俺の中のまだ腐っていない部分(ヴォルフside)
俺には生まれつき魔力がない。
別にそれ自体は珍しいことでもないが、騎士の名門の家系に生まれた俺にとって、それは死刑宣告にも似た事実だった。
上にも下にも兄弟はいたが、俺はその誰より強かった。
剣の技術も、強さも、他の誰より強いのに、『魔法が使えない』たったそれだけのことで、家中の者から疎まれ蔑まれてきた。
そんな環境で育った人間が真っ当に育つはずもなく、俺は騎士入団試験の不合格の結果を確認したその日に親父を殴り、家を出た。
それからは何の技術も身につかないような力仕事ばかりをやっては日銭を稼ぎ、酒を飲んだ。
仕事が終われば後腐れはなく、人と関わらずに済む生活は自分に合っていると思えたし、所詮俺にはこんな生活が似合いだとも自嘲した。
俺自身、そんな生活をさほど悪いものだと思っていなかったのも事実だ。
それでも、俺の中の、騎士に憧れるようなおめでたい本質が変わっていなかったのも確かなようだった。
それを実感したのは、夜道で女を助けた時だった。
女に絡んでいたのは俺も知っている男。
二メートルはありそうな体格とでかすぎる体。
このあたりの粗暴な連中を取りまとめ、諍いが起きないよう調整役のようなことをしている男だった。
ここにやってきた当初、随分まともに見えるこの男がなぜこんな裏びれた世界に生きているのかと不思議に思ったものだが、なんてことはない。
この男も欠陥品。
ただそれだけのことだ。
元はそこそこ名の知れた剣士だったとかで、闘技場でもいい成績を残し、家族も地位もあったらしい。
しかし、この男にはそれ全てを失ってしまうほどの致命的な欠陥があったとか。
その話を無理やり俺に聞かせてきたひょろっとした男は普段、この男の見張りのようにそばに付いて回っていたはずだが、その姿も今は見えない。
はめられたのか、我慢できなかったのかは知らないが、聞いていた通りこいつの欠陥、“酒癖の悪さ”が、常軌を逸していることだけはこの光景を見て理解した。
目の前で女をいたぶり喜ぶ男は普段とはまるで別人だ。
俺は嫌気がさす思いだった。
人間なんて分かったものではないとは思っていたが、これが普段は温厚なあの男の本質なのだとは思いたくなかった。
それから、世捨て人を気取るくせに、いっちょ前に人を信じていた自分に気づいて失笑が漏れる。
神様なんてものがいるとすれば、そいつは人間を造るのにちょくちょく失敗をするらしい。
こいつや、俺のように。
なんにせよ、目の前の女にはそんなこと関係ないだろう。
慕う人間も多いこの男に手を出したとなれば、ここで生きるのに不便も生じるかもしれなかったが、それでも俺には女を助けないという選択肢はなかった。
今でもどこかに、騎士を志していた頃のままの自分がいることに気づく。
「やめておけ」
声をかけるも、男はそれに動じる様子もなく女をいたぶることをやめない
腹の奥から、ざわざわと不快なものがこみ上げる。
こんなに不快になるのは、久しぶりのことだった。
優し気な笑顔をした、普段の男の顔が脳裏をかすめた。
人を遠ざける一方で、人に期待する自分がもどかしい。
「……やめろ」
今度ははっきりと告げ、地面を蹴る。
俺の攻撃は簡単に通り、男の意識を刈り取った。
男は戦士を引退しているとはいえ、単純な実力だけでいえば、こんなに簡単に昏倒させられる相手ではない。
しかし、酒に飲まれた男の体は、呆気ないほどに簡単に傾ぎ倒れ行く。
その様子に、悔しさや腹立たしさのようなものを感じてしまう。
あんたほんとはこんなモンじゃねえだろう。
しかしそれでも、本人の努力や気持ちだけではどうにもならないことがあるという、この世界のクソみたいなルールも、俺は実体験として知っていた。
俺は気持ちを切り替える。
倒れ始めた男と女の間に入り、女の腕を掴んでいる男の手首あたりを取る。
少し強く握ってやれば、意識のない男は掴んでいた女の腕を容易く離した。
女を俺の胸で受け止める形になる。
悲鳴でも上げられるだろうかとも思ったが、女は呆然としたまま、状況が飲み込めないでいるようだった。
周囲を確認すると、幸いにも俺たちのやり取りに注目している奴はいない。
この男のことを、俺が攻撃して倒したことは、できるなら大事にせず伏せておいてほしかった。
「飲みすぎだな」
下手くそな言い訳だと、そう思ったが言ってからではもう遅い。
しかし、呆けたように俺の顔を見ていた女は、コクコクと話を合わせてくれることを示すように何度も頷いた。
女の瞳がヒーローを見るような、どこか輝いて見える色をしていたせいで、俺は少しだけくすぐったい気持ちになった。
どうやら、俺に恩義を感じてくれているらしい。
すっかりやさぐれた見た目と目つきの悪さのせいで、女子供には避けられてばかりだ。
変な女。
こんな俺に少し助けられたからといって、目を輝かせる女のことが多少心配にもなりつつも、いつまでも触れていては不快がられるだろうと、俺は女から体を離した。
支えを失くして少しふらついた様子ではあったが、怪我などはなさそうだ。
腕くらいは痛むかもしれないが、夜道で襲われかけたところをそれだけで済んだのだからと諦めて、さっさと今日のことは忘れてしまえばいい。
魔法の使える騎士ならここで治癒魔法でもかけてやるのかもしれないが、魔力すらない俺にその役は不可能だ。
俺は踵を返すと、その場を離れる。
あの男の世話役を見つけ、知らせてやったほうがいいだろう。
面倒な役回りに当たったものだと考えつつ、俺はため息を吐いて歩みを進めた。