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古参の言葉には耳を傾けておきなさい

「ッ」



 痛みは一瞬だった。


 頬に一筋の熱が走る。


 続けて、熱い液体が輪郭に沿うように伝った。



「あ……」



 目の前では、ピンク髪の子が我を取り戻したような表情で自らの手を握り、眉を垂らして震えている。


 彼女の伸びた爪が私の頬を裂き、わずかとはいえ鮮血が滴っているのだ。


 箱入りに見える彼女には酷な光景だろう。


 彼女は自分のしてしまったことに怯えているようだった。


「謝りなさい」


 私は、自分よりも二つ年下だというその子へと冷たく言い放った。


「あ、う、ごめ、ごめんなさい……」


 私の様子にたじろぎ、震えた声で言ったピンク髪の子を見る。


 この子は言って聞かせるのではなく、自分で反省させなければ意味がないと思えた。


 みるみるうちに彼女の大きな瞳に涙が溜まっていく。


 愛らしい子だ。


 きっと甘やかされて、不自由なく過ごして、勘違いをしてしまったんだろう。


 彼女はまだ学生のはず。


 自省することを覚えれば、まだきっと大丈夫。


 涙する彼女に、私はもう一言告げる。


「痛いわ」

「っ、ごめんなさいっ」


 優しい心だって持っている子なのだろう。


 痛みを申し訳なく思う気持ちはあるようだった。


「嘘よ、すぐ治るわ。でも反省して。私もアクサナも、傷ついた」


 私は少しは優しくそう言うと、彼女が泣きながら何度も頷くのを確認し、それから職員さんに彼女を家まで送る手配をお願いした。



「ドリー」


 アクサナが私を呼んだ声が聞こえ、そちらを見ようとしたけど、その前にロビーで上がった大声に驚いた。



「何があった!!」



 まるで獣の咆哮だ。


 その声はロビーどころか闘技場(コロッセオ)中をビリビリと震わせた。


 驚いて声のほうを見やる。


「いらっしゃいませ、ヴォルフさん」


 呑気なクラインさんの声がした。


 そこにはヴォルフ様がいた。


 驚きに言葉を失くした私とは違い、アクサナを背にしたクラインさんはなんてことないようにヴォルフ様を呼んだ。


「クライン! 何があった!」

「あなた自室にいたはずでは?」

「声が聞こえた!」

「わあすごい」


 すごい速さでクラインさんの元へたどり着き、彼に詰め寄ったヴォルフ様はまくし立てる。


 だというのに、クラインさんは少しおかしげに軽くかわした。


 最初、ヴォルフ様の手が出るのではないかとハラハラして見ていたが、クラインさんとヴォルフ様はどうやら仲がいいらしい。


 しかしいよいよヴォルフ様がしびれを切らして怒るのではないかと思った時、クラインさんが状況を説明した。


「不法侵入があり対処していたところ、ドリーさんたちが鉢合わせたのですよ」

「なんだと!?」


 ますます焦燥を露わにしたヴォルフ様がいよいよクラインさんの胸ぐらをつかみ上げた。


 ひぇっと思ったとき、相変わらず動じないクラインさんはスイと私をその手で示した。


「あちらに」

「!」


 瞬間、ヴォルフ様が私を見た。


 彼の黒に近い茶の瞳が私を見て、徐々に見開かれていく。


 彼は私を凝視し、それから、その視線が頬に走ったのが分かった。


「あ、その」


 何を言えばいいのか分からず、でも何か言わなくてはと思った私だったけど、結局それは叶わなかった。



「パナケア……」

「えっ」



 私の家名をつぶやくように告げたヴォルフ様は、来た時と同じように、まるで消えるようにロビーから走り去っていた。





「なんで……」


 まるで暴風のようだった。


 勢いよく現れ、勢いよく去っていった推しの姿を見送って、私は呆然とするしかない。


 そうしていると、両肩をがっしりと掴まれて反対側を向かされてしまった。


 見ればアクサナだ。


「治癒魔法!」

「あ、そっか」


 治そうと思って、すっかり忘れていた。





 焦るように急かすアクサナをなだめながら、治癒魔法を自身に施すと傷は綺麗に消えた。


 アクサナが残った血液を丁寧に拭ってくれている。


「化粧水持ち歩いてるなんて、アクサナすごい」

「呑気なこと言ってないで! もう!」


 化粧水で湿らせたアクサナの上品なハンカチに、私の血がついてしまう。


 でもアクサナにとってそれは大事なことではないようだ。


 彼女の怒りの理由は分かっている。


「怪我して! 危ないのに! 馬鹿! ドリーの馬鹿!」

「うん、ごめんね」

「許さない! 目でも怪我したらどうするつもりだったの!」

「ごめんね、アクサナ」


 アクサナの瞳には涙が溜まっていた。


 それでも、絶対に人前で涙を流すことはないだろう。


 それが、出会った時からいつだって気高いアクサナという友人の性格だと、私は知っていた。


「ばか! ドリー! ばか!」

「心配させてごめんね」


 何度も私は謝る。


 アクサナはそんな私を叱りながらも、私の頬を確認するように撫でる彼女の手は、これ以上なく優しかった。





 私たちがそうしていると、再びロビーが騒がしくなった。


 何事かと思う。


 まさかヴォルフ様がまた?


 しかし、今度はさっきとは違う。


 喧噪ではあるものの、喜色を含んだような、そんなざわめきだ。


「何でしょうか?」

「んー」


 クラインさんに尋ねるけれど、彼も心当たりがないようで、ざわめきが近づいてくるほうを一緒に見やる。




 彼が現れると同時、ロビーの照明が一段明るくなったような、そんな錯覚がした。




「何があったの?」




 現れたのは、彫像のような金髪の美男子だった。


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