推しとの出会いは恋の始まりに似ている
男に絡まれ、そして助けられた翌日の昼休み、私は同室のアクサナに昨日の話をしていた。
下宿に帰りついたあと、恐ろしかった出来事や助けられたあとの興奮で寝付けないかもと思っていた私だったけど、仕事の疲れは確かだったようで気づけば落ちるように眠っていた。
朝からは、また仕事のために私もアクサナもバタつく。
お昼を回る頃になってやっと、ここ最近の救護院全体の忙しさは落ち着き始めたようだった。
今日は久しぶりに丸々昼休みの時間を取れそうだと、私はアクサナと一緒に食堂に向かう。
「他の子の後にも帰ってこなかったから、昨日は泊まりだと思っていたのに。そんなことになっていたの……」
食堂のいつもの席に座り、早速アクサナに昨日私を助けてくれた男性の話をしようと切り出した。
高揚した気持ちのまま昨日の話をし始めた私だったけど、男性のことに言及する前にアクサナの表情が変わったことに気づいて続きを飲み込んだ。
「あなたね、ドリー。不用心すぎると、いつも言ってるわよね」
「ご、ごめん、アクサナ」
「何かあってからでは遅いのよ?」
そう言うアクサナの表情は心配げで、私はなんだか村にいるお母さんのことを思い出してしまう。
口ごもる私に、アクサナは続けた。
「故郷ではどうだったか知らないけど、王都の夜は物騒なの。ドリーは治癒魔法しか使えないんだから、ろくな抵抗だってできないでしょうに」
「うん、そうだね……、ごめん」
こうして、田舎から出てきた私が、王都出身の彼女に認識のずれを指摘されることは多かった。
村とは違い、ここ王都は夜であっても明かりが灯り、人が出歩いている。
昨日は、救護院の中にいる間は深夜であっても人でごった返していたから、時間の感覚が完全にマヒしていた。
アクサナの言う通り、男性に助けてもらえなければ私はもっとずっと恐ろしい目に遭っていたかもしれない。
言い訳を言っても仕方ないと、繰り返し反省の言葉を口にする私に、アクサナは軽くため息を吐くと、「この話はここまで」という風に、少し表情を柔らかくした。
「次からは、遅くなったら諦めて泊まるか、下宿の誰かと一緒に帰るのよ」
「うん。ありがと、アクサナ」
私たちは微笑み合い、食事を再開させた。
アクサナは、私がここ王都の学校へやってきたばかりのころに仲良くなってくれた友人で、今は同じ救護院で働く看護師見習い仲間だ。
王都出身の彼女は美人で洗練されていて、田舎から出てきて何も分からない私に優しくしてくれた彼女に、私は密かに憧れの気持ちも持っている。
そして私はそんな彼女に、昨日の男性との出会いについて相談したかったのだ。
二人ともお昼を食べ終わったタイミングで切り出す。
「ねえ、アクサナ。昨日助けてくれた人のことなんだけど」
言いながら、私は顔に熱が集まるのを感じた。
なんだろう、とても気恥ずかしい。
私のその表情を見たアクサナは、彼女にしては珍しく虚を突かれたような表情をした。
「あら、なあに? どうしたの?」
「あのね、えっと、もう一度会いたくて……、お礼も言えなかったから……」
言ってから、まるで取って付けたような理由だと、自分でも思う。
アクサナの表情が一転、おもちゃを見つけた猫のように楽し気なものになった。
「ふうん」
アクサナは、完全に面白がっているようだった。
私はさらに顔に熱が集まるのを感じつつも、男性を探すために彼女の協力が得られるだろうことを確信した。
それから、彼がどれくらいの身長だったかとか、夜の暗がりでよく分からなかったが黒に近い髪と目をしていたことを伝えたけれど、「そんな人、王都には履いて捨てるほどいるわよ」と一蹴されてしまった。
上下共に黒い服を着ていたけれど、服装なんて毎日変わるだろうしと、私は一生懸命昨日のことを思い出す。
「顔立ちが整っていて、涼やかな目元に声が低くて良い声で……」
必死に覚えていることを挙げていく私に、アクサナは呆れた顔をした。
「それは、あなたの好みのタイプの話かしら」
「もう! ちゃんと聞いて!」
笑うアクサナに、私もおかしくなって笑い合った。
「他に、思い出せることはないの?」
残り少なくなった昼休みを使って、昨日助けてもらった通りに来てみたものの、当然彼の姿があるなんてことはなかった。
アクサナに問われ、私は思い出す。
「えっと、『やめとけ』とか『やめろ』って声をかけてもらって、そのあとは、男を倒したことを誤魔化すみたいに『飲みすぎだ』って言ってたような……」
「うーん」
二人で考えこみ、昼休みももう終わるため、私が救護院へ戻ろうとアクサナに声をかけようと思ったときだった。
「あ」
アクサナが、何か閃いたように人差し指を立てた。
「?」
「ドリー、あなた、絡んできた男が戦士崩れだと言ったわね?」
「うん。本人が戦士だって言ってたと思う」
「それよ!」
「?」
嬉しそうなアクサナに、私が首を傾げていると、彼女は説明してくれた。
なんでも、戦士たちが試合をする闘技場には、今やっているシーズンに出場しているか否かに関わらず、戦士同士の私闘を禁じる規定があるらしい。
破れば出場停止。
二年間はシーズン出場のための選考にすら参加できなくなるらしい。
私を助けるためなのだから私闘ではないのではとも思ったが、少しでも出場停止のリスクを避けるために『飲みつぶれたことにしておいてくれ』という意味で念押しされたのだと言われれば、十分納得できる話だった。
「つまり、助けてくれた人も戦士かもってこと?」
「可能性はあるんじゃないかしら」
アクサナの言葉に私は鼓動が跳ねた。
彼が見つかるかもしれない。
そんな私を見たアクサナは、「闘技場のことなら私も力になれるかも」と、楽し気に言ってくれる。
私たち二人は休日、闘技場へ行ってみようと約束しながら、いよいよ走って戻らなくてはいけなくなった残り時間を考え、揃って駆けだしたのだった。