蛮骨の狼
彼の正体がヴォルフ・マーベリック選手だと分かった以上、私のすることは一つだった。
「推す!」
「そうね」
私の力強い言葉に、アクサナは頷いた。
もちろん、彼の捜索に尽力してくれたアクサナとクラインさんには心からのお礼を込め、なかなかに奮発した高級レストランのチケットをプレゼントした。
アクサナがクラインさんのことを美男子だとキャッキャしていたのは知っていたので、デートに誘う口実にもなりそうなチョイスをしてみたが、「よければ二人で」と冗談めかして言った私に、アクサナは「気を遣われるのは性に合わないわ」とバッサリだった。
妙に気を遣ったチョイスにした私も悪いのだが、どうやらアクサナはクラインさんが私狙いだと踏んでいるらしい
事あるごとに発破をかけてくるので少し困る。
確かに紳士的でいい人だと思うのだが、「現実的に恋人にするならヴォルフ・マーベリックよりもクライン・クラークでしょう?」と断言するように言われたことには、私は納得していない。
付き合う相手だって、ヴォルフ様がいいと思うんだけどなあ。
まあ、そんなことを言ったところで呆れられるのは目に見えているので、私は黙して語らずやり過ごしたのだった。
ヴォルフ様を推し始めて半年以上、闘技場はいよいよ今シーズンのナンバーワンを決める最終トーナメントへと突入していた。
ここへ勝ち上がれるのは、シーズンを通して勝ち点の多かった上位八名のみ。
ディディエ・トロー選手をはじめとした実力者、有名なベテラン勢が勝ち上がる中、なんと、今回初出場であるヴォルフ様もその中に名を連ねていた。
『蛮骨の狼、ヴォルフ・マーベリック』
いつしかそう呼ばれるようになった彼は、今では一躍時の人だ。
ヴォルフ様を推し始めて、私もかなり闘技場のことに詳しくなった。
普通、最終トーナメントまで勝ち上がれるのは、魔法を使える戦士ばかり。
魔法が使える選手は、それだけでかなり有利になる。
属性によらず、攻撃や防御、攪乱や自己治癒まで、戦闘を有利に運ぶためには魔法は必須と言ってもいい。
これまでの闘技場の試合の歴史は、いかに魔法をうまく使いこなすかが鍵となっていたことは間違いない。
攻撃に特化した魔法が流行れば、それを防ぎきるほどの防御魔法に注目が集まる。
武器を強化する魔法が流行れば、それを無効化する魔法が脚光を浴びる。
そうしていくつもの過渡期を経て、魔法を使った戦闘は成熟しきったかに見えた。
闘技場ファンの間でも、すでにこれ以上の戦闘形態の進化はないのではないかという見方が大勢を占め、純粋に魔法の熟達者に人気が集まるようになり始めてしばらくの時が経っていた。
ディディエ・トロー選手のように相手を翻弄することを得意とする変わり種の選手もいるにはいたが、主流を作り出すほどの勢いはなかった。
いわば、停滞しかけていた空気の中、突如として現れたのが“蛮骨の狼、ヴォルフ・マーベリック”だ。
彼の剣技は一撃必殺。
魔法を使っていないにも関わらず、彼はその身ひとつでほとんどの選手を打ち倒してしまう圧倒的な力を持っていた。
生半可な攻撃魔法は無効化され、大魔法を使おうにも体制を整える間もなく勝負を決めてしまう。
防御魔法は貫通、強化された剣にも押し勝ってしまう。
観客の求めていたものがそこにはあった。
圧倒的な暴力。
暴力と、思えてしまうほどの卓越した力と技術。
まるで野生の狼が獲物をその牙にかけるように。
剣を振るう彼を前にしては魔法ごときで身を守るくらいではどうしようもないと、そう思わせる迫力があった。
それほどの力を悠々と振り回して見せるヴォルフ・マーベリックの姿に、闘技場ファンは新たな時代の幕開けを感じずにはいられなかった。
なんて。
おじさんたちとも随分仲良くなった私たちは、事あるごとに闘技場のことを教えてもらい、特定の戦士の追っかけである戦士ファンでありながらも、気分はすっかりベテラン闘技場ファンだ。
ちなみに、最初の頃ツンツンとした態度だった気難しそうなおじさんも、他のおじさんがいない時には「仕方ないな」と進んで教えてくれたりして、意外と優しい人だった。
アクサナ曰く“ツンデレ”というタイプの人らしい。
嫌われていたわけではないようで、安心した。
「ねえ、ヴォルフ様、このまま優勝しちゃったりして」
「あら。一回戦を勝っても、次に当たるのはディー様よ?」
おじさんたちの協力もあって、最終トーナメントのチケットを危なげなく手に入れることができた私たちは、ウキウキと、トーナメント一回戦が行われる会場で試合の開始を待っていた。
先ほど第一試合では若手の魔法騎士を相手にディディエ・トロー選手が勝ち上がり、二回戦進出とベストフォー入りを決めた。
アクサナ曰く、ディディエ・トロー選手はあの魔法騎士の青年に滅法強いらしい。
素人には分からない世界だが、戦闘スタイルによって相性というのは決まる部分があるとか。
次は、ヴォルフ様の出る第二試合。
相手はベテランの剣士で、過去の数年前のシーズンでは優勝したこともあるという。
時間になり、試合会場両側の扉があき、それぞれ選手が入場してくる。
試合会場中央に両選手が揃う。
無精ひげを生やした大男と対峙するヴォルフ様は、あまりに違いすぎる体格差のせいで小柄に見えてしまうほどだ。
最終トーナメントでは、試合開始時間を過ぎても戦闘開始のブザーは鳴ることはなく、選手たちのタイミングに任されている。
両選手が揃い向き合う今、観客の興奮と熱狂はどんどんとヒートアップしていく。
そんな中でも、無精ひげの男は意に介した様子もなく、何気ない調子で口を開いた。
「よう、時代の寵児」
無精ひげの男がヴォルフ様に投げかけた言葉は、熱狂した会場の中、観客席までは届かない。
普段は対戦相手と会話をすることのないヴォルフ様も、最終トーナメントとなると緊張した面持ちで、相手の話に耳を傾けているように見える。
「正直あんたの戦闘スタイルは好きだし、孫もあんたのファンだ。勝たせてやりてぇのはやまやまなんだがよ」
そこで一度言葉を切った彼は、腰に佩いた剣を抜き、それを見せびらかすように軽く構えた。
その姿は堂に入っており、自然体であり泰然として、男の余裕を感じさせるようだった。
それから男は不意に脱力したように剣を下ろすと、自然に立った状態から、その体を重力に引かれるままに、ゆっくりと前方へ倒れるように前傾させていく。
その意図が分からず、観客もその様子を伺い、一瞬、会場を包んでいた喧噪が静まった。
男の体が前へ前へとゆっくりと傾いていく様子に、何事かと思った瞬間。
男が笑った。
「一回挫折も味わっとけよ」
勝負は、一瞬だった。




