御しがたい対戦相手(ヴォルフside)
薄く、浮上してきた意識に従い目を開ける。
天井の明かりが目に入り、一度顔をしかめてから周囲を確認して、俺は自分の置かれた状況を思い出した。
やや硬いベッドの上に寝かされている。
ここは闘技場の処置室だろう。
これまで、本戦の試合でもろくに怪我もしていなかった俺にとっては初日にクラインに案内されて以来二度目に訪れたことになる。
「情けねえ」
ぽつりと、意識せずとも言葉が零れた。
それから、体を起こそうとして肩から胸にかけてひどい痛みに思わず呻いた。
試合相手は本戦では当たっていない選手だった。
いわゆるシード枠のようなもので、過去優勝経験のある選手は、他の選手よりも試合数が少ない。
相手がそれだけの実力者であるとは認識していたものの、油断がなかったとは言わない。
それでも。
「数段上」
奴は強かった。
向き合っても、殺意も敵意もほとんど感じなかった。
カラッとした空気を纏った奴が動き始めたことを、頭では理解していたのに体はそれに何の構えも取ろうとしなかった。
奴の体がこちらに傾ぎ、表情が見えるかどうかというところまで倒れた瞬間、奴は利き手と同じ右足を踏み出していた。
それまで緩やかだった動きからの、力強い踏み出し。
まずい、と、思う間もなく俺は切られていた。
試合後、負傷した俺の世話をするためにやってきたクラインに、余計なことを吹きこまれたのを思い出す。
『あの方は元騎士団長ですよ』
ああ、そうかよ。
感慨も湧かない。
騎士になれもしなかった俺が騎士団長に負ける。
道理だろう。
それから、徐々に眠る前のことが思い出される。
怪我治療をしようにも薬がないと若い職員が泣いて謝罪をよこし、ならば選手の手を借りてと言われて俺は拒否したはずだ。
今後もやり合う相手に借りなど、作りたくもない。
それから、クラインが帰ってきたと思えば、人と。
そうだ、あれは、現実か。
「ドリー……」
そう、つぶやいた時。
「おや、目覚められましたか」
「……クライン」
相変わらず、嫌なタイミングで現れる。
明らかに俺の機嫌を損ねたことを見て取ったクラインが苦笑いする。
こいつに頼むのも癪だが、手を借りて体を起こすと、傷の状態を確認した。
「これなら数日もしないうちに塞がりますね」
良かった良かったと軽口を叩くクラインに、俺は聞きたいことを聞く。
「なぜドリーを連れてきた」
「おや、名で呼ぶほど親しく?」
「チッ」
キョトンと、分かっていることをわざわざ聞くこいつの性格を好きにはなれない。
冗談ですと楽し気に笑うこの男が、他の職員や戦士たちからの評価がなぜいいのか理解に苦しむ。
「ご老公ですよ。お知り合いだったようで、連れていらっしゃったんです」
「……出資者の一人だとかいう貴族か」
「はい。もう爵位はお子さんに譲られていますが、闘技場に足を運んでは手を尽くしてくださる良い方ですよ」
「そうかよ」
それから、先ほどまでドリーたちと話していたらしいクラインは、「ドリーさんたちもご老公の身分をご存じなかったようで、大変よいリアクションをいただけました」と嬉しそうだ。
好きな女をからかって遊ぶなど、小さなガキのようなこの男に、俺は言葉を返す気にもならない。
そもそも、こいつが俺を闘技場本戦へねじ込むのに持ち掛けた交換条件は、とある女を手に入れるのに協力すること。
俺を探しているはずだから、それを口実に親密になるまで身を隠せなどと言うこいつに好かれた女が不憫だとも思ったが、その時は俺に不利益もないので了承した。
まさかその相手がドリーだったとは思いもしなかったが。
俺はじっとクラインを見る。
視線に気づいたクラインは、また性格の悪そうな、周囲からは好青年に見えるという胡散臭い笑顔になった。
「おい、クライン」
「なんでしょうか、改まって」
「女に礼をするには何がいい」
クラインの表情が、分かりやすく固まった。
策士ぶっているこいつのこういう素直な戸惑いを見ると、少しは気分がいい。
「あなた、それを僕に聞くんですか?」
「他に誰に聞く?」
クラインは俺を見て、それからひとつため息を吐いた。
「ライバルじゃなかったんですか?」
「いいから答えろ。てめえなら女が喜ぶものが何かくらい分かんだろが」
「……ハァ」
クラインはあからさまにため息を吐きやがった。
こいつが言いたいことも分かる。
俺は、こいつとの取引のために身を隠し終わった後、俺がドリーに抱いた気持ちをこいつに伝えた。
協力するとは言ったが、それとこれとは話が別だ。
自分自身気づいてしまったのだから、黙っているのも気持ちが悪かった。
それに対してクラインは少し驚きはしたが「ライバルですね」などと笑っていたのを覚えている。
しかしそれもどうでもいい。
ドリーは、俺みたいな輩のために駆けつけ、自ら治癒魔法の行使を申し出た。
以前は危なっかしい姿が気にかかっていたはずのドリーが、あの時はひどく大人びて、頼もしくすら見えた。
最終トーナメントに至るまでの本戦の最中、ドリーはその友人と共に俺の試合の観戦をしていることも多かった。
ディディエ以外にも、闘技場の試合を見に来ているらしい。
観客席を見回し、ドリーを見つけた日には、俺は負けなしだった。
万に近い観客たちの声援の中、彼女の声だけはしっかりと聞こえてくるのだ。
彼女の声が力になった。
今日だって、最終トーナメントだからと変に気負わずいつものように観客席を見回せばよかったなどと、詮方ないことまで考えてしまう。
そして今日、怪我の治療までさせてしまった。
俺が彼女に礼をすることくらい、おかしいことではないはずだ。
そして、女への礼の仕方など分かるわけもないのだから、クラインに聞けばいいと思った。
しばらく黙ったクラインだったが、もう一度ため息を吐いてから口を開いた。
「僕なら、何か贈りますかね」
「何を」
「……花とか」
「花だな」
返す俺に、クラインは「あなたねえ」と少し呆れたように言ったが、それ以上は文句も言われなかったので気にすることでもない。
翌日、人生で初めて花屋などというものに行った俺は、花の種を買って帰った。
数日後、水をやっている俺を見つけたクラインは、「あなたって、本当に……」と今度こそ心底疲れたような顔をしたが、やはり具体的に文句を言われるでもなかったので、気にすることではないのだ。




