推し活の最中でも仕事モードに切り替わってしまう時ってある
「本当は、いかんのじゃがなあ」
怪我をしたヴォルフ様にできることがないと、落ち込む私に聞こえたのは、初老のおじさんの困ったような声だった。
続いて、ツンデレのおじさんの呆れたような声もする。
「じいさん、女の子に甘くないか?」
「じゃって、可哀想じゃろ。選手が負けたことに憤るでもなく、相手選手を悪く言うでもなく。こんなに純粋に心配してくれておるのを放っておけるか?」
「……」
それから、何のことかとうつむいていた私が再び顔を上げると、一歩、他のおじさんよりも前に出た初老のおじさんがいた。
そして、苦笑いをするように困り顔をしながら、私に言ったのだ。
「みんなには内緒ね」
+ + +
「おや、アクサナさん、ドリーさん。それに、ご老公ではありませんか」
「すまんね、クライン君。先ほどの第二試合で負傷した選手、彼の容態はどうじゃ?」
「それが……」
初老のおじさんに連れられて私たちが向かった職員通用口の中、驚いたように私たちを見るクラインさんに、初老のおじさんは慣れたように話しかけた。
初老のおじさんに「今回だけ特別に」と言って連れてこられたときは何事かと思ったが、クラインさんの反応を見る限り、初老のおじさんはこうして裏方にファンを連れて入ってしまえるだけの人らしい。
今まで彼に軽口を言ってきたことを思い出し、私もアクサナも冷や汗の出る思いだったが、過ぎてしまったことは仕方がないので、ひとまず普通ではありえない申し出に甘えさせてもらった形だ。
ヴォルフ様の容態を尋ねた初老のおじさんに、クラインさんはなぜか言いづらそうに一瞬言葉を詰まらせた。
無事を確認すれば気も晴れるだろうとここへ連れてきてくれたおじさんだったけど、彼もクラインさんの様子に眉をひそめる。
「何かあったか?」
「近年ずっと怪我をした選手本人の治癒魔法に頼り切りだったせいで、治療薬の手配を担当していた若手が確認を怠っていたようです」
「……ふむ。では、今から取り寄せていると?」
初老のおじさんの声が一段低まり、クラインさんは深く頭を下げた。
「傷を塞ごうにも、失血の手当ができない状態では治療に取り掛かれないと、医師も手を出せない状態でして。試合を終えた第一・第二試合の選手に救援を頼もうかとも思いましたが、ヴォルフ選手ご自身がそれを拒否され、必要な薬が来るまでこのままで良いと……」
クラインさんが続けた言葉に、私は思わず口を開いていた。
「ヴォルフ選手は魔力に拒否反応が?」
「ドリーさん? い、いえ、それはないそうですが」
「では、私が治癒魔法を使います」
「!」
私の言葉に、初老のおじさんとクラインさんの目が大きく見開かれた。
しかし、今は一刻も早く医師による治療に入ってもらいたかった。
私の治癒魔法があればそれができる。
「救護院の看護師です。見習いですが、治癒魔法は使えます」
「! 助かります! こちらへ」
看護師免許を見えるよう差し出した私に、それを見たクラインさんの行動は早かった。
若手の職員がミスしたとはいえ、彼は優秀でフォローのために手を尽くしていたところだったのだろう。
急病人なんかと会った時のために看護師免許を携帯していたが、役立って良かった。
「嬢ちゃん、ありがとう」
「おじさんのおかげよ」
進みながら初老のおじさんが小さく言った言葉に、ついいつもの調子で返事をした。
身分のありそうな人だしまずかったかなとも思ったけど、おじさんの顔はいつもの嬉しそうな顔だったから、私たちはこれでいいんだと安心した。
「クラインてめぇ、誰を連れてきやがっ……」
クラインさんに続き、病室へ駆けつけた先、そこにはヴォルフ様がいた。
シーツが赤く染まり、一部は黒く変色している。
怪我を負い、出血して運ばれてから時間が経っている。
今は少しの時間も惜しかった。
ヴォルフ様の誰何の言葉にクラインさんが返す間も与えず、私は口を開いた。
「観客として来ていた者です。あなたのために治癒魔法を使わせてください!」
私たちの登場に驚いた様子だったヴォルフ様の茶の瞳が、私の言葉を受け、さらに見開かれていく。
少しの沈黙の後。
「ああ」
短く、しかしはっきりと肯定されたことを受け、私は彼に治癒魔法を行使する。
看護師見習いの私だけど、治癒魔法だけに限れば救護院の本職の看護師にも負けていない自信がある。
他の魔法は使えない私だけど、患者さんたちや、こうして彼の役に立てることが誇らしかった。
私たちを案内したクラインさんが、すぐさま医師を呼びに走ったことで、ヴォルフ様の治療にすぐ取り掛かれることになった。
治療中は、私が治癒魔法を、アクサナが医師のフォローをし、ヴォルフ様の怪我は無事回復した。
術後、麻酔が効いて静かに眠るヴォルフ様を起こさぬよう、私たちはその場をそっと離れたのだった。




