頼りになる友人に現実を見ろと諭される
「アクサナ、アクサナ、アクサナ~」
「はいはい。分かるわよ~、初めての現場ってそうなるわよね」
ファンサ・デー会場を後にした私は、友人であり、推し活の大先輩であるアクサナに半泣きで縋っていた。
アクサナも彼女の推しであるアイドル選手、ディディエ・トロー選手と握手をしていたはずだが、順番が早かったのか、私と合流したときには落ち着いたいつも通りの様子だった。
「今日もディー様格好良かった~、ちゃんと認知されてるのって、やっぱり嬉しいわ」
そう言ってどんと構えるアクサナに、取り乱しっぱなしの私はめちゃくちゃに頼もしさを感じていた。
会場を後にした私たちは、会場からほど近い喫茶店へとやってきていた。
相変わらず天気が良く、昼下がりのテラスには温かい日差しが降り注いでいる。
「アクサナ~」
「私の名前を鳴き声みたいに使わないの、ほら、お水飲んで」
アクサナに勧められるまま、私は水を一口飲む。
取り乱している私を見て店員さんも察してくれたのか、テラス席に案内し、お水を出してくれた後は注文を急かすでもなく離れた位置で見守ってくれていた。
「パスタでいいよね?」
アクサナの言葉に、水を飲みながら私はコクリと頷き、一息つく。
アクサナはさくさくと注文を済ませると、メニューを片付け頬杖をつき、私に少しいじわるな笑顔を向けた。
「何を覚えてる?」
「何も、何も覚えてないの~!」
「やっぱり!」
アクサナは、情けない私の返答に満足げに笑った。
ヴォルフ様との握手会。
列がどんどん進んで、どんどん姿が、お顔がはっきり見えてくる。
何を言おう、化粧は崩れてないかな、髪型は。
どんどん急かされるみたいに緊張してきて、彼の前に立ったときにはもう頭の中が真っ白だった。
何か話して、驚くほどに“ファンサ”をしてもらえた気がするんだけど、許容量を完全に超えた幸福に、私の記憶中枢はすっかりショートしてしまったようだった。
びっくりするくらい何も覚えてない。
そんな私にアクサナは容赦なく言う。
「間近で見た“ヴォルフ様”はどうだった?」
「かっこ、かあっこよかった!!」
すっかり語彙力を失った私の答えに、またアクサナは満足したように笑った。
注文したパスタを食べ、食後のドリンクを飲み、それでも私の気持ちは高揚し、頬は上気したままだった。
「はあ~、かっこよかった~」
「まさか、ドリーがここまでハマるなんて思わなかったわ。嬉しいけど、ちょっと意外」
アクサナが少し困ったような笑顔で言ったのに、私も「たしかに」と笑ってしまう。
私は田舎育ちで、学校に通うためにここ王都に出てくるまで、闘技場のことすらほとんど知らなかった。
まして、どちらかといえば大人しいタイプだった私は、舞台役者や騎士様にすらキャーキャー言うようなタイプではなかったのだ。
ある時から闘技場の選手であるヴォルフ様にハマってしまった私に、友人であり、すでに別の選手の追っかけをしていたアクサナは手取り足取り“推し活”の作法を教えてくれたものだ。
推しのいる生活の、なんと楽しいことか。
見える世界が広がったような感覚すらする。
今はこうしてアクサナと二人で推しを追う私だけど、元々、闘技場の選手のファンのほとんどは少年やおじさん、つまり男性だ。
アクサナの助けがなければここまでのめり込めたかどうかも分からない。
ここ王都で友人になってくれた目の前の彼女アクサナに、私は大きな感謝の気持ちを持っていた。
「……水を差すようだけど、ドリー」
そんなアクサナが、少しだけ私を責めるような声音を出した。
「なに? アクサナ」
私はきょとんとするけれど、アクサナがその後に続けた言葉は、私にとってはなかなかに胸に刺さる内容だった。
「推すのはいいけど、リアコはやめときなよ」
その言葉に、私は「う゛」と返事に詰まる。
リアコ。
これも、アクサナに教えてもらった言葉だ。
リアはリアル。コは恋。
つまり、アクサナは私に推しに本当の恋をしないほうがいいと釘を刺してくれているのだ。
「……そんなこと言って、アクサナだってディディエ・トロー様のこと好きって」
「あら、私は恋愛対象の好きじゃないもの! ディー様は美形で素敵だけど、付き合いたくはないわ」
あっけらかんと言われ、私は口を噤むしかない。
私だってわかっている。
この気持ちが、不毛なものだと。
田舎を出て王都に来た私は、学校へ通い、卒業した今は王都の診療所で看護師をしている。
学生時代、ほんの一時男性とお付き合いをしたこともあったけど、お互い異性や恋愛への人並みの興味本位でしかなく、何度かデートのようなことをしてからは、手も繋がないままに自然消滅していた。
私は、ヴォルフ様に会うまで、こんなに胸が高鳴り焦がれるような気持になったことがなかったのだ。
「ドリー、あなた、推しへの気持ちを恋だと錯覚してるのよ」
アクサナの表情は、私をとても心配してくれていることが分かる。
私は彼女が私を思って言ってくれているとは分かっていても、どうしてもこの気持ちを割り切ることができなくて、小さく頷くだけが精いっぱいだった。
そんな私に、アクサナは仕方ないなというように笑み、小さく息を吐くとパッと明るい声を出した。
「ドリー、ねえ、あの人はどうなの?」
「え?」
「職員のクラインさんよ! 何かと世話を焼いてくれて、あの人、ドリーに気があるんじゃないかしら?」
「ええ!?」
アクサナの言うことに、私は驚く。
クラインさんは親切で、たしかに何かと世話を焼いてくれるけれど、私はむしろあの人は……。
私がそう考えているなんて思ってもみないだろうアクサナは、「いい人じゃない。紳士的で、イケメンで、優しくて」とクラインさんを猛プッシュしてくる。
そうして、私たちは姦しくも楽しくおしゃべりをして、残り半日となった休日を一緒に過ごした。