ドリーの贔屓の選手(ヴォルフside)
春になり、今年は俺は選抜試験を抜けての本戦出場を果たした。
ここまでは余裕だろうなどと思っていたのも昔のこと、やはりここに残ることは並大抵のことではないことを改めて知った。
「おはよう、ヴォルフ君!」
「……ディディエ」
本戦の初戦、相手はこいつ、ディディエ・トローだ。
闘技場の看板選手とはいえ、こいつも選抜試験を毎回抜けている猛者であり、昨年も最終トーナメントに残りベストフォー入りした戦士だ。
こいつの試合を見たのは闘技場へやってきた日舞台袖で見たのと、対戦相手として見た二回きり。
こいつはファンを楽しませるためだと言って毎回趣向を凝らした戦闘をしている。
特に相手を攪乱する類の魔法が得意で、俺の見た試合では蝶の幻影を見せたり、自分の立ち位置を誤認させたりしていた。
正直、こいつのことはそこまで脅威ではない。
小さい頃から魔法を誇る兄たちとの戦闘を重ねたせいだろうか。
俺は魔法に重きを置いている相手にほとんど負けなしだった。
生家では疎まれ、ろくに稽古もつけられていなかった俺は、オーウェンに指南を受けて飛躍的に実力を伸ばした実感がある。
剣技の基礎すらほとんどできていなかった俺にオーウェンは心底驚き、「独学!? ブランク!? 訓練もなしにぶっつけ本番であの強さかよ! これだから若い奴は!」となにやら喚いていた。
しかし、俺に剣技を教え込んでいる最中のオーウェンはやたらと活き活きと楽しそうで、あれもこれもと無理難題にも思える課題を押し付けては、師匠として振舞うのもなかなか様になっていた。
つい先日など、孫との約束の時間を忘れて俺の稽古に熱中していたらしく、機嫌斜めでやってきたケントに俺が焼き餅を焼かれてしまったくらいだ。
試合直前の控え室、俺が手のテーピングを巻きなおしていると、鏡で髪を整えていたディディエが口を開いた。
「まいったよ。試合直前に女の子に突撃されてね」
聞いてもいないのに、社交的なこいつはこうして試合前も相手選手に話しかける姿をよく目にする。
俺が無口なのも織り込み済みなようで、俺に反応がなくとも構わずディディエは続けた。
「我儘は可愛いけど、ルールを守れないのはよく無いよね。そもそも、女の子にあんまり無茶をしないで欲しいんだけど。僕が言っても逆効果だろうしねえ。今回はアクサナちゃん、あ、僕を熱心に応援してくれてる子なんだけど、その子が取り持ってくれたらしいんだ。はあ、良識のあるファンって有難いな」
「災難だったな」
俺は一言で返す。
こいつはファンサービス旺盛だが、ファンとの距離は間違えないように思える。
それでも時たま、初めから距離感の狂ったファンもどきが紛れ込んでしまうようで、度々苦労をしている姿を見た。
女に人気のある奴はご苦労なことだ。
ドリーも、こいつの応援ばかりしていたな、と、最初から分かっていたことが思考の表層に上がってくる。
無意識にディディエから視線を逸らした俺は、口の中に苦い味が広がるのを感じ、奥歯を噛んだ。
『女性って、本当にディディエ選手のようなタイプがお好きですよね』
いつかのクラインの言葉が、いまだに頭の片隅にこびりついている。
面白くねえ。
「チッ」
短く舌打ちをこぼし、テーピングを一から巻き直す。
話をしながら巻いたテーピングは、その機能を全く果たせないようなひどい出来だった。
それからふと、俺は“アクサナ”という名に引っ掛かりを覚えた。
たしか、ドリーと共に観戦に来ている女の名前がそのような名だと、以前クラインが言っていた気がする。
いつも観客席からこちらを見るドリー。
その隣、いつもいる女の顔は全く覚えていないが、柔らかく純粋な雰囲気のドリーとは違い、大人びた雰囲気を持つ女だったはずだ。
なるほど、応援する相手が揃いだから一緒に観戦に来ていたのかと納得した。
そのアクサナというのが闘技場に来ているというのなら、ドリーもきっと今日来ているのだろう。
俺の対戦相手はディディエ・トロー。
ドリーとその友人の、好きな相手だ。
いつもは、俺を応援してくれているドリー。
一生懸命に大きな声を張って、俺の名を呼び鼓舞するドリー。
一度夜道で助けたことに今でも恩を感じてくれているようで、俺の出る試合を観戦している時には必ず俺に声援を送ってくれていた。
しかし、今日聞こえるドリーの声援は、俺に向けられないだろう。
対戦相手が目当ての選手であれば、さすがに小さな恩だけの男よりも優先するはずだ。
俺は、剣を身に着け、鞘の最終調整をしているディディエを見やる。
今はこいつをぶちのめしてやりたい気分だ。
先ほどまでの軽い会話が、まさか俺相手に前哨戦のような役割を果たしたとは思ってもいないだろう。
ディディエから一度視線を切り、雑念を振り払うように頭を振る。
ドリーの応援する相手だろうがなんだろうが関係ないはずだ。
俺は俺にできる戦闘をして、相手を倒すだけだ。
優勝でもしねえとドリーに花を渡す口実が作れねえから、そうするだけだ。
『怪我が治ったから優勝できた』
そうドリーに言えるよう、一人ずつ確実に倒すだけのこと。
決して、ドリーにちやほやされるこの男が気に入らねえからじゃねえ。
それでも、いつもよりもずっと強く巻いたテーピングに絞められた拳に、やたらと力が籠ってしまっていることに、俺自身は無自覚だった。
「行こうか、ヴォルフ君」
「吠え面かかせてやる」
「何か怒ってる?」
「無駄口叩くな」
「それ、もっと早く言われると思ってた」
そして俺たちは試合会場、その中央に鎮座する舞台中央へと進み出た。
まさかドリーがディディエでなく自分を応援してくれるなんて、この時の俺は思ってもみない。
もちろん、彼女の声が俺を呼んだ瞬間に、俺は試合時間を残しての一方的なK.O勝利を収めたのだった。




