、後ろで手を組むようにして水晶片を隠した。
「はい、これが結果です」
俺はクルミ先生に俺の結果が刻まれた水晶片を手渡す。
その内容を見てクルミ先生は首を傾げた。
「【親愛強化】……か。うーん、ちょっと先生には見覚えがないなぁ。もしかしたらオリジナルかも知れないから、また調べておくね」
「はい、お願いします」
「また結果がわかったら教えるね。じゃあ今から神徒達の能力測定をするから、そっちの子借りてもいい?」
「アタシはコイツの物じゃないんだけど?」
「あれ?さっきまでタクトくんと仲良さそうに話してたのに」
「……ッ、誰が!?仲良くなんてしてないわよ!!」
クルミ先生の発言が気に障ったのか、サヤカは顔を真っ赤にして怒鳴ると、ズカズカとクルミ先生の横を通り過ぎる。
「えっと〜……」
クルミ先生から視線を向けられ、俺はぽりぽりと頭を掻いた。
どうなってるの?と、その茶色の瞳が如実に語っている。
「最初からあんな調子なんですよね。なんでかわからないんですけど」
「そ、そっか。た、大変だね」
信じてくれたのかどうかイマイチわからない返答が返ってくる。
もしかしたら何か悪いことをしたと疑われているのだろうか。
できればクルミ先生にはあんまし嫌われたくないんだが。
思考がネガティブな方向へ舵を切りそうになっていると、ハッとクルミ先生が目を見開く。
「あわわ、神徒の子追いかけないと!ど、どっちに行ったのかな!?」
慌ててクルミ先生が教室を飛び出していく。
やがて遠くから、そっちじゃないよぉ〜!と言う悲鳴じみた声が聞こえてきた。
「はぁぁぁ……」
サヤカと共に過ごすこれからの日々を思うと、本日一番大きなため息が溢れた。