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あの手この手で

 ヴォルフ様の処置を終えた私たちは、少し疲れを覚えていたのもあってもう始まりそうだという第三試合の間はロビーで休憩を取ることにした。


 初老のおじさんはやっぱりちゃんと観戦するらしく、後で試合内容を教えてもらう約束をした。


 一緒にロビーにやってきたクラインさんは席を勧めてくれ、お茶まで用意してくれる。


 先ほども治療に協力したことにお礼を言われてしまい、恐縮してしまった。


 薬の不備も事故のようなものだと思うし、全然構わない。


 そういえば、と思ってクラインさんに尋ねてみた。


「あの、クラインさん。あのおじさんってもしかして……」


 そう、初老のおじさんの正体だ。


 態度は変えずともいいと言ってもらったようなものだったが、全く知らないでいるのも問題がありそうだ。


 知っていそうなクラインさんに聞いてみると、いい笑顔で返された。


「お子さんに爵位こそ譲られていますが、貴族の方ですよ」

「ヒョエェ」


 思わず変な声が出て、クラインさんにまでおかしそうに笑われてしまった。


 同じく知らなかったはずのアクサナは「やっぱり」ってなぜか納得気だ。


 初老のおじさんは、この闘技場(コロッセオ)の出資者さんらしい。


 そりゃあ、少しくらいの無茶も通るだろう。


 気さくな人で良かったと心から思う。


 それから、若く見えるけどおじいちゃんと言ってもいい年齢だとも教えてもらって、さらに驚いた。




 何はともあれ、ヴォルフ様のお役に立ててよかった。


 そう思ってから、急にじわじわと実感が湧いてきた。


 そうだ、私、ヴォルフ様に治癒魔法を使ったんだ。


 治癒魔法を使うために至近距離で手をかざしたり、上半身を負傷していたヴォルフ様に、止血後に体に付着している血液を拭わせてもらったりもしていた。


 あの時は仕事モードでなんともなかったのに、今思えばかなり大胆なことをしたものだ。


 治療中に変に自覚しなくて良かったと心から思う。


 純粋に治療のためにやっていたはずなのに、負傷して大変な彼を不純な目で見てしまっていたように思えて、今更ヴォルフ様に申し訳なくなってきた。


 思い出すのはやめよう、記憶を封印せねば……。


 私が急に顔を赤らめ始めたのを見てクラインさんはキョトンとしていたけど、アクサナには私の考えていることなんて手に取るように分かるらしく、いじわるな笑顔を向けてきた。


「やっと思い至ったのね」


 アクサナは楽しそうに私の頭を撫でる。


 その様子に何か察したようなクラインさんは「ああ、」と少し感嘆するように出した言葉を切ってから、満面の笑みで続けた。


「女性が一生懸命に誰かを応援している姿は、とてもお可愛らしいものですね」


 そのイケメンスマイルと真っ直ぐすぎる言葉の破壊力は抜群で、まっすぐに直視してしまった私たちは思わず赤面してしまったのだった。


 


 それから、いつまでもクラインさんを引き留めるわけにもいかないので、私がなんとか落ち着いた頃合いで彼に別れを告げる。


 彼は最後まで丁寧にお礼を言ってくれて、本当に律儀ないい人だ。


「そろそろ会場に戻る?」

「そうね、第三試合も終わるでしょうし」


 歓声が続いているのが聞こえているが、そろそろ試合時間の残りもわずかだろう。


 第三試合はどちらも私たちには聞き馴染みのない選手だけど、勝ったほうは、第一試合で勝利したアクサナの推し、ディディエ・トロー選手の対戦相手になるかもしれない。


 勝敗が判定になるのであれば、結果だけでも聞けるかもしれないと思い、私たちは席を立とうとテーブルの上を片付け始めた。


 その時。


 ロビーに繋がる通路から、誰かが揉めているような声が聞こえてきた。


 試合中のため、ロビー周辺にはほとんど人はいない。


 入場の受付時間もとうに過ぎた今、職員さんの姿すらまばらだ。


 声の感じからして、男性と女性。


 痴話げんかだろうか、などと私が呑気に考えていると、声の主たちはこちらに向かってきているようで声が大きくなってきている。


 女性が騒ぎ、それを男性が窘めているような注意しているような、そんな声だ。


「ドリー、ごめん」


 そのとき、焦ったようにアクサナが荷物を持って、ここから動く準備を始める。


「どうしたの?」

「たぶん、私の知ってる子」

「えっ」

「客席で待ってて」


 私が答える間もなく、自分の鞄を持ったアクサナは通路へと駆けて行ってしまった。


 客席で、とは言われたけれど、アクサナに何かあってはいけないと、私は少し様子をうかがう。


 徐々に近くなる声は、アクサナと鉢合わせたことで、ロビーに入ってくる直前で止まった。


「アクサナちゃん?」


 驚いたような、呆けたような、女の子の高い声がアクサナを呼んだ。


 顔までは見えないが、ひどく明るい蛍光ピンクに染められた彼女の髪だけが見える。


 ピンク髪の彼女にぴったりと付くようにしている男性は、職員の制服を着ていた。


 先ほどの声は、ピンク髪の子と、職員さんが揉めている声だったらしい。


「なにしてるの?」


 ここまではっきりと怒ったようなアクサナの声を、私は初めて聞いた気がする。


 自分に向けられているわけじゃないのに、私がぎくりとしてしまった。


「どうしたの、アクサナちゃん~、怒ってるのお?」


 けれど、そんなアクサナの声にピンク髪の子は動揺もせず、呑気な声を出した。


 アクサナの質問を意に介した様子もない彼女を放って、アクサナは職員さんへ事情を聞く。


「この方はすでに会場への入場をお断りしている方なのですが、どこからか入られたようでして……。お客様の立ち入りをお断りしているエリアで選手の方に見つかり、こうして職員の私がお連れしていた次第です」

「つまり、出禁すら破って選手専用エリアに入って、またディー様に迷惑をかけたと」


 職員さんの遠回しで上品な説明を、アクサナは一刀両断にまとめてみせた。


 事情も分からなかった私だけど、アクサナの翻訳でやっと理解した。


 つまり、ピンク髪の子は選手への迷惑行為ですでに出入り禁止になっていたのに、受付も通さずに無断侵入、そして選手の元に行って職員さんに通報されたということだろう。


 この闘技場では、職員さんもなかなか武術に通じていたりして警備体制はしっかりしているはずなのに、なかなかどうして、選手の元まで辿りつけるあたりあの子は無断侵入の才能があるらしい。


「大げさなんだから~」


 そうしている間も、ピンク髪の子は平気な様子で文句を言い、「ディー様に会いたかっただけなのよ、アクサナちゃん~」などと言っている。


 図太い。


 そして非常識だ。


 職員さんが「退場ください」と何度も言ったであろう言葉をかけるが無視をして、促すために背を押せば体に触らないでと甲高い声で職員さんを責めている。


 ちょっと、見ていられないなと、知らない私でも嫌な気持ちになった。


 “ディー様”はアクサナの推しでもある。


 女性の体に触れるなと言われてしまえば、男性職員ばかりの闘技場では手に余ってしまうだろう。


 アクサナがフォローに飛び出したのにも納得だ。


 きっとこうして、これまでも迷惑をかけられたり巻き込まれたことがあるのだろうなと想像する。


 私は心配な気持ちでアクサナを見た。


 彼女たちと向き合うアクサナの後ろ姿は固くなり、両手は強く握りしめられていた。

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